目の前で、膝をついて!
ぽっかりと穴が空いた感じとは、こんなことだろうか?今は私には何も出来ない。何も力になれない。
ベッドの前に膝付き、ずっとグレイ様の手を握りしめている光景は余りにも痛々しい。
最後にグレイ様が正気に戻られたことだけが、せめてもの慰めだろう。
シャルロット姉様のお母様、リーナ様にはお薬を処方するだけで他は何もしていない。これで治る見込みがあったからだ。
王様には、変な独特な呪術が掛けられていた。
だからとりあえず、呪術を封じるため呪印を描いた場所で生活してもらっているが、次第に掛けられた術が薄らいできたようで、断片的に記憶を取り戻し始めた。
残るは、お姉様ただ一人だけ。
グレイ様の遺体は、傷まないようにしたのだが、それが過ちだった。
何度となく、話し掛けても生返事しか返事が返ってこない。そろそろ動いてもらわないと困る。
私もアズールに帰らねばならないだろうし、それ以上に今度狙われるのはお姉様だと思うからだ。
そんな私の悩みを消しとばしたのは、他ならぬお姉様本人だった。
約一週間が過ぎた後、グレイ様の遺体は埋葬された。
アストラーナ帝国の墓地ではなく、海辺近くの王家の別荘地の庭が選ばれた。
その候補地を進言したのは、やはりシャルロット姉様であり、王様もそれを許す以外にシャルロット姉様のお気持ちを察することなどできなかった。
また、グレイが隣国に操られてはいたものの、これまでの武勲を考慮すると、アストラーナ帝国の英雄として扱いたいというシャルロットの主張は、最もなことという結論に達した。
グレイ様の髪の毛を切って、自分のスカーフに包んで、懐ろにしまうシャルロット姉様の後ろ姿は、未亡人の後ろ姿にそっくりだった。
埋葬する棺には、シャルロット姉様が切り落とした髪の毛を輪っかにしたものを入れている。
シャルロット姉様の長く綺麗な髪の毛は短く切り揃えられて、今はショートカットとなり、服装も艶やかなものを避けて黒っぽい服しか着ない。
やはり心の中だけでなく、未亡人としての振る舞いをしている。それは私との距離感が遠くなるような印象を私の心の中に植え付けた。
「……しゃ。ミーシャ」
「あっ、はっ、はい。お姉様、如何されましたか?」
「いつまでもグズグズしていては、敵討ちの前に私の命が無くなってしまうわ。そろそろ敵討ちをするから、あなたの力を貸して欲しいの。でも、あなたは直に手出しはしないでください。手を汚すのは私一人で十分だもん」
「あ、いや、それでは私の気持ちは収まりません。
私も剣を取り、お姉様と共に戦います」
「いーえ、あなたには別の仕事があるから、それをしてもらいたいんだ。私が負傷した時に手当してもらいたいから」
「そんなことは、戦いながら出来ますし、もっとお役に立ちたいのです」
「ミーシャ、私はダバンに攻め込むつもりはないわ。
だって、ダバンの人が全て悪いとは思えないわ。
あの国にも、かわいい子供達がいると思うし、そのご両親もいることでしょう。
共和国だから、私達との戦争が始まると皆がかり出され、大切な親を失くす子も出てくることでしょう。
それは、我が帝国の兵士も同様なことと思う。
だから、無益なことはしないのよ」
「では、いったいどうされるのでしょうか?」
「まずは、国内にいるダバンの術者と密偵を捕らえましょう。それはあなたにしか出来ないことだから、お願いします」
お姉様の指示の下、私は王宮の気配を探りまくった。
いざ、意識を集中するとお姉様を捕らえていた時のグレイに似た思考にぶつかる。
王宮内のだいたいの位置は分かるので、お姉様と少数の王宮騎士団で確