ツンデレ
「コホン」
一度咳払いをして気持ちを整えた後、私は落ち着いた様子で眉尻を少し下げた。
「その申し出は素晴らしい案だけれど……私は遠慮しておくわ。私の家はレグルスの家の方角とも違うのだし」
「方角であれば同じだろ? むしろミラ嬢もスピカと一緒の方が遠慮しなくて済むと思うんだ。婚約者たいる相手に送迎されるのは彼女も本望ではないだろうからな」
この男……やはり根底ではミラの肩を持っているのかもしれない。
さっきまでは、もしかすると私に好意を寄せ始めているのかも? と少し考えていたけれど、どうやら私を挟めば、公式にミラと一緒にいれるからって言う話なのかもしれない。
ミラ嬢がスピカと一緒の方が遠慮しなくて済む……? ミラとレグルスがいちゃつくのを見せつける気だろうか? いや、それはさすがにムカついてしまうかも。いくら婚約破棄をしたいと考えていても、なんて言うか……人としてムカつく。
だって私はレグルスの婚約者だ。公の場では私がパートナーだ。私の見ていないところで二人が一緒にいるのは、別に良い。なんなら二人が両思いになるのも良い。それは元々の設定でもあるし、仕方がないこと。
けど、それを見せつけられると言うのは、別の了見だ。
私との婚約破棄が成立した後なら全然問題ないけど、まだしていないこの状況で、ボルックス達のようないちゃこらをこの車の中で展開された日には……普通に不快じゃないか。人のノロケ話を永遠と聞かされることほど苦痛なことはないのに、見せつけられるのはそれ以上だし。
「レグルスの言っていることはよく分かるわ。けれど、勝手を言って申し訳ないのだけれど、私は一人で登下校をする方が好きなの。別にミラさんが嫌いなわけでも、レグルスの提案を反対してるわけでもないけれど……分かってくれるかしら?」
特段理由があるわけではない。けれど、やんわりと拒否したい気持ちを表に押し出し、そう言ってみる。彼がもし空気が読める人物なのであれば、ここで引き下がってくれるのが普通だと思う。
だけど残念ながら、レグルスはレグルスだった。
「反対しているわけでもないのなら、一緒に登下校を共にするのも良いんじゃないか? 今までしたことがないだけで、スピカはもしかしたらその方が楽しいと言うことに気づくかもしれないだろ?」
以前のスピカが思っていた通り、レグルスは空気を読むと言う能力を持ち合わせていないようだ。
「それにスピカは変わったのだろ? それであればもっと人とフレンドリーに接する良い機会じゃないか。ミラ嬢は転校してきたばかりであまり友達がいないようだし」
どこまでもミラと一緒に登下校したいのか。と思わずにはいられない。
いや、いいんだけど、そこに私を巻き込まないで欲しい。そうする方がレグルスにとって得策なのも分かるけど……。
一度くらい一緒に帰ってみるのもいいけど、そうしたらきっと毎日そうなって、逆に断る理由がなくなる気がする。
「……そうね。少し考えさせてちょうだい」
「ああ、そうしてくれ」
にこやかに満足した様子でレグルスは前を向いて座り直した。そしてその後すぐにこう言った。
「返事は今日の帰りに聞こう」
私は思わずレグルスに向け、顔を思いっきり振り切った。
今日の帰りに返事を聞く? それって、早すぎない? って言うか、今日ミラと一緒に帰るんでしょ? 強行突破されそうな気がするんだけど……そう思いながら、私は再び窓の外に視線を移した。
まぁ、ミラがどの相手をターゲットにしているのかわからないし、探るついでに一緒に帰るのもいいのかもしれないな。なんて少しやけっぱちな気持ちで、心の中にため息をこぼした。
◇◇◇
朝からなんだか疲れた私は、レグルスの隙を見て教室を抜け出した。かと言って特に行きたいところも、目星のところもない。私はなんとなく、あのエルナトの秘密の部屋へと向かった。あそこなら隠れるにはもってこいの場所だ。
