狩嶋鍼灸院は今日もヒマ ③
三波さんは腕をじっと見ている。こういう時はスバヤク打つのが鉄則。
ゆっくり鍼管を近づけるとお客は怖く感じる。恐怖感があると、効き目が悪くなるから、それを避けるわけ。
いつ打つのかな、と思っているうちに鍼の頭をポンと叩いてツボに届かせる。俺の得意の早業だ。
「おっ、これは、また来るね」
「でしょう?」
「首まで響くよ。腕から首に冷たい水が流れ込むみたいな感じ」
「それですよ。もうひとつ、これで最後」
さらに早業を使おう。最初のモーションをゆっくり。鍼を打つ直前の動きをスバヤク。
そうすると、最初のゆっくりしたモーションが続くと勘違いしているうちに、もう打ち終わっているというわけ。
怖いなんて感じている時間はない。
「ひえー、何これ? 首が軽くなった。まるで、何もないみたい」
「これが鍼の効果です。スゴイでしょう?」
「スゴイ! 伸君、親父さん超えしちゃったんじゃない?」
「え、そうですか?」
三波さんはさすがだ。俺の腕のスゴさをわかっている。
「いやー、まいったなー。それほどでもないですけど。父さんの腕を超えちゃったかもしれないです」
「鍼、ちゃんと抜いてね」
「あ、すいません。すぐ抜きます」
「もう、ぜんぜん痛くない。それに何だかスッキリしたよ」
それは当然だ。俺はただ痛みを治すだけのセコイ鍼は打たない。
痛みを消して、そのついでに、気のめぐりにドライブをかける。
気が経絡に溜まった毒を洗い流せば、体は軽く、気分は爽快。これだけの鍼は、なかなか打てるものじゃない。我ながら、いい鍼打っている。
「おいくらだっけ?」
「五千円ですけど、三波さんの打たれっぷりがいいので、半額でいいですよ」
「ホント? 悪いね」
「いえいえ、医は仁術。カネのためではありませんから」
「はい、じゃあ、これで」
「毎度、ありがとうございます」
「ところでさ、最近、権蔵さんがよく来てるみたいだね」
「爺ちゃんですか、確かに、毎日来ますけど……」
「体の具合でも悪いの?」
「いや、治療じゃありません。毎日昼頃に来て、碁の本読んだり、ネットで対局したりしてます」
「じゃあ、元気なんだね」
「元気すぎるくらいです」
「だったら、たまにはウチに来るように言っといてよ。新潟の地酒が入ったからさ。伸君もよかったら一緒に来てね。じゃあ、また」
さすが三波さんだ。いいことを言う。
爺ちゃんは、普段はケチだけど、酔っぱらうと気前がよくなる。
一緒に三波さんの店に行って、爺ちゃんを酔わせ、俺はおいしい焼き鳥を腹いっぱい食べる。いいぞ、この計画!
「ちょっと、狩嶋さん、また半額にしたでしょう?」
「美織……どこに行ってた?」
「裏庭でキャタピラちゃんたちの世話をしてました」
「キャタピラちゃん? まだイモムシ飼ってるのか?」
「もちろんです。チョウチョになるまで育てますよ」
「うえー、気持ち悪っ。そういうのは、自分の家でやってくれ」
「やですよ。ママにしかられるもん」
「俺もやだ。ここは俺の家だ。イモムシを飼うのはやめてくれ」
「この建物はパパのものでしょ」
「俺が借りてるんだから俺の家だ」
「家賃払ってないじゃん」
「痛いところを突いてきたな」
「どうして家賃払えないか、教えてあげましょうか?」
「聞きたくない」
「今日は言わせてもらいます。狩嶋さんは、経営というものがわかっていません」
「なに?」
「お金もないのに、すぐに治療費を半額にする。これは大問題です」
「それはだな、また来てもらうためだよ。リピートしてもらえば、値引きしてもトータルでは儲かる。これがカシコイ経営ってものよ。まあ、美織はまだ子供だから、わからないだろうけどな」
「リピートですか。ふうん」
「何だ、その、ふうんてのは?」
「この鍼灸院、リピーターいます?」
「あまりいない」
「あまり、じゃなくて、ぜんぜんいません」
「それはだな、俺の腕がよすぎるからだ。俺は一回打てば完璧に治す。だからリピートする必要がないわけ。お客がリピートするのは、鍼師の腕が悪いからだ」
「じゃあ、やっぱり、リピーターはいないじゃないですか。なのに治療費は半額にする。これで経営が成り立ちますか?」
「理屈を言うなっ」
「あーあ、バイト代も踏み倒されちゃうのか、つらいな……」
美織の実家は地元では有名な大金持ちだ。この近所にたくさん土地を持っていて、ビルなんかも建てている。この鍼灸院の建物も、父さんが美織の父さんから借りているものだ。
美織はバイトなんかする必要はないはずなのに、なぜか俺の鍼灸院でバイトをしている。
俺の鍼灸院は儲かっていない。だから本当はバイトなんて必要ない。
俺が美織を雇っているのは、美織の父さんから頼まれたからだ。何しろ家賃をほとんど払っていないから、美織の父さんには逆らえないわけだ。
案の定、バイト代はロクに払えていない。それでも辞めるつもりはなさそう。
まあ、バイトと言っても、好きなときに来て、好きなときに帰るだけ。大して働いていないから、遊び半分のつもりで始めたのかもしれないけど、今では違う。
俺は最初から美織のアツイ視線を感じていた。特に最近はスゴク感じる。美織が俺の後ろ姿、特に耳の後ろあたりをじーっと見ているのを俺は知っているのだ。
まあ、美織が俺のことを好きになるのは仕方ないか。だって、俺は天才だからな。女子が男の才能に惚れる。これは自然の摂理だ。
俺としても、いないよりはマシだと思っている。やっぱり女の子は奇麗好きだし、若い子がいると、お客も喜ぶ。
それに、まあ、正直言って、美織はカナリ可愛い。性格はキツイけど。
「バイト代のことなら安心しろ。今日、まとまったカネが入ることになっている。そのカネが入ったら、今までのバイト代を耳をそろえて払ってやる」
「ホントですか? とうとう悪いことするんですね?」
「悪いことだと?」
「ドロボウ? オレオレ詐欺?」
「そんなことするわけないだろう。俺は他人を苦しめてカネを稼ぐようなワルい人間ではない」
「じゃあ、どうやって?」
「裏バイトが入ったんだ。一回で五万円」
「一回で五万円って、すごいですね」
「まあ、それも俺が天才鍼師だからだ。と、いうことで、今日はもうクローズ。俺はこれから出かける」
「どこへ?」
「すぐそこ」
「すぐそこって、どこ?」
「彦坂総合病院」
「病院でバイトですか」
「まあ、大きな声ではいえないけどな」
「もしかして、薬の実験台ですか?」
「違う。治療だよ、治療!」
「病院で?」
「当たり前だろう」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫に決まってるだろう。俺は天才だぞ」
「だって、狩嶋さん、無免許ですよね?」
「え? なぜそれを?」
「みんな知ってますよ」
「ウソだろ。みんなって誰だ?」
「患者さんとか、うちのパパも知ってますよ」
「マジか?」
「みんなよく捕まらないなって言ってます」
おいおい!
「いいか美織、これから誰かが俺のことを無免許だって言ったら、狩嶋先生はちゃんと免許を持っているって言ってくれよ」
「嘘を言えばいいんですね?」
「嘘じゃない。ファンタジーだ。免許はあります、二百回以上見ました。いいな?」
俺は中学生のころから父さんの手伝いで鍼を打っていた。中学生だから、もちろん免許なんかもっていなかった。
俺は鍼を打っているうちに自分の才能に気がついちゃったわけだ。だって経絡もツボもみえるんだから。
あのころのノリで今でも鍼を打っているけど、鍼を打つにはホントウは免許がいるらしい。
少しだけ気になっていたけど、誰にもバレてなさそうだから深く考えたことはなかった。
だけど、美織まで俺が無免許だと知っているとなると、俺が知らないうちに、かなり噂が広がっているようだ。これはマズいのでは?
でも、深く考えないのが俺流。
「ところで、病院で治療って、誰かに頼まれたんですか?」
「内科部長から頼まれた」
「内科部長って、公麿さん?」
「どうして知ってるんだ?」
「だって彦坂院長はパパのゴルフ友達だもん。院長、公麿さんのことでは、ずいぶん悩んでいたみたいですよ」
「悩んでいた? どうして?」
「公麿さん、なかなか医学部に受からなくて……たしか、十浪だったかな」
「いや、そこまでヒドくない。八浪だ。しかも裏口入学。医師免試験には五回落ちてる。きっと何か悪いことして合格したんだ」
「そっか、たしかに医師免許もなかなか取れないって言ってました」
「公麿に免許を出すのはマチガイ。公麿は心臓の数がいくつあるかも知らない。それくらいのレベル」
「そんな人が部長なんて、大丈夫なんですか?」
「院長の息子だからこその荒業。優秀なスタッフを集めて、公麿に診療させないようにしているみたいだ」
「じゃあ、内科部長っていうのは名前だけ?」
「それならいいけど、公麿は自分で診療したがるんだ。しかもなぜか自信満々。たぶん甘やかされて育ったせいだな」
「患者さんがかわいそう」
「同感。そこで俺が登場するわけさ」
「?」
「公麿が治せない患者を俺がナイショで治療しているわけ。公麿にもメンツがあるからさ、病院の先生には頼みづらいだろ? そこで口が堅い俺がこっそり治してやる。その代わりに、たっぷり代金をいただいている。そういうわけで、ウチにお客が来なくてもダイジョウブなのだ。どうだ、驚いたか?」
「本業をおろそかにする人は、何をやってもダメだって、パパがいつも言ってますよ」
「パパ、パパって、自分の意見を持ちなさいよ。じゃあ、俺は出かけるから、あとはよろしくな」
俺は白衣を持って外に出た。