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医療界的手記

倫理戦争①

作者: 仁科理人

精神異常者……と聞いて何を思うだろう。

社会的にニュースになる法的なものについては、誰しも頭によぎるはずだ。

ただ、グレーゾーンはいくつか存在する。誰しも身近にあるものだが、この人達はしょうがない、という先見性の庇護下にあるものもその1つだ。巷で話題のサイコパス、その言葉で片付けられたらどんなに楽だろう。明るみにはならない、グレー部分の一端について、少し書いてみようと思う。



「60歳代男性、佐竹道博さん。左前頭葉〜頭頂葉にかけて梗塞像あり。妻と二人暮らし、奥さんの通報で3日前に緊急搬送されています。元々のADLは自立していたようです。」

「意識レベルJCS I-①、呂律不良あり。右上下肢に極軽度の麻痺あり。現在安静度はベッド上です。」


そんなような申し送りをICUスタッフから受け、早足で患者の待つ病室へ向かう。


ここは若海大学病院。急性期病院であり、日々救急車のサイレンが鳴り止まず、患者の出入りが激しい、そんな病院である。私はそこの脳外科・脳卒中内科の混合病棟で働いている。鈴村捺穂、看護師3年目の冬。

冬は脳血管関連の患者が多い。満床の病室、検査や入院とせわしなく動くスタッフ。いつもの風景、いつもの業務である。


「佐竹さん、失礼します」病室のカーテンをひく。

「こんにちは」

「おぅ……おれ、ここ、、うーん。。」

「ここはA病棟です。ICUから今移動されたんですよ。今日担当します、鈴村といいます。よろしくお願いします。確認のためお名前教えて頂いてもよろしいですか」

「あ……」

キョロキョロと落ち着きがない。目線も合うが、心はここにあらず、と言った感じでしきりに何か訴えている。

「お母さん、いぃ、言ゃ、やいと」

意識レベルⅠ-③くらいで、失語が強い。ややせん妄チックかな?さっきそんな送りなかったけどな。既往歴に認知症もなかったはず。虚脱の兆候……ではないよね。バイタルサイン測定、の前に落ち着いてもらわないと。

「奥さんなら、今日の夕方にみえるそうですよ。昨日病院から連絡もいっているので、佐竹さんが入院されていること、知ってらっしゃると思いますよ」

「おらー、いく、かんだに」

視線がようやくしっかりと合う。きっと家に帰りたいんだよね。知らない部屋、スタッフで不安だよね。……でも。

「ごめんなさい、まだ大事な点滴をしているので、今日はまだ帰れないんです。お熱と血圧測らせていただきますね。」


  ……とその時。突然私の手を振り払い、患者がベッド上に立ち上がった。点滴棒が大きく跳ね上がり、ベッドはきしむ。

「かえぅぞーー!!」

「佐竹さん!」即座にナースコールを押し、応援を呼ぶ。

「大丈夫ですか?」同室患者を対応していた後輩が、顔を覗かせる。「……わ!落ち着いて下さい。横になりましょう」そしてベッドから降りようとする患者を、一緒に宥めてくれる。

「たすけぉー!」「あぁぁぁーー!」

叫びつつ、私たちの触れる手を解こうと手をブンブン振り回す。顔にこぶしは当たり、腕をつままれる。そして麻痺が軽度、且つ60歳代と若い為、手に力が入ること、入ること。『やめて、二次被害までいったらシャレにならないから。ベッドから落ちて頭打ったらどうなると思っているのよ!』

……と心の中で叫びながら、ベッドから落ちそうになる患者を支える。下で安静度守れてたのか……?絶対嘘でしょ。主治医に抑制同意書とってもらおう。

「佐竹さん、落ち着いて下さい」「誰か体幹持って来て!」「はい!」


応援が来たのち、看護師4人がかりでベッドへ患者を戻す。夜勤帯へ入る頃には佐竹さんは体幹抑制をされる状態になっていた。

後輩の元へ向かう。「さっきはありがとう、助かった。腕大丈夫……?」引っ掻き傷と、つままれた赤みとでスクラブから覗く白い腕は酷く痛々しい。「大丈夫ですよ。あれはしょうがないですもんね。それにしてもまたキャラの濃い方が来ましたね」「そうだね」

今後を予測して、二人で乾いた笑みを浮かべた。


梗塞部位、転棟初日……と、不穏になるリスク、意思疎通の困難さ、感情失禁の出現、は容易に想像できる要因がたくさんある。それは知っている。医療者なら誰でも学生時代に学ぶ。でも、いくら頭で知っていても、それらを実際対応するのは、ほぼ現場にいる看護師であり、患者からの暴言、暴力なんて、看護師にとって日常茶飯事になってしまう。

教科書では、『相手が安心できるような対応を。相手の行動には理由がある』との旨の記述があるが、正気かと本気で思う。こちらを人として扱ってくれない相手に、なぜこちらは人として接しないといけないのか。これが仕事?……一回辞書で看護師の定義を調べてみたら良い。


患者が病院から自宅に帰ってからの、家族の介護疲れや、老人保健施設職員の暴力沙汰……。そんな社会問題もあるけれど、私は真っ向から否定はできない。気持ちはわかってしまうのだ。

『そんな職業についているのに、こんなことするなんて』

何も知らない人達はそう非難するけれど、違う。

()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()。」


夕食時間。「こんにちは」小綺麗な夫人がナースステーションに顔を出した。

「今日来た佐竹道博の家族ですが。お部屋はどちらでしょうか」

記録を書いていた手を止めて、席を立つ。

「ご案内しますね」

病室まで歩きながら、話をする。「もしかして奥様ですか?」「えぇ、そうです」「お若いですね」「そんな、若作りですよ」「いえいえ、本当に。旦那さんと、お二人暮らしだったんですね。奥様が救急車呼ばれた、って聞きました」「そうなんです。あの時はびっくりして。急だったものだから……」「そうですよね。脳卒中って急ですもんね。」部屋の前に着いて、足を止める。

「……あの、話は変わりますが、ICUに居た時って、佐竹さん、落ち着きがない様子とかありましたか?」「……いえ、特には聞いていませんが」「そうなんですね。実は……」転棟後の様子をお話しする。

「それで、今、転落などをしないよう、安全面を考えた上で、抑制帯、というものを付けさせて頂いています。もちろん、ご家族様がいらっしゃる時や、私たちスタッフと一緒にいる時は外させていただきますが、お一人にしてしまう時は付けさせて頂いている状態です」「そうですか」少し表情は硬くなったが、奥さんは落ち着かれている。

「おーい!おーい!」声が響いている部屋に入る。「佐竹さん、奥さんいらっしゃいましたよ」奥さんが佐竹さんの肩に触れる。「あんた色々やったんだねぇ」「おっか、だい、だたか?」「えぇ、大丈夫ですよ」「おーら、どこ、お、おるだ?」「ここは病院ですよ。部屋変わりましたね。ICUよりいいところじゃないですか。真っ白じゃないし、ずっと部屋らしくて」奥さんがにっこり微笑む。一瞬、佐竹さんの表情も緩んだ。

「また何かあったら呼んで下さい」抑制を外して部屋を出る。再度患者の声は響く。「ちっ、うるさいな」廊下ですれ違った他患者に舌打ちをされる。「ご迷惑おかけして、すみません」業務用の表情で、対応した。

専門知識もないのに、あの状態の話をされ、抑制の話をされ、元々の入院前の状態と大きく変わってしまった配偶者を、そっと受け入れる。入院してまだ3日。普通は受け入れられない家族も沢山いる。そちらのほうが理解はできるのに。あの奥さんの、愛はすごい。



さて、再度考える。精神異常者とは何だろう。

脳に障害を受けた人間か、人間を抑制帯などで縛ってしまうスタッフか。理性の欠けた人間を受け入れられない人間か、はたまたそういった人間達を取り巻いている現状から、目を背けて批判してしまう社会全体か。


結論は出ないし、法律外の暴言暴力に向かう日々も変わらないけれど、それでも一瞬でもみえた、あの人間らしいふとした表情を、守っていけるような関わりをしていきたいと、私は思う。

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