イヌ
「やられた……!」
「かなり、喰われてしまったのぅ……」
赤色のグラデーションという珍しい鳥のヒナを口に咥え、仮の寝床へと戻って来たあたし達は、汚らしく食い荒らされていたウサギを前に地団駄を踏んでいた。
大事に食べればまだ四日は保つと思っていたのに、これではせいぜい明日の夜まで食べられれば良い方だ。
あたしが死ぬ思いで倒したウサギを食い荒らすなんて許せない……!
「まだ遠くには行ってない筈……! タートはここでヒナを見てて! あたしの物に手を出した事、後悔させてやるっ!!」
「待つんじゃ、ビアンカちゃん! 相手を知らずに突っ込むなぞ、命が幾つ合っても足らんぞ! 少し落ち着くんじゃ!」
食い逃げ野郎はまだその辺に居る筈だ。今なら追い付ける、と走り出そうとした瞬間、タートにそう言われた。
だけど、落ち着いてなんて居られない。あたしの怒りは沸騰寸前だ。
「グルルルアアアアオオオオオオオッッ!!!」
「ビアンカちゃん……っ!」
怒りに満ちた咆哮を上げ、微かに漂う匂いを頼りにあたしは走り出した。
怒りのままに走ったものだから、どこを通って、どこまで来たのかは分からない。分からないけど、あたしは食い逃げ野郎と思われる奴に追い付く事が出来た。
追い付いた事で少しだけ怒りが落ち着いたのか、辺りの様子を見る余裕も出来た。もちろん、耳と意識は食い逃げ野郎へと向けたままだ。逃がしてたまるもんか!
あたしが食い逃げ野郎に追い付いた場所、そこは小高い岩山の上だった。
「よく、俺様に追い付いたなぁ。これでも走るのは自信があったんだぜ? お前はそれよりも速いと見える」
「あたしの狩った獲物を食い逃げするなんて許せない! 殺してやるっ!」
「……お前に俺様が殺せるかぁ? 正面切って闘えば殺されるのは俺様だが、ここは俺様のテリトリーだ。殺されるのはお前の方かもなぁ?」
怒りが少し冷めた事で、そいつの言葉があたしの耳へと届く。言葉が通じるのはウサギを食べたからだろうか。食い逃げ野郎の種族は、イヌだった。
だけど、普通のイヌとは違うみたいだ。今のあたしの様に足の筋肉が異様に発達してるし、耳も少し大きい様に感じる。あたしと同じく、やはりウサギの肉を食べた事で変化したのだろう。
「それに、俺様だけだと思うのか? 野郎ども! コイツの相手をしてやりなぁっ!」
そう言えば聞いた事がある……様な気がする。違うわね。前世での記憶だ。
イヌは一頭のリーダーの元で群れを作って生活する。それはもちろん、狩りの場においてもだ。
狩った獲物を最初に喰うのもリーダーだし、メスを独占するのもリーダーだ。
習性はオオカミに似ているけど、危険度はイヌの方が遥かに高い。イヌはどんなに相手が強大だろうと、リーダーの命令があれば怯まずに立ち向かうからだ。
「グルルルルル……バウッバウッ!」
「ハッ、ハッ、ハッ、ハッ……!」
「ワオーン! バウワウッ!」
あたしは数十頭のイヌの群れに囲まれた。
「今のあたしを見て立ち向かって来る勇気は認めるけど、あんた達みたいな小さなイヌ如きにあたしが殺られる筈が無いわっ! 『炎の爪!』グルルルアアアアアアッ!!」
あたしは頭が悪いけど、決して馬鹿じゃ無い。ウサギの時に学んだ事をさっそく実践する。
両前足の爪に青白い炎を纏わせ、イヌの群れへと襲い掛かった。先手必勝というやつだ。
あたしの体長は現在2m以上あり、その膂力も相応だ。
対して、数十頭のイヌの体長は大きくても1m程。あたしの初手の一撃で、数頭のイヌが宙を舞った。
あたしの攻撃で腹や頭を深く抉られたイヌ数頭は、爪に纏った炎によって瞬時に傷口を焼かれ、血が流れる事も無く絶命して行く。このまま、皆殺しにしてやる……!
