ヘッドシェフ2
「ところでスピカお嬢様がこのようなところに一体何のご用でしょうか?」
「実は少し小腹が空いてしまったので、何か食べるものはないかと来てしまったの。今朝のスコーンが美味しかたのでそれの余りがあればいただこうかと思ったのだけれど……?」
キッチンまで来て食べ物を物色するなんてなんだか物乞いのようね……。公爵令嬢ともあろう人間がこれは少し恥ずかしい行いなのかもしれないと思い、私は慌てて言葉を付け足した。
「あっ、その、今朝の朝食がすごく美味しかったから、きちんとお礼を言いたいと思っていたのよ。本当に美味しかったわ。ありがとう」
そんな風に言うと、キッチンにいる他のシェフ達の動きがピタリと止まり、私をガン見している。
私を見てみんな面白い顔をして固まるんだもん。一周回ってこの状況が結構笑える……。
そろそろこの反応にも慣れてきて、こんな反応を楽しむ心のゆとりさえ出てきていた私は、まるでメデューサにでもなった気分だ。フッと含み笑いをこぼしたあと、「コホン」と咳払いをしてから再び口を開いた。
「いつも残してばかりいてごめんなさい。私今までは何を食べても味がしなかったと言うか……きっと私の味覚に問題があったんだと思うの。けれど今朝食事を取った時は今までと違っていたの。本当よ? だからどうか今までの私のことを許して欲しいのだけれど……」
ハレーが変な反応を示していたのも、今まで私が食事をろくに食べずにいたくせに、今日はこうして美味しいと言ってキッチンにまでやって来た。そんな様子を疑っていたのかもしれないな、と思い直し、言い訳がましいがそう言葉を付け足した。
「他の使用人から聞いていた通り、スピカ様は何か憑き物が取れたように別人なのですね」
ハレーが言ったその言葉は、どう捉えたら良いのだろう。好意的に捉えたら良いのか、不信感をあらわにしていると捉えた方が良いのか……もしかすると両方なのかもしれない。
「ええ、私は昨日、学園で倒れたの。その時に自分の一生が走馬灯のように見えたの。他人事のように見た自分の人生を振り返って見た時、気がついたの。あまりにも人として欠けていると。そして決めたのよ、ここから人生をやり直そう、って」
「そうでしたか」
ハレーは何を考えているのかわからない表情で、淡々とそう答えた後私の隣をすり抜けてキッチン台へと歩いて行った。
「普段のスピカお嬢様なら焼きたて5分以内のものしかお召し上がりになりませんので、スコーンは残っておりません」
えっ、そうなの? って言うか、そうだったっけ? 昔の記憶を遡ってみるが、色々と料理にケチをつけた記憶が多すぎて、覚えていない。
思わず苦笑いをこぼしたあと、ひとまず……。
「あの、ごめんなさい……そんなに手間と気を使って用意してくれていた料理を、いつも残してしまっていて……」
謝ることとお礼を述べること。この二つを過去の私はかなり疎かにしていた。疎かというよりも全くしてこなかった。特に目下だと思っている相手には。
私の頭は自然と下を向いていた。こんな人間を好きになる人などどこにいるのだろうかと思って、敵の多い世界に思わずため息がこぼれる。そんな私の気持ちを汲んでくれたのだろうか、ずっと入り口に立っていたクロイツがキッチンに足を踏み入れ、ハレーに向かってこう言った。
「スコーンが無いのであれば、ハレーがさっき言っていたスムージーを作って差し上げるのはどうだろうか? スピカお嬢様、もしそれでも足りないようであれば、私が街まで行って何かお菓子を買ってまいります」
クロイツはいつもの朗らかな様子で私に向かってそう言ったあと、頭を下げている。なんて素敵な執事なんだろうか。周りに疎まれてる私に味方をしようとしてくれるクロイツを私は、クビにしようとか考えていた。そんな考えに思わずゾッとする。
「ありがとうクロイツ。だけど大丈夫よ。余りのお菓子があればと思っていたけれど、用意がないのであれば夕食まで我慢できるわ」
私は微笑みながらキッチンを後にしようとハレーや他の料理人達に背を向けたその時だった。
「……夕食の準備があるため今からスコーンを焼く時間はありませんが、スムージーであれば今すぐにできます」
ハレーは持っていたフルーツをキッチンの台の上に置き、包丁とまな板をキッチンの脇から取り出し、手早くフルーツの皮をむき、種を取ったあとは適当な大きさにそれらを切っていく。そしてミキサーを調理台の下から取り出したかと思えば、その中にオレンジ、マンゴー、バナナ、あとは冷蔵庫からイチゴとミルクを取り出し、イチゴのヘタを取ったら全てをミキサーの中へ流し入れて、最後に冷凍庫から氷を少し掴み入れ、ミキサーでかき混ぜ出した。
ウィンウィンウィンと音をかき立てながら混ざり合ったそれを、洗い終えて綺麗に並べられているガラスのグラスに注ぐ。キッチンの入り口にあるナイフやフォークが入ったカラトリーの中からクロイツはストローを取り出し、ハレーからグラスを受け取り、その中にストローをさした。
「スピカお嬢様、こちらはお部屋か食堂へお運びしましょう」
カラトリーのそばにある丸いトレイの上にそれを乗せ、クロイツは片手でそれを持った後、私を外に出るようにと促すかのように右手のひらをキッチンの入り口へと向けた。
「行儀が悪いことは分かっているわ。だけど、一口だけ今飲んでもいいかしら?」
遠慮がちにそう言うと、クロイツは一瞬考え込んだような表情を見せて、やがてトレイを私に向けて差し出した。
「かしこまりました」
「ありがとう」
冷たいスムージーのおかげで冷えたグラスを手に持ち、片手でストローをそっと支えて一口ごくりと飲んだ。
今出来立てのスムージー。フレッシュフルーツがお腹の中に落ちていく。フルーツの持つ自然な甘みと、酸味。とてもバランスの良い飲みごたえだ。
「美味しいわ。ありがとう、ハレー。ゆっくりと楽しみながら飲ませてもらうわね」
この部屋の中にいるハレーを含む料理人達はあからさまにはしないものの、私のことをよく思っていないだろうことは肌で感じていた。それはその理由を自分が一番理解している。
アウェー感をひしひしと感じる中、私はとびきりの笑顔を向けた後、スムージーのグラスをクロイツのトレイに戻し、くるりと踵を返してその場を後にした。
プラス思考で行こう。私の第二の人生は始まったばかりだ。味方はいないことはすでに知っている。知っているだけラッキーじゃんか。知らず気づいていないことほど痛いことはない。
それに今が底辺な位置にいるのだとすれば、あとは上に登るしかないじゃないか。
梨々香の時の自分を思い出し、私は前を向いて力強く歩き始めた——。




