解雇
しんと静まり返った部屋の中で、コメットだけが私とミティアの間でウロウロとしている。相変わらず冷たい視線を主人でもある私に向けながら、ミティアの堂々とした様子に思わず感動しそうになる。
「私、ミティアを解雇するつもりはないわよ」
そうはっきりと言い切ると、ミティアは再びピクリと眉を揺らした。それは完全に疑念からくる表情だった。
「私、心を入れ替えたの。だから解雇しないわ」
「それはまた、生き地獄を味あわせるおつもりで?」
生き地獄……それって私の性格がかなり悪いみたいじゃん……。
スピカという名前といい、この世界観といい、私、どう考えても悪役令嬢に転生してしまったと思う。その悪役令嬢の設定を考えると、ミティアの反応は仕方のない事なのかもしれないけど。
百歩譲って私の言葉を疑うのはわかる。けど、どんだけ敵意むき出しなんだ。
挑みかかるように私を見つめるその鋭く尖った瞳が一瞬心臓をひゃっとさせる。
「私の使用人は、そんなに生き地獄なのかしら?」
思わず聞いてしまったこんな言葉にも、本来は「いいえ」と答えるのが普通だろう。けれどミティアは違う。
「はい、そうです」
あっさり認めた上に、悪びれる様子もない。そばでオロオロとし始めたコメットの表情が、どんどん色褪せていく。
「あははっ、私ミティアのそんな性格、嫌いじゃないわ」
はっきりものを言ってくれる方がかえって清々しいというもの。
私は昔から……というか、前世の自分は社交辞令というものが、ものすごく好きじゃなかった。
一緒にどこかへ行こうね。と約束をしたにも関わらず、本格的に日程を決めて約束を確固たるものに変えようとした時、社交辞令を言う人は大抵それをなんだかんだ、理由をつけて断ってくる。例えば私が「このメーカーの小物が好き!」などと言えば、そういった子は話を合わせてくる。それが本当に好きならいいけど、合わせてただけで実際は好きじゃないって知った時、受けるショックは普段の倍だ。
私は単純だから、その言葉をまるっと鵜呑みにしてしまうところがある。だから社交辞令を言われているとも気づかず本気にして、その結果相手が本気じゃなかっと知った時の悲しみったらない。その悲しみは今世の今でも覚えてるし、思い出すだけで胸がキュッと小さく締まる感じがする。
社交辞令とは、私の心の奥底に小さな傷をつける。厄介なのはそれは本人も気づいていないほどの傷だったりする。挙句、気づいていないものだからか、傷は大きく、深くなり、やがて甚大なものとなる。
その後私は、人との接し方がわからなくなった。それはちょっとした人間不信からだった。
「だから私はあなたをクビにしない」
こう言ったこと言うと余計に嫌われるのかな? 元々の私の性格がアレだし、これじゃミティアが言ったように意地悪で言ってるように聞こえなくもないよね。だけど、私としても他にどう言えばいいのか分かんないんだけど。
「むしろ、クビにされるのを覚悟って言ってたけど、なぜ私の使用人を続けているの?」
嫌ならやめればよくない? そんな風に思った素朴な疑問からの言葉で、深い意味はなかったんだけど……。
「もちろんお金のためです」
きっぱりとそう言いのけたミティアは、さっきよりも怒っているように見えた。
「使用人は街で働くよりもお給料がいいので、それだけです」
それならさ……。
「そのために愛想よくしようとは思わないのね?」
昨日コメットに歯に衣を着せないなって思ったけど、ミティアはコメットよりももっと、はっきり言う。いや、コメットは言うつもりないのに言ってしまうけど、ミティアは言うつもりがあって言ってるから、その違いは大きい。
かくいう自分もなかなか負けてないな、なんて思うけども。なんて言うか、スルスルとそう言った言葉が簡単に出てくるのだ。
それはもしかすると、悪役令嬢スピカの性格からかな?