「てめぇら、何やってやがる! 今が絶好の機会じゃねぇか! 囲んでんだから、一斉に掛かりやがれっ! ウオォォ〜ンッ!!」
『『ウオォォ〜ンッ!!』』
さすがリーダーと言うべきか、それとも、やはりと言うべきか。イヌのリーダーの言葉で、群れの雰囲気が変わった。一頭一頭が鋭い牙を剥き出しにし、一斉に襲い掛かって来たのだ。
「ガルルルルッ!? グルアアアアアッ……ッ!!」
三頭くらいならば何とか対処出来そうだけど、四方八方から六頭以上で襲い掛かって来られたら対処しきれない。イヌ達は次々とあたしの体に噛み付き、少しずつ肉を喰いちぎって行く。あまりの激痛に、いつの間にかあたしは失禁していた。
「フフッ。フハハッ……! アーッハッハッハッハッ!! どうした? 俺様を殺すんじゃなかったのか? 勢いがあったのは最初だけだなァっ!!」
次々に肉を食いちぎられ、あたしの自慢の毛並みがみるみる内に見る影も無くなって行く。白いとは言えなかったが、あたしの体は血の色で塗り替えられてしまった。
タートの言った通りだった。何で言う事を聞かなかったんだろう、あたしは。
タートの言う事を聞いて、しっかりと落ち着いてから行動すれば良かった。後悔先に立たずって言うけれど、本当にそう思う。
出血し過ぎたせいか、あたしの意識は闇に吸い込まれて行った。
「ミャオーン。ニャア? ニャアオーン!」
ネコ? どこからかネコの声が聞こえる。あ、この声はきっと『トラ』ね。
どうしたの、トラ? お腹減ったの?
待っててね、トラ。今、作ってあげる。
良かったぁ、トラ。無事だったのね。
え? なんて言ったの、トラ?
あれ? 何でだろう。トラは言葉なんて喋る筈無いのに、喋った様に感じるなんて。
でも、あたしの分まで生きてね、トラ。
「何だとォ!? くそっ! 伊達に聖獣を狙ってるって訳じゃないって事か! てめぇら! 俺様が逃げるまで、死んでもコイツに追って来させるなぁっ!!」
何を言ってるんだろう、コイツ。
それよりもトラはどこに行ったのかしら? さっきまであたしの傍に居た筈なのに。
もしかして、このイヌ達がトラを虐めたのかしら。だとしたら、あたしがやっつけてやる!
「『ショックファイア!』ガルルルルルルルッ!!」
何故、これが放てたのか。
トラが力をくれたのか、それとも、これがあたしの力だったのか。
風と火。衝撃波と炎の融合。
あたしは無意識の内に二つの属性を一つの魔法とし、それを放っていた。
大きく開かれたあたしの口からは直径1m程の炎球がイヌの群れへと放たれ、一頭に着弾。その途端に炎球は爆炎を上げ、辺りを炎の衝撃波が薙ぎ払った。
気付くとあたしの体は青白い炎を全身に纏っており、そのあたしから距離を置いたイヌの一頭に炎球が炸裂した為、炎の衝撃波の影響はあたしには無かった。
もしも間近に居たイヌに当たっていようものなら、あたしもタダでは済まなかっただろう。それ程、炎の衝撃波の威力は凄まじかった。
「キャイーン……!」
「キャンキャン!」
「ワウゥ……」
炎の衝撃波に巻き込まれたイヌのほとんどが即死だった。僅かに残った数頭だけが尻尾を丸めて、悲鳴を上げながらあたしから逃げて行く。
あたしの前には、数十頭にも及ぶイヌの群れだった物が横たわっていた。
「あれ? あたし、どうしたんだろう、こんな所で。確か……ウサギが喰われてて、頭に来て……それから? ――ッ!? 思い出した! 食い逃げ野郎を追ってたんだった! あのイヌをここに追い詰めて……って、あのイヌ、どこ行った?」
そうだった。あたし、食い逃げ野郎を追ってたんだったよ。何で忘れてたんだろう?
「あ! イヌに食いちぎられた傷が無い! 治ってる!」
食い逃げ野郎はイヌのリーダーで、アイツの命令で手下のイヌ達があたしを食いちぎって、それで瀕死のダメージを負って……って、何で治ったんだろう? あたし、傷が回復する様なのは食べてないよ?
「ま、いっか。アイツもたぶん死んだよね? 真っ黒に焼けた上に体がバラバラになってるから、どれがアイツだか分からないけど。とにかく……食い物の恨みは恐ろしいのよ! 思い知ったか! あー、スッキリしたっ! タートも心配してるだろうし、さっさと帰らなくちゃ」
ここがどこなのかは分からないけど、あたしは僅かに残る自らの匂いを辿り、タートが待つ仮の寝床へと戻った。
☆☆☆
「ふぅ……! 危なかったぜぇ! 何でアイツが炎の力を使えるかは知らねぇが、俺様も同じ炎の属性持ちで良かったぜ。だが、やはりアイツも聖獣の資格者か。
だが、負けねぇ……! それに、アイツは俺様に一瞬でも恐怖を与えやがった。この……『ベロス』様に! 覚えてやがれ? いずれお前も俺様の『糧』にしてやる。……必ずなぁ!!」
ビアンカが立ち去ってしばらくした後、イヌの群れの死体の下から這い出てきたイヌ達のリーダーのベロスはそう言うと、口の端をニヤリと上げながらビアンカとは違う方へと歩み去っていった。
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