新しい世界
——全て思い出した。
「スピカお嬢様、お目覚めになられましたか?」
私が目をさますとすぐさま駆けつけてくれたのは、使用人だ。確か名前は、コメット……だったかな? 私は学園で倒れたにも関わらず、目覚めた私は私の自室、ベッドの上だった。
コメットは私が起きやすいように背中に手を添え、枕を重ねてもたれやすいように厚みを出してくれた。
「あっ、ありがとう」
「えっ!」
えっ? すごい驚いた様子でコメットは口を塞いだ。
な、なに? 私何か変なことした?
「しっ、失礼いたしました! あの、スピカお嬢様がお礼を言ってくださるなんて……」
コメットはそう言った後、すぐに自分が言った言葉は失言だと気付いた様子で、再び両手で口を塞いでいる。けれど、それはどう考えても少し遅いと思うのだが。
「あっ、あの! も、申し訳ありま……」
「あははっ!」
私は思わず声を立てて笑った。だってコメットが言わんとすることがその表情を見れば一目瞭然だったからだ。
正直今でも私の頭は色々と混乱している。前世の記憶が突然蘇り、なぜ私がこの世界に生を受けたのかも理解した。けれど、それと同時に、私は今世の記憶も持ち合わせているのだ。
「私、かなり性格悪かったもんね。そりゃそうだ」
「いいいい、いえ、そんなことは——!」
両手と頭をブンブン振りながら全力で否定しているが、その表情は正直だ。苦笑いしながら焦っている様子を見ると、かなり酷かったのにちがいない。
まぁ、確かに。私の中に沸き起こっていた感情は全て不満だったもんね。なんでか分かんないけど。この前世の記憶が蘇るまで私は私じゃないみたいだった。だからすごく不思議な気分だ。
「どっ、どうか、クビにだけはしないで下さい!」
「えー!」
なんでそんな話になるかな!? 私が目を丸くして驚いていると、そういえば私は使用人達にもかなり不満があったためかなりの頻度で取っ替え引っ替えしていたことを思い出した。
なんか、前世の記憶が蘇ったせいで、今世の記憶がどこか曖昧になってる。いや、覚えてるけど時系列がバラバラと言うか、最近の事もなんだか最近の事のような気がしないと言うか……。
そんな風に思っていると、無言に耐えかねたのか、コメットはさらにこう嘆く。
「私ちゃんと働きますし、家には病気の父もいて下に二人も幼い兄弟がいるため、家族は私が頼りなんです……!」
「えっ、そうなの?」
それってコメットが家族の大黒柱的な?
「それ大変だね……なんていうか、うちで頑張って働いて、稼いでね」
お給料のことは執事が管理しているし、もちろん取り決めるのは父親だ。だから実際いくらなのかは知らないけど、うちは公爵家。家柄はいいから、使用人とはいえ、結構お給料が良いはずだ。
そんな風に人の給料について分析している時、コメットの動きが止まっていることに気がついた。さっきまで慌てた様子でバタバタと手を振ってテンパっていたのに。
「ねぇ、どうかした?」
私が思い切ってそう聞くと、コメットは戸惑いを露わにした。
「……その、スピカお嬢様は……本当にあの、お嬢様ですか……?」
「それって……どう言う意味?」
少し眉間にしわを寄せ、コメットの言葉の意味を咀嚼していると、再びコメットは慌てて両手と頭を左右にブンブン振り始めた。
「あっ、あの、性格や言葉遣いも変わっていらっしゃるので! その、別にスピカお嬢様の性格が悪かったとか、外見だけ綺麗に育って中身は真っ黒だとか言っているのではなく——」
そこまで言って、コメットは慌てて口を両手で押さえつけた。失言したことに気づいた様子だ。
……はーん、なるほどね。
「私って、そんな風に言われてたのね?」
「……!」
言葉遣いに関しては少し気をつけよう。前世の言葉が丸々出てしまってるし。
「そ、そんなつもりでは! スピカ様はお綺麗でいらして、皆が羨む美人で……」
「だから、要は容姿だけだったのでしょう?」
「……!!」
しまったという様子で、コメットは再び両手で口を塞いだ。顔色はどんどん青ざめていく。
……まぁ分かるけどね。と言うか想像もつく。コメットにこんな風に言われてムカつかないのは、前世の記憶を取り戻した今、今世の私がどこか他人のように感じているからかもしれない。
今世の私はなんて言うか、そう、悪役令嬢みたいな——。
「——待って!」
「ひっ、申し訳ございません!」
思わず大声を出してしまった私に対し、失言を言ったと自覚のあるコメットが腰を90度に曲げて謝罪の意を見せた。
「どうかクビにだけは……!」
「そんな事より、ここって、どこの世界!?」
私はベッドから出て、コメットの肩を掴みながら揺さぶった。
すごく胸がざわつく。嫌な予感がする。既視感というのだろうか? 自分の名前にもコメットなんて変わった名前にもどこか聞き覚えが……ああ、でも思い出せない! もう少しで口から飛び出せそうなのに、喉に突っかかってるようなもどかしい感じ……!
