密林を抜けて
師も走る程、忙しいです……!
「お腹減ったぁ……」
シャケを食べてから既に五日。その間、あたしは密林を彷徨い続けていた。獲物を探し求めて。
密林から獲物が消えてしまったんだろうか。そんな事まで頭に浮かんでくる。
シャケを食べてから今日までの五日間、一向に獲物が現れないのだ。せめてネズミだけでも、と木の根近くの穴なども探したがもぬけの殻。本能という物で、あたしが近付くのを察知して逃げたのだろうか。そこにネズミが居たという形跡しか残っていなかった。
今日までの五日間、水の力で出した水分だけで何とか飢えを凌いで来たが、それももう限界を迎えている。
今日は必ず獲物を見付けなければ……!
そうは思うが、空腹によって足取りは重い。頭もボーッとする。
それでも耳は常に動かし、些細な音さえも聞き逃さない様に集中している。時おり聞こえる枝葉の擦れる音にも敏感に反応し、耳に加え視線も集中させる。恐らくあたしの目は血走っている事だろう。
そんな事を繰り返しつつ、フラフラしながらも更に歩き続ける事半日。いよいよを以て空腹の限界を迎えようとしたその時、あたしは密林を抜けた。
「うわぁ……!」
それしか、言葉が出てこなかった。
見渡す限りの大草原に、抜けるような青空にはモクモクとした綿菓子の様な白い雲。時おり吹き抜ける風が草原に緑の波を起こしている。
風に靡く草原の遥か向こうに、黒っぽく見える物がある。恐らくは森だと思うが、遠過ぎてハッキリとは見えない。
森だとして、その森にはどんな植物が生え、どんな獲物が居るのか。想像だけが膨らむ。
生まれて初めて眺める雄大な景色に、あたしはいつの間にか空腹を忘れていた。
「あ、あれって、もしかしてウサギかなぁ。たまに長い耳が草に見え隠れしてる」
小さくて茶色いウサギが遠くの草原に見えてるんだけど、何だか様子がおかしい。遠近感が狂ってるのかなぁ?
あたしが今居る所はまだ密林と言ってもいい場所だけど、ウサギが居る所は草原の中ほど。ウサギまでの距離は……あたしの感覚だけど、およそ2kmは離れてる。
それなのにウサギが見えるのは、あたしが空腹だから?
それとも、今まで食べたネズミやニワトリ、それにヘビの不思議な力を吸収した事で視力が上がったのかしら。
「行ってみれば分かるわね。……久しぶりのご飯だぁ〜っ! ひゃっほーいっ!!」
テンションがおかしいのは気にしないで。空腹の限界突破があたしに与えた謎の力よ!
空腹でヘロヘロだったのが嘘みたいに体が軽く感じられ、あたしはウサギと思われる獲物を目掛けて全力で走った。
走る事で向かって来る草は柔らかく、あたしの全身に心地好い刺激を齎す。何だか楽しくなって来た。お腹が減ってなければ、このまま一日中草原を走って遊びたいくらいだ。
そんな考えが浮かんで来るが、ウサギはもう目と鼻の先。ガブリと齧り付いた時の事を思い浮かべると、涎が次から次へと溢れて出て来る。
――なんて事を考えてたあたしを殴ってやりたい!
