乙女ゲーム『ティンクル☆スター』
ゲームの名前は『ティンクル☆スター』。私のクラスメイトで友達の美奈がよくやっていた乙女ゲームだ。私はゲームなんて一切しない。だけど美奈はいつもスマホとにらめっこしていた。その大半の理由がこのゲームだった。
美奈は他にもたくさん乙女ゲームをしていたけど、最後に一番長くはまっていたのはこのゲームだった。なんでもドストライクな相手がそのゲームの中にいるんだとか。美奈はその二次元の相手に恋でもするかのようにティンクル☆スターにハマっていた。
そのゲームの内容について、聞いたことがある。主人公はゲームの登場人物である五人のヒーローの中からパートナーを選ぶのだと。
そのゲームの世界はティンクルスター学園という学校に通っている生徒という設定。そこに主人公を虐める悪役令嬢がいるとか。容姿良し、家柄良し、イケメン婚約者のいる悪役令嬢。けれどそんな悪役令嬢は婚約者に破談され、さらに普段から主人公含め周りの人々に不平不満ばかり募らせていた彼女は、周りからは嫌われ、蔑まれ、やがては自殺にまで追い込まれるのだとか。
その悪名高い悪役令嬢の名前が——スピカ。
◇◇◇
「おはようございます、スピカお嬢様」
淡々とした声に導かれるようにして、私は覚醒した。瞼を押しあけると、開け放たれた窓から差し込む光に私は思わず目をこする。
「おはよう、ミティア」
あくびを噛み殺し、今度は両手をぐっと天へと突き上げた。天蓋付きのベッドの天井には笛やラッパを吹く天使の絵が描かれている。その天使を見る暇もなく、私は伸びをしながら瞼をキュッと閉じた。
「んんっ!」
あの後ベッドに入ってぐっすり朝まで起きないところが、今世でも”私らしい”。そう思って伸ばしていた手を下ろし、ゆっくりと目を開けると……。
「な、なに?」
使用人であるミティアが部屋中のカーテンを開けている。最後の窓のカーテンを開ける手を止め、固まったままで私をまじまじと見つめていた。
「いえ……」
ハッとして、ミティアは止めていた手を動かし、シャッと悲鳴のような音を鳴らしてカーテンを開けきった。私もその間にベッドから抜け出すと、コメットが私の制服を運んで来る。
「ああ、ありがとう。自分で着るわ」
そう言って手を差し出すと、コメットはミティアへと目配せをし、それを受けたミティアも小さく頷いている。
「……なにか、私に言いたいことでもあるのかしら?」
二人の行動がぎこちなさすぎて、そう聞かずにはいられなかった。
「いえ、なんでもありません」
ミティアは淡々とした口調で、私が着ているシフォンのネグリジェに手を伸ばした。
「まっ、待って!」
「……はい、何か都合が悪いのでしょうか」
淡々とした口調で、小さく肩を揺らした。まるでため息をついたかのように。
「あの、自分でできるわ!」
人に服を脱がされるのも、着せられるのも、恥ずかしくて仕方がない……! もちろん今までそうやって着替えを済ませて着ているのは覚えているし、慣れているはずだ。けれど、前世の記憶を思い出してからというもの、梨々香として生活していた頃の記憶が人に着替えさせてもらうことを拒んでいた。
ミティアは再びコメットと顔を見合わせている。
その不審な様子にもしびれを切らした私は、コメットから制服を奪った後、二人に向けてこう言った。
「言いたいことがあるなら、言って欲しいのだけれど」
というか、二人のその様子がなんというか……ものすごく気持ち悪い。それはまるで目の前で明らかに自分の陰口でも言われてる様子を見ている気分だし。
するとミティアは表情を変えずに淡々とした様子でこう言った。
「いえ、いつもならご自身で着替えをされたいなどと言うお方ではないので、私共は驚いているだけです」
まぁ、それはそうよね。
「なんと言うか、自分のことは自分でできるようになりたいと思って。ドレスを着付けてもらうわけではないのだから、制服くらい一人で着れるわ」
「左様でございますか。それではお好きなようになさってくださいませ」
「ちょっ、ミティア!」
あっさりと引き下がってくれたミティアとは対称的に、コメットは待ったをかける。
「ミティア、仕事でしょ!」
「仕事でも、スピカお嬢様のご命令でしょ」
命令?! その言葉は少し私の耳に強く感じた。
そっか、そうなるのか。私のお願いは命令になるのか。
「そりゃそうだけど……」
コメットは困ったようで、どうしたものかとちらりと私に視線を投げた。相変わらずあたふたとしているコメット見ると、私は昨日のことを思い出してコメットに頭を下げた。
「あっ、そうだわコメット、昨日は取り乱してごめんなさい。色々なことがあって少し混乱していたみたいなの」
「いっ、いえっ! こちらこそ失礼致しました!」
コメットは昨日と同じように腰を九十度折り曲げ、謝罪した。
「別にいいのよ。気にしていないわ」
私がコメットの方に触れながら微笑みを浮かべていると、そんな私の横顔に氷の刃のように冷たくて鋭い視線を浴びせてくるのは、ミティアだ。
「ミティア、視線が痛いわ」
「申し訳ありません」
「別に、いいのだけれど。……ねぇ、私の様子がそんなにおかしい?」
神経質そうな眉が、ピクリと小さく跳ねた。と同時に、戦闘体勢でも取るかのように目を釣り上げて口元をキュッと閉めてた。
その顔は……ちょっと怖いな。ミティアの年齢はわからないけど、コメットより年上に見える。コメットに関しも私よりは年上なのだろうけど、肌感覚としてはそれほど年齢差を感じない。
「いえ、そのようなことはございません」
ミティアはそう言った後、意を決したようにさらに瞳を釣り上げてこう言葉を付け足した。
「ただ、不平不満な様子をいつもその顔と空気に醸し出すスピカお嬢様が、私の名前をご存知だとは思いませんでしたので驚いてしまったまでにございます」
淡々とそう言う言葉の中に、明らかに嫌悪感が滲んでいる。
「ミッ、ミティアッ!」
ミティアの歯に衣を着せぬ物言いに、コメットはたじろぎながら私とミティアの間で右往左往している。それもそうだ。私はこの家の令嬢でミティアはそれに仕えるだけの使用人。その使用人風情でそんな言葉を面と向かって言うのは、クビを覚悟していなければ到底言えないことだろう。
そう思っていると、予想通りの言葉をミティアは吐いた。
「どうせすぐにクビになると思っておりましたので、クビにするならどうぞ」
ミティアはそう言って、挑むように私を見ている。
……す、すごいなこの子。この子っていつ入ってきた使用人だっけ? コメットは最近だけどミティアは一ヶ月くらい持ったかな。いつも私は使用人に不満を募らせ、すぐにクビにしていた。その最長は一ヶ月くらいだったと思う。
……我ながら自分の性格を疑う。ミティアの言葉にはかなりの棘を感じるけれど、私はそれを受け入れた。
だって昨日コメットも同じようなことを言っていたし、私自身自分という人間を理解していたからだ。
私は悪役令嬢のスピカだ。このゲームの中で一番悪名高い、悪役令嬢。それは私の意図と本来の気性とは違うもの——。