私はその場に屈み込み、頭を抱えた。
「……あの、どこの世界とは、どういう意味なのでしょうか?」
コメットは恐る恐るそんな言葉を私に投げかけている。どうしたものかとたじろいでいる様子が、ふらふらと落ち着きのない足元を見ていればよく分かる。
「……学園の名前って、ティンクルスターって名前だったよね?」
「はっ、はい!」
ティンクルスター学園……それってどこか聞き覚えがあるんだけど、どこでだっけ?
転生なんて言うから、私はてっきり日本のどこかだと思ってた。もしくは別の国というのも想定してた。だからここはどこか遠い別の国なんだとばかり思ってた。それは日本ではないどこか遠い国——例えばヨーロッパのどこかとか。名前は少し変わってるけど、容姿とかしきたりとかそんな感じ。
けど、ずっと胸の奥がもやっとする。悪役令嬢ってワードにたどり着いた時から……。そう、悪役令嬢——。
「あああああっ!」
「きゃぁー!」
私が奇声を発すると、そばにいるコメットも驚いて悲鳴をあげた。するとその声を聞きつけたのか、部屋をノックする音が聞こえ、入ってきたのは執事のクロイツ。
「スピカお嬢様、どうかなさっ……! コメット、何をしているのだ!」
「いいいえっ、私は何も……!」
……ああ、そうだ。思い出した。
床にひれ伏すようにして座っている私と、そのそばに立ち尽くしているコメット。そんな姿を見てクロイツは慌てた様子で私の元に駆けつけた。
「お嬢様大丈夫でしょうか! どこかお怪我はございませんか?!」
クロイツの言葉にも私は返事をしない。今はそれどころじゃなかった。ずっと喉の奥に引っかかっていたものが胃の中にストンと落ちたのだ。そしてその小骨は、私に絶望を与えていた。
……だからだ。だから私は、自分の名前や学園の名前に既視感を覚えたんだ。
「何をぼさっとしているんだ。今すぐ医者を呼びなさい!」
「いいえ、大丈夫。少し気分が悪いの。少し寝れば良くなるわ」
「……顔色が良くないようですが、何か食事なさいますか?」
クロイツは私をそっと立ち上がらせて、ベッドへと横になるように促す。私は力なくそれに従いベッドに横になった。
「いい、いらない。疲れてるだけだから、今は一人にしてちょうだい」
私はそう言って、瞼を下ろした。今自分が思い出したことを頭にインプットし直すかのように。
「では近くに控えておきますので、何かありましたお声かけくださいませ」
そう言った後二人が部屋を出ていく音がして、私はそのまま闇に溶け込むように意識を手放した。
全て、思い出した。この世界を。私が何者なのかを。
……ここはあの、ゲームの世界と同じなんだ。