「しようと努めました。が、スピカお嬢様には通じませんでしたので」
「どういうこと?」
「してもしなくても、明らかに不満をぶつけていらっしゃるからです」
……なるほどね。納得しながら私は、思わず苦笑いがこぼれた。
「まぁとにかく私、ミティアがはっきりと言うからって辞めさせるつもりはないわ。もちろんミティアが辞めたいと言うのであれば、仕方のないことだけれど……」
正直、新しい使用人を雇ってもらった方が、NEWスピカとして生活するにはいいかと思ったりもしたけど……使用人を一掃したところできっと私の噂は使用人界隈で回ってるんじゃないかと思う。今まで何人もの使用人を取っ替え引っ替えしてきたのだから。
それなら逆に物怖じせずはっきりとものを言ってくれる方が、私にとって利点だと思った。なにせ私はこれから、悪役令嬢の汚名を晴らすため奮闘しなければならないのだから。
私はこの世界に転生した理由が、もう一度佐々木君に会いたくて、あの時止まってしまった時間の続きを取り戻したくて、この世界に来たんだ。だから間違っても自殺なんてしないし、自殺に追い込まれるような人間にはならないように今から改善しなければならない。周りの評判は必要になってくる中、社交辞令を言う相手ばかりを周りに置いていては結局ゲームの設定通りに事が運んでしまう。それだけは阻止しなければならないのだ。
「さぁ話はこの辺りで終わりにして、学校に行く支度に取り掛かりましょう」
ミティアは相変わらずの視線で私を一瞥した後、それ以上は何も言わずに私が今起き抜けたばかりのベッドを整え始めた。
正直身支度であれば自分一人でいいのだが、それはきっと周りが許さないだろう。それに私は令嬢だ。品よく行かねばならない。……ただし、着替えを除く、だが。
私は制服に自分で着替えた後、コメットが私の髪を梳かし、ハーフアップに髪を結い上げてくれるのを待っている間に、佐々木君が今どこに誰として転生してるのかを考えていた。
万が一佐々木君がゲームの主要メンバーでなければどうなる……? 学園の生徒Aだとか、もしくは先生だったり。学園内ならいいけど、万が一学園の外の人物だったら……? それに佐々木くんだって役柄の性格が反映されて、私が知ってる佐々木君じゃないかもしれない。前世の記憶だって覚えてるとは限らない。私が思い出せたのはラッキーだったけど……。
ああ、考えれば考えるほど佐々木君を見つけ出せるのか不安だ。百歩譲って見つけ出せたとしてもそれはいつになるのか……考えただけで目眩がしそうだ。
せめて転生先の情報と佐々木君の特徴とかを、あの神様から聞いとけばよかった……!
後悔先に立たず。やる事の多さと佐々木君を探しだせるのだろうかと思うと、気持ちが沈み始め、思わずうなだれそうになった。けれどコメットが髪を引っ張り上げているおかげで俯くことができない。
ってか、困難な時ほど顔をあげろって昔から先生が言ってたな。もうやるしか無いし、私は佐々木君を探すって決めてここにいるんだから、覚悟を決めよう!
「はい、できました」
「ありがとう、コメット」
前世ではボブヘアーがいつもの私のヘアスタイルだった。だからこんなに長い髪を見ると、せっかくなんだからヘアスタイルも楽しみたいという気持ちが湧いて、コメットに編み込みのハーフアップをおねがしたのだ。
「気に入っていただければ嬉しいのですが……」
「もちろんよ。とても可愛らしい髪型だわ」
私が素直にそう言うと、コメットは空に輝く一等星のように顔を輝かせた。
「私髪をいじるのが好きなので、そう言っていただけてとても嬉しいです!」
「じゃあ毎日お願いしようかしら」
「はい、ぜひ!」
私は自分で髪型をアレンジできるほど器用ではなかった。だからこうしてお抱えの使用人が髪型を変えてくれるのはとても嬉しい。
ちょうどその時だった。扉をコンコンとノックする音が聞こえたのは。