ただしエルナトが私を受け入れるかと言われると、それはないだろうけど。
エルナトの秘密の部屋に行く途中、中庭のところでエルナトの姿を見つけた。ひっそりと木の影に隠れるようにして、彼は本を読んでいる。私は渡り廊下の上からちょうど見えたけれど、危うく見失いそうになるような死角の場所で、そこはきっと中庭からでは見えにくいデッドスペースでもある。
エルナトがあそこにいるっていうことは、あの秘密の部屋は誰もいないってことよね? 鍵とかってないのかな? あのエルナトのことだ。きっとあるに違いない。エルナトが中にいれば私を入れてくれるとも限らないし、先に秘密の部屋の前で待ち伏せして中に入れてもらおうか? でもエルナトが授業をサボるのかどうかも分かんないし……ここは直談判して入れてもらおう。
そう思って私は中庭に向かおうとした、そんな矢先だった。
ひょっこりとマッシュルームカットが視界の端に止まった。それは間違いなく、ミラの姿だった。
「エルナト?」
「……」
エルナトは一瞬ちらりとミラを見やったが、すぐに本へと視線を戻す。けれどミラは気にする様子もなく、エルナトに微笑みかけてそのまま隣に腰を据えた。
「今日は何を読んでいるの?」
「……」
そんな言葉にも、エルナトは反応を示さない。今度は視線すら動かずに、本を読み続けいてる。明らかな無視だ。
「いつも難しそうな本を読んでいるのね? この間私が水に濡らしてダメにしちゃった本も難しい内容だったよね?」
「……」
「あの時のこと、まだ怒ってる……?」
あまりにも反応がなさすぎて、ミラは恐る恐るエルナトの顔を覗き込みながら、眉尻をハの字に下げた。
「ごめんね。ちゃんと弁償するから……同じものがなかなか見つけられなくって——」
「別にいい。あれはもうとっくに読み終わっている」
やっとエルナトが口を開いたことが嬉しいのか、ミラはさらにエルナトの顔を覗き込もうと身を屈めている。
「そうだったの? でも高価そうな本だったし、買って返すから待っててね」
「別に良いと言っている」
「でも……!」
そう言って思わず身を乗り出した瞬間、ミラのそばから再びあの黒猫が現れた。
それはどこからともなく。木の木陰からそっと現れて、ミラの膝に頬を擦り寄せている。
「あら、また君なのね。どうしたの、お腹でも空いたの?」
「……お前の猫か?」
「んー、違うけど、昨日木の上から降りられなくなっていたところを助けてあげたら、懐かれたみたいなの」
そう言ってミラは猫を抱きかかえて、頬づりをしている。そんなミラの様子をじっと黙って見つめているエルナトの横顔が、なんだかとても切なげに見えるのは、私だけだろうか。
ミラがエルナトの隣で猫と戯れていると、はらりと青葉が一枚、ミラの髪にふわりと落ちた。そんな様子にも気づかないミラに代わりエルナトがそれを拾い上げ、葉を指先で転がしたあと、それにそっと——キスをした。
「ん? どうかした?」
エルナトの様子にやっと気づいたミラがそんな言葉を言いながら、エルナトへと視線を向ける。けれどエルナトはさっとその青葉を本の間に挟んで、何事もなかったかのように本へと視線を落としている。
「そろそろ授業が始まる頃じゃないか。さっさとあっちへ行け」
「そう言うエルナトこそ、また授業サボる気でしょ? 私は今日クラスの日直なんだから、サボるのダメだよ」
「……知るか、そんなもの」
「またそんなこと言って」
エルナトは本から視線を外したかと思えば、何かを思いついたように、こう言った。
「じゃあ、日直であるお前もサボれば問題ないんじゃないか?」
そう言ってエルナトは、ミラの腕を掴んだ。




