お迎え 3
私が無の境地に立とうと、目を閉じて瞑想を始めていたその時だった。
「スピカ、ミラという子を知っているか?」
私の耳はミラという名前にピクリと反応を示した。閉じていた目を開け、隣に座るレグルスへと視線を向けながら。
「あの転校生のことかしら?」
「ああ、それだ。なんだ、やはりスピカと知り合いだったのか」
知り合いというほどには、知らない。実際話したのも昨日が初めてだし。そんなことよりも、私はレグルスがどうやって彼女を知ったのかが気になるのだけど……?
そう思っていた私の思考を読んだかのように、レグルスは私が質問するよりも先にこう答えた。
「昨日学園内をくまなく見回って猫を探していたんだ。またこないだのようにスピカが猫と出くわすと困るからな。そしたらあのミラって令嬢と出会ったんだ」
なんとも取ってつけたような理由だ。そう思いながらも私は、そこには触れもせず話の続きを促した。
「そう、それで?」
他にも何か展開があったのだろうかと、はやる気持ちを抑えてそう聞いたが、レグルスは特に表情を変えることなく「それだけだ」と言葉短く締めくくった。
いや、それだけじゃ無いでしょ。むしろもっとイベント起こしてよ。ちゃんと彼女にロックオンされないと意味がないじゃない。
「そういえば彼女、歩いて学校に行っているらしいわね?」
「……家がお金の工面に苦労しているらしい。あまり人の弱いところを突くのはよくないぞ」
ふいっと顔を背ける様子を見て、私はなんで? って思う気持ちと同時に、ああそうか、と納得する気持ちが生まれた。
「別に私は彼女が歩いて登校しようが、家にお金がなかろうが、彼女を見下すつもりもなければ、そんなつもりでこの話を振ったわけでもないないのよ」
悪役令嬢とは面倒なものだ。私の何気ない言動をみんなマイナスに捉えるのだから。
今のだってどう考えてもただの情報を提示しただけの話で、私は全くもってミラを嘲たつもりはないのに、レグルスはそうだと勝手に決めつけた。それは過去の私の性格から来る結果だ。
まだまだ、イメージ向上キャンペーンは続くな……なんて思いながらも気を取り直して、さらにこう言った。
「以前私は彼女がこの道を歩いているのを見たわ。もしかすると家の方角が同じなのかもしれないから、一緒に登校するのがいいんじゃないかと思っただけよ」
私の言動に、レグルスは驚いた顔を見せた。この驚いた顔の意味は、私は範疇外の出来事だった。なぜレグルスが驚いているのだろう? そう思っていると……。
「実は昨日、ミラ嬢ともその話をしたんだ。それで俺は彼女の送迎をかって出たのだが、その話を進める前にスピカにも伝えておこうかと思って」
「あら、いい案じゃない」
なんだ、話は進んでいたのか。というか、やっぱりだ。やっぱり昨日は私に帰るように促しておいて、自分はミラと仲良くしてたってわけだ。ふーん、へぇー。
私はレグルスに重ねられていた手を、すっと解いた。昨日のミラとボルックス、カストルの姿を思い出して、レグルスも彼女とあんな風に楽しんでいたのだと思うと、なんだかちょっと癪だな。なんて思っての行動だったけど、鈍感そうなレグルスが、珍しく私の顔を覗き込んでこう言った。
「怒ったか?」
もしかすると今日家まで迎えに来たのも、昨日の夜にうちに来て食事を取ろうとしていたのも、この話をしたかっただけだったのかもしれない。というかきっとそうだ。
婚約者である私を差し置いてミラの送り迎えをしようとしているなど、言語道断。世間体の目もあるし、そもそも普段の私ならそれを許すはずもない。だから食事を取りながらどうにかして了承させようと考えていたのだろう。
人が体調悪いと言って帰ったというのに……。
「……いいえ、驚きはしたけれど、怒ってなんていないわ。むしろそれは彼女にとってとても良いことだし、レグルスも彼女を助けてあげたいと考えているのでしょう? それはとても、立派なことじゃない」
正直、もやもやとした気持ちはあるが、それはぐっと胸の奥に押しとどめて、私はレグルスを賞賛することにした。二人が上手くいってほしいと願っているのも間違いないのだから。正直、レグルスが佐々木君の可能性だってなきにしもあらずだ。だけど、今のところ佐々木君だと感じる様子もなければ、共通点もない。
それならば今のうちに円満婚約破棄の方向に話を進めていた方が、佐々木君を見つけた時私が動きやすい。
そんな風に私は珍しく腹の中で計画を企てながらにこやかに微笑んでみせると、レグルスは驚いた表情で固まっていた。この驚いている理由に関しては、なんとなく想像ができていた。
「スピカ、お前は本当に変わったな。以前はそんな風に人に対して思いやる言葉をかけることはなかったのに」
そうでしょう、そうでしょう。何せ私はまごうことなき悪役令嬢”だった”のだから。
「それに俺に対してもそんな気遣いの言葉をかけてくれたのは、初めてだ……」
そうでしょうね。私の記憶する中で、レグルスは顔だけの単細胞だと過去の私は思っていたのだから。だからこそスピカはレグルスをトレーニングしていたのだ。将来自分の結婚相手として他の誰よりも完璧でいてもらわなければいけないと思って。
かたや自分は完璧な令嬢ではなかったというのに……。
「本当はミラ嬢の為になるとはいえ、俺にはスピカという婚約者がいる身だ。そんな俺が送り迎えするのは、世間的に見てもおかしな話だろ? それにスピカだってきっと了承しないだろうと思っていたんだ」
そこまで思っていたくせに、なぜそんな話をかって出たのか? と、私は問いたい。
……でも、聞かなくたってその答えはすでにわかっているだけに、ここでその話に水を差すつもりは毛頭なく、私は再び微笑んでみせた。
「ちゃんと私のことも考えてくれていたのね、ありがとう。けれど私もレグルスと同じ気持ちだわ。ミラさんが困っているのであれば、ぜひ助けてあげて欲しいわ。だってティンクルスター学園に通う生徒の中で、彼女だけが徒歩登校なのよ。それはそれは肩身の狭い思いをしているに違いないわ」
「スピカ……俺はお前を見直したよ。昨日言っていた通り、スピカは本当に変わったんだな」
そう、私は変わったのだ。だからレグルスが心変わりしてミラとくっつくとなった時、私に非はない。誰も私を責めるものもいなければ、後ろ指指すものもいなくなる未来が来るはずだ。
そんな風に心の中でも微笑みを浮かべていると、レグルスは再び私の手を握りしめた。
「スピカがそんな風に変わったのであれば、これからは俺たち三人一緒に行き帰りと共にするというのはどうだろう?」
「……は?」
それは予想していなかった。レグルスのこの突拍子のない提案に、私の笑顔の仮面が思わず剥がれてしまった。




