大輪の花
「おはようございます、スピカ様」
ミティアが窓いっぱいに広がる大きなカーテンをシャっと開き、鏡台の前ではウキウキとした様子でヘアブラシを持つコメットを見て、私は朝を迎えたことを受け入れた。なんだか今日は学校に行く気になれない。なぜそう思うのか。その理由は理解していたが、口にはしない。
ベッドから起きだすとミティアがすかさずティンクルスター学園の制服を持ってきてくれた。相変わらずの仏頂面だ。その仏頂面をした瞳の向こう側では嫌悪感も感じ取れる。今朝も絶好調に彼女の感情は分かりやすい。
その制服を受け取り、制服に袖を通すとコメットが待ってましたと言わんばかりに私を鏡台まで案内した。
「スピカ様、本日はどのような髪型にいたしましょうか」
「そうね、今日は少し暑いみたいだからアップにしてもらえるかしら? スタイルはお任せするわ」
「かしこまりました。スピカ様の魅力が最大限まで発揮できるような髪型に仕上げますね!」
それはどういった髪型なのだろう……? そう思って私は思わず小さく微笑んだ。
「ありがとう、期待しているわね」
私の言葉を聞いて、コメットは「任せてください!」と胸をドンと叩いて見せた。その後に早速私の青白い髪にブラシを通す。本当にコメットは人の髪をいじるのが好きなのだろう。今も私の髪を梳かしながら鼻歌を口ずさんでいる。
「ところであの花、とても豪華で綺麗ですね」
「ええ、そうね」
コメットは鏡ごしに入口の扉のすぐそばに飾られている、立派なゴシック調の花瓶に生けられた大輪の花に目を向けている。私はその花にちらりと視線を投げた後、小さなため息を心の中でこぼし、ゆっくりと目を閉じた。今はコメットに髪をいじられることだけに集中するかのように。
「あれって、婚約者のレグルス様が持っていらしたものなんですよね? さすがはスピカ様の婚約者様ですね」
コメットは興奮気味にそう言った。
……なんだ、知ってたのか。なんとかあの話題をさっさと終わらせようと思っていたけど、どうやらそうもいかない様子だ。
昨日結局レグルスはこの屋敷に来たのだ。電話で断ったにも関わらず。ただひとつ良かったのはここに来たのは来たが、私に会わずに帰って行った。あの大輪の花束と、ご丁寧にもメッセージカード付きで。そのメッセージには”明日は元気な姿で会えることを願っている”とかなんとか書かれていた。
こんな態度取られたことって今までに一度たりとあっただろうか? 自分の記憶を遡ってみても、私がレグルスに指示したこと以上のことをしたことが未だかつてあっただろうか? いや、ない。ないと思う。覚えてないってことは絶対してない。
レグルスの突然の方向転換とも取れる態度と、この溺愛されてるっぽい感じ……怖くない?
マジで。真剣に。
「スピカ様、ひとつお願いがあるのですが、あの花を一輪いただいてもよろしいでしょうか?」
「ええもちろん! 一輪と言わず全て持っていってもいいのよ!」
遠慮はいらない。むしろ持って行って。部屋の中に充満する花の香りを嗅いでいると、同時にレグルスの顔が脳裏に浮かぶからやめて欲しかったのだ。
「あははっ、そんなにいりません。それに一輪欲しいと言ったのはスピカ様のここに挿そうと思っただけですので」
そう言ってコメットは私の耳少ししたあたりを指差した。
トップはふんわりとボリュームが出るようにねじり上げられ、両サイドは頭を囲うような形で編み込みが施されている。とても上品でスッキリとした髪型に仕上がっていた。そんなヘアスタイルに感動している最中でのコメットのこの言葉に、私は全力で拒否した。
「それはやめてちょうだい!」
思わず立ち上がってしまった私の姿を見て、コメットは驚いた様子で私を見上げている。それもそうだ。今まで朗らかだった空気を割ったのだから。
「……と、ごめんなさい。驚かせてしまったわね」
「いえ、こちらこそせっかく婚約者様にいただいた貴重なお花ですから、髪に飾るなんて失礼だったのでしょうか……」
コメットはいつものように慌てふためきオロオロとしている。完全に私の顔色を伺っているところを見ると、彼女を怯えさせてしまったと、申し訳ない気持ちになる。
せっかく心を開きかけてくれていた使用人ができたのに、私はまた閉ざさせてしまったのかと不安になりつつ、ストンと椅子に座りなおして、頭を下げた。
「いいえ、それはとても素敵な提案だと思うわ。本当よ? けれど私は虫が苦手だから、万が一その花に虫が寄って来てしまうのでは……と思うと恐怖でしかなくて……」
嘘だ。虫は別に苦手じゃない。刺されるのはごめんだけど、別に虫に対して恐怖心など持ち合わせていない。前世の私はバッタやカマキリだって素手で捕まえれるし、田舎に行けばトカゲやカエルだって余裕だった。ゴキブリだってその気になれば素手で仕留められると思う。
……もちろん近場に手の代わりになるような叩くものがなかったらの場合だけど。
そんな私が今、一番苦手としているのはレグルスだ。あいつの行動と考えてることが読めなさすぎて、なんか怖い。虫よりも全然怖い。そんな中でもし私が頭にレグルスからもらった花を挿した日には、あいつがどういう反応するのか……そう考えるだけで震える。今のこの状況からすれば、その行動はただただレグルスを喜ばせる結果になることは目に見えている。
私はレグルスと穏便に婚約破棄がしたい。婚約を続行したいわけじゃない。
「そうでしたか……少し何か頭に飾ると完璧だと思ったのですが、そうとは知らずに失礼いたしました」
コメットは腰をしっかり90度に折り曲げて謝ってくれた。そんな背後から珍しくミティアが会話に加わった。
「花がダメでしたらこちらはいかがでしょうか? とても華やかになるかと思います」
そう言って差し出されたのは木の棒の先に木綿の布がいくつか取り付けられているものだ。
「いや、それって……」
「ミッ、ミティア! 何言ってんの!」
コメットが慌ててそれをミティアから取り上げ、背中に隠した。だけど私はそれをしっかり見ているし、それが何かも知っている。
「この垂れた先が頭に飾れば上品になるかと思いまして」
「なるわけないじゃない! これははたきでしょうが!」
そう、掃除をするときに使う、あれだ。パタパタと埃を落とす、アレ。
「申し訳ございません! ミティアも悪気があったわけでは……」
いや、悪気はあったでしょ。というか、悪気しかない。悪気の塊だった。
「って、ミティア、ちゃんと謝って!」
「掃除道具とは知らず、大変失礼いたしました」
「ミティア!」
使用人が掃除道具を知らないわけがない。なんとも白々しい言葉を並べ、謝る時も誠意を感じない。それはここにいるコメットですら気づいいている。そんなコメットは可哀想に、気を使ってかすでに半泣きでうろたえている。
「……ぷっ、あはっ!」
私は思わず声をあげて笑ってしまった。そんな私の行動に、コメットはさらにうろたえ、ミティアは眉間にしわを寄せた。
「なかなか面白いジョーダン言ってくれるわね」
いや、嫌味だと思うけど、でもそれを嫌味だと思わなければただの滑稽な話だ。私はすでにミティアのこの態度に免疫ができている。自分でも思うのもなんだけど相変わらず自分は適応能力が高い。梨々香の時からそうだ。何事も一周回って面白く思えるのだ。そんな自分は嫌いじゃない。
むしろミティアは今まで自分から私に関わろうとはしてこなかったのに、今回は会話に混ざって来た。それって、一歩前進じゃない?