「う、嘘……でしょ……!?」
ウサギは……とんでもなく巨大だった。
思えば、全てがおかしい。
密林から抜け出た場所は、大草原よりも高台となっていた。
そこからあたしは大草原を見渡していたのだけど、そこからウサギが見える事自体おかしかったのだ。
更にそれだけでは無い。丈が短く、柔らかな感触が楽しかった草も、今現在はあたしの体高よりも高く生長した丈だ。
「ガリバーの世界に紛れ込んだみたい……!」
ガリバーが何なのかは分からないけど、あたしは自然とそう呟いていた。
草の丈は、恐らく2mはあるだろう。あたしからすれば、この大草原は草の迷宮と言っても過言では無い。
だけど、今はそれどころでは無い。巨大なウサギに見付かってしまった。……あたしから近付いたのはこの際置いておく。
「あんたみたいなのが来るのを待ってたよ!」
赤い瞳であたしを見詰め、巨大なウサギはそう告げる。ヘビの時と同じく、何故言葉が理解出来るのかは分からない。
ウサギと侮り、まんまと獲物を惹き付けるのが狩りの手段なのか、あたしみたいなのが来るのを待ってたと言ったウサギは、長大な二本の鋭い前歯が特徴の口をニヤリと歪めた。
ウサギは草食動物と思われがちだが、実際は雑食である。前世のあたしも草食動物だと、そう思っていた……気がする。
魂の奥底に辛うじて残っている記憶を頼りに思い出すと、ウサギは我が子ですら食べてしまう事があるらしい。ママに可愛がられていたあたしからすれば、とても信じられない事だ。
「この生存競争に生き残って、聖獣として認められるのはアタイだよ! 『ガイアストレングス!』」
体長が恐らく5mはある巨大なウサギはそう言うと、何やら魔法を唱えた。ガイアとは何を意味してるのかは分からないが、ストレングスとは力を意味する言葉だ。もしかしたら、身体能力を強化する魔法なのかもしれない。
ただでさえあたしよりも大きなウサギだ。素の力でさえもあたしよりも上だろう。
そのウサギが更に強化されれば、素の力だけで言えば当然あたしに勝ち目は無い。
「土が集まっていく……!」
先手必勝とは良く言うけれど、あたしもそうすれば良かったかもしれない。
巨大なウサギが使った魔法は、どうやら土を体に纏わせた上で身体能力を強化する物の様だ。ウサギの体長は倍の大きさにまでなってしまった。
「ブハハハハハハッ! さぁ、アタイに取り込まれなぁっ!!」
今のウサギからすれば、あたしはゴミの様な存在だろう。そのゴミへと向けて、ウサギはピョーンと擬音がする様に空高くジャンプすると、手足を真っ直ぐ伸ばした体勢であたしへと落下して来た。ボディプレスと言えば分かり易いだろうか。
土を纏って倍の大きさになったウサギは、体長がおよそ10mはありそうだし、体積が増えれば重さもそれに比例して増えるので、体重も恐らく1tはあるだろう。そのウサギが100mの高さから落下して来るのだ。押し潰されれば、あたしなんて一溜りも無いだろう。
「簡単に殺られるあたしと思うなっ! 『ショックトルネード!』――ガルルルアアアアアアアッ!!!」
咄嗟に放ったショックトルネードは落下して来るウサギのお腹へと当たり、お腹周りの土を弾き飛ばす。次いで発生した竜巻がウサギへとダメージを与える筈が、何故かそのまま消えてしまった。何故だろうか。
呑気にそんな事を考えてる場合じゃない。とにかく今居る場所から逃げないと……!
ショックトルネードによって多少ウサギの落下速度が落ちた隙に、あたしはその場から逃げる。
逃げるとは言っても、当然ウサギから逃げる訳じゃない。ウサギに潰されて殺されるのは嫌だが、どの道ウサギを喰わないとあたしは餓死する。一時避難して、ウサギの土の鎧に対する策を考えないと。
ウサギの目が届かないと思われるお尻の方向目掛けて、あたしは全力で走った。
間一髪、走り始めて数歩の所で、後方から聞こえるドシーンという地響きと共に、風圧があたしの体を押す。前につんのめりそうになったけど何とか堪え、風圧を利用して更に加速した。上手い具合に、ウサギの近くから離れられそうだ。
「やったかぁ?」
巨大なウサギは、あたしの死体を確認する事無くそう言った。よく分からないけど、それは言ってはいけない言葉だと思う。あたしじゃないから構わないけど。
そんな言葉を聞きながらウサギから20m程離れた場所で地に伏せ、大きく生長した草の根元であたしは息を潜めた。
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