ビアンカ
「ミャー……ミャー」
何だろう。何処からか猫の声が聞こえる。
あれ? あたし……何してたんだっけ。
ダメ。考えられない。
どうしてこんなに眠いのだろう。昨夜、夜更かししたっけかなぁ。まぁいいや。眠いのは体が睡眠を求めてるからだよね。
おやすみ――。
って、寝てる場合じゃない、思い出した。『トラ』に餌あげなきゃ。トラはあたしが飼ってる猫の名前。白い毛に灰色で虎柄になってるからトラって名前にしたの。とっても可愛いんだ、トラ。いつも癒されてる。さっきの声、トラかも。
餌……明日でいっか。一日くらい食わなくても大丈夫だよね。眠すぎて、動きたくない。
あたしは一瞬で眠りに落ちた。
あれ? 体が思う様に動かない。目も開かないし。
眠ったのは覚えてるけど、どれだけ寝てたんだろう。
そろそろ起きないと学校に遅れちゃうよ。その前に、ママに早く起きろって怒られちゃうね。頑張って起きなきゃ。
開かない目を何とか開け、あたしは起きた。だけど、靄がかかった様なボヤけてる様な、ハッキリとは見えない。目が悪くなったのかなぁ。
「ミャー」
また、猫の声が聞こえる。意外と近くだ。
あ、トラに餌あげなきゃ。……でも、その前にあたしも朝ごはん。すっごくお腹空いちゃった。
だんだん意識はハッキリしてきたけど、やっぱり思う様に体が動かない。どうしたんだろう、あたし。
試しに右手を動かしてみる。あ、何とか動いた。次は左手。うん、左手もぎこちないけど動いたよ。
動いたけど……何だか凄く疲れる。筋トレを全力でやった後みたい。
それよりもお腹減った。朝ごはん食べたい!
「ミャー!」
こうなったら、這ってでも朝ごはんを食べに行かなきゃ!
あれ? 何か、甘い様な落ち着く様な、安心する様な匂いがする。あたしのすぐ近くだ。あ、顔の前から匂って来る。
何だか美味しそうな匂いに感じて来た。我慢出来ない。
いただきます!
「ミャー!」
また、猫の声。さっきよりも近い。
ううん、近いんじゃない。これ、あたしの声だ。あたしが鳴いてたんだ。
あれ? あたし、人間の筈だよね? どうして猫の声なんだろう。
ま、いっか。それよりもご飯!
あたしは目の前にあった突起に吸い付き、夢中でそれを吸った。匂いは甘いんだけど、味はほとんどしない。でも、美味しい。濃厚なミルクを飲んでるみたい。
もっと、もっとちょうだい!
「ミャーミャー!」
お腹いっぱい。出すつもりは無かったけど、「ケプッ」とゲップが出ちゃった。でも、とても満足した。
ミルクを飲んだせいか、お腹いっぱいになった途端に催してくる。トイレに行かなきゃ。
あたしは動かしにくい体を駆使し、トイレを目指した。
……トイレ、何処?
ああ! ダメ……!
何やってるんだろう、あたし。高校二年生にもなってお漏らしなんて。あたしの下半身は、仄かに温かい水分でびしょ濡れになっちゃったよ。お腹から足にかけて、濡れた毛が纏わり付いて気持ち悪い。匂いも気になる。
でも。
大きくて、温かくて、そして落ち着く匂いのする、ザラザラとしてるけど気持ち良い何かがあたしの下半身を綺麗にしてくれた。あたしの下半身は安心する匂いで上書きされた。
「……ミャー……」
「ガァウウ!」
お母さんの声なのかな? それにしては野太い声に感じる。でも……とても、とてもとても安心する声。
粗相をしてしまったけど出る物も出したし、お腹もいっぱいになった。
まだ起きてたいけど、お腹いっぱいになったのとスッキリした事で、凄く眠くなってきちゃった。
おやすみ、ママ。また、明日――。
☆☆☆
おそらく、一年が過ぎた。あたしは相変わらず、ママのおっぱいを吸っている。
お兄ちゃんやお姉ちゃんは既に、ネズミなどを食べ始めている。何だか、羨ましい。
「『ビアンカ』、焦らなくても良いのよ?」
ビアンカとは、今のあたしの名前。あたしはよく分からないけど、『白』って意味があるみたい。ママが名付けてくれた。
「でも、ママ。あたし、お兄ちゃん達みたいにネズミも食べてみたいよ……」
「貴女は末っ子なんだから、焦らなくても良いの。貴女は貴女よ? 貴女の生命を生きる事がママの願い。どんな事があっても、しっかり生きてね?」
ママはそう言うけれど、おっぱいを飲んでるのはあたしだけ。何であたしの体は弱いんだろう。早く、大きくなりたいのに。
ちなみに、ママは大きくて、強くて、そしてとても綺麗だ。白い毛並みに、黒い縞模様が映えている。ママは、白虎だ。
兄姉達も、当然白虎だ。ママとは違って、白い毛が白じゃなくて灰色っぽいけど。でも、やっぱり綺麗。あたしと違って。
あたしの毛並みは……くすんだ灰色に、何故か紺色のストライプ模様。どう見てもおかしいし、色が変だから恥ずかしい。何であたしだけこんな色なんだろう。……ママが優しくしてくれるから、ちょっとだけ……ちょーっとだけ嬉しいけど。
あたしの名前がビアンカってのはさっき説明したけど、やっぱりあたしには過ぎた名前よね。某国民的RPGのヒロインの名前もそうだった気がするし。……古くていまいち分からないし、記憶も定かでは無いけど。
白虎として生まれて来たあたしは、どうやら転生したみたい。そんな気がする。でも、なぜ死んだのかは思い出せない。
しかし、人間から獣に転生って……こういうのは魔王とか、勇者とか……あ、賢者とかに転生して、それでチートを貰って無双するのが普通って思ってたよ。
……まぁいっか。獣とは言え今のあたしは白虎だし、前世が人間だったとしても、今世では何の役にも立たない。だって、白虎だし。毎日を生きるだけで精一杯だ。
それよりも、あたしも早くお兄ちゃん達みたいに大きくて、強くなりたい!
だから、ママ? もっとあたしにおっぱいを飲ませて!
☆☆☆
更に、一年が過ぎた。
あたしは白虎として二歳を迎えていた。
「何故この娘は変わらないのかしら。それとも、これで大人なのかしらね?」
二歳になっても、あたしはママのおっぱいから離れられないでいる。牙も生え揃っているし、爪の出し入れも自由自在だ。大人として一人前のつもりなのよ、あたし。
でも……体の成長が無い。
感覚的にしか分からないけど、あたしの体長は50cmくらい。体高だと、35cmくらいになるかな? ママの体長が4mって事と比べれば、あたしの小ささがよく分かると思う。あたしの体の成長は一歳で止まっていた。
「ずっとママのおっぱいを飲むから、あたし、このままでも良いよ?」
「何言ってるの! ママもいつかは死ぬのよ? 他の奴らに殺されるか、それとも寿命で死ぬかは分からないけど、それまでにはビアンカも独り立ちしなきゃダメ。じゃないと子孫を残せないし、ママも安心出来ないわ。だから、いい加減乳離れしてちょうだい?」
むぅー。これまで優しかったママが、何故か冷たい。
でも、理由は分かってる。お兄ちゃん達は、既に独り立ちをしているからだ。
それなのにあたしと来たら、未だにママのおっぱいを吸って過ごす毎日だ。自分でも情けなくなってくる。
でも、まだママに甘えたい。いや、甘え足りない。
「おやすみ、ママ」
「…………」
いつもは返事してくれるのに、今夜のママは返事を返してくれなかった。昼間、わがままを言ったからだろうか。
ママの心情を探ろうとしても、そんな事、あたしには出来ない。それに、ママが冷たかろうと眠さには勝てない。
あたしは、いつの間にか寝ていた。
明くる日。あたしはいつもの様に空腹で目を覚ました。今日もママのおっぱいでスタートしよう。……そう思っていた。
「ママ? おトイレかな、ママは」
ママは、帰って来なかった。
その事にあたしが気付いたのは、次の日のお昼を過ぎた頃だった。
望む、望まないに関わらず……あたしは大自然での弱肉強食の世界へと放り出されてしまった。
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