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ヘッドシェフ1

 レグルスが呼んだ車はレグルスがいつも利用している送迎車。私の家のものではない。

 遠慮がちに車に乗り込み、運転手とバックミラー越しに目があって、私は思わず会釈した。するとそんな私の態度に驚いた運転手はすごい勢いで後ろを振り返られてしまった。そんな行動を失礼だと思ったのか、この運転手は一度咳払いをした後、再び前を向いた。けれど明らかにバックミラー越しに私をチラチラと伺い見ている。もうこんな反応には慣れてきたけど、ここでもか。とそう思わずにはいられない。レグルスのお抱え運転手もきっと長くレグルスの家で働いているのだと思う。だからきっと私の普段の性格を知っているんだと思うと、驚くような反応ではない。


「ちゃんと体調を万全にするように」


 私が車に乗り込んだのを確認してから、レグルスは車の扉を閉めた。さっさと立ち去ればいいのに、レグルスは私を乗せた車が立ち去るまで、ずっと校門のところに突っ立っていた。

 ……どうなってるの?

 レグルスがやたらと気が利く……というか、優しい。前まではどこかぎこちないところというか、言われてやらされてる感がプンプン出てたのに、今のところそれがない。

 というかむしろ、好意的……? 私が性格変わったせいで、優しくなった? 待って、でもそれじゃ逆効果じゃん。レグルスには婚約破棄してもらわないといけないんだからそれじゃ困る。レグルスの前では以前の私を貫き通した方が良さそうだけど……梨々香の記憶を取り戻した今の私に、あの態度を自然に取れるかな……?

 そんな風に考えている間に、車は私の家の門をくぐり抜け、玄関口まで到着した。すると玄関先でクロイツが待ち構えていた。


「スピカお嬢様、お帰りなさいませ」

「ただいま、クロイツ。ちょっとまだ体調が万全じゃないから、帰ってきてしまったわ」


 レグルスの理由に乗っかる形でそう言うと、クロイツは深々と頭を下げながら「存じ上げております」と返事を戻す。


「えっ?」


 なんで知ってるの? そんな疑問を口にする前に、クロイツは顔を上げて続きを口にした。


「レグルス様よりご連絡がありましたので」


 ……なんと。なんて用意周到な。そんなにまでして私を帰したかったのだろうか。確実に私が家に帰るようにと抜かりのないように……?


「それではこれで」


 レグルスの運転手はわざわざ車から降りてきて、私に向かってそう声をかけてくれた。


「ええ、送ってくれてありがとう」

「……あっ、い、いえ」


 さっきの会釈は見間違いじゃなかったのかと確信を得たように、レグルスの運転手はしどろもどろになりがならも頭を下げた後、車に乗って立ち去った。


「スピカ様、それでは体調を戻すためにも本日は部屋でゆっくりとなさってください。食事は部屋に運ばせますので」

「いいえ、大丈夫よ。まだ少し体調が悪い気がしていたから大事をとって帰ってきただけなの。食事はいつも通りの場所に運んでちょうだい」

「畏まりました」


 家に帰ってきたことで、佐々木君探しを断念しなければならなくなった今、一人で部屋にこもっていても暇でしかない。


「少しお腹が空いているのだけれど、今朝のスコーンはまだ残っているかしら?」

「残っていると思います。確認して、部屋まで運びましょうか?」

「いいえ、それなら私が取りに行くわ」

「……はい?」


 その言葉には面食らったのか、クロイツの彫り深い顔で嗅げるように見えている瞳が大きく見開かれた。


「シェフはいるのかしら? ついてに今朝のお礼を述べたいわ」


 驚くクロイツには気にもとめず、私は自ら家の中へと入り、キッチン目指して歩き始めた。

 未だかつて自分がゲーマーじゃなかったことを悔やむほど、自分がなぜ自殺するのかわからないけど、それでもできることはなんでもしておこうと考えていた。味方はたくさんいた方がいい。敵を欺くにはまず味方からと言うことわざもあるし、人と仲良くしておくのに越したことはないのだ。

 ……とはいえ、欺くつもりはないのだけど。むしろイメージ向上運動といったところだ。


「シェフはきっとキッチンでディナーの下ごしらえをしているかと思います」


 慌てて後からついてきたクロイツは、私の問いかけにそう答えてくれた。そんな様子にクスリと微笑みながら、軽い足取りで私はキッチンへと向かう。

 家の中から中庭を抜け、そのまま別棟へと向かう。その別棟に入ってすぐにある扉を開けば、そこがキッチンだ。


「こんにちは。えっと……ヘッドシェフはどなたかしら?」


 キッチンに入ると、何人かコック服に身を包んだ男性がいて少し驚いた。シェフは一人だと思っていたせいだ。確かに私の家は大きいけれど、母親はすでに他界し、父親はいつも家にいないため、食事は私のものだけ用意されているためだった。


「私がヘッドシェフを務めておりますハレーと申します」


 背後から突然現れたのは、背が高く、かなり体格の良い男性だ。コック服に身を包んだ男性の頭にはテレビでよく見た背の高い帽子をかぶっている。それは他の料理人よりも高い分、位も同じく高いのだろうと想像がついた。


「あなたが毎日美味しい食事を用意してくださっているのね」


 私の言葉に、形の良い眉がピクリと揺れた。何か気に障ったのだろうか。そう思いながらも、このハレーが両手に持つフルーツのカゴに目を向けた。


「たくさんのフルーツね。これも庭で採れたものなのかしら?」


 今朝ストロベリージャムは手作りだと聞いた。それに家の敷地にストロベリーが成ってることすら知らなかったのだが。バナナやパイナップル、リンゴなどカゴの中にたくさん入れられている。


「いえ、これは先ほど卸業者が来たので新鮮そうなものを購入したのです」

「そうだったのね……これは何に使うのかしら?」

「スピカ様はダイエットを気にされているとのことですので、朝食や軽食の際のデザートにスムージーをするのも良いかと思いまして」

「まぁ、スムージーとは、なんて素敵なの。私大好きなのよ」


 本心から言った言葉だが、ハレーの眉はピクリと揺れる。まるで何かのアンテナのようだ。


「さっきから気になっているのだけれど……私は何か、変なこと言っているのかしら?」

「いいえ。全く」


 全否定しているけれど、そうは全く思えない。違和感を感じる動きをした後に笑う笑顔ほど胡散臭いものはないと私は常々感じていた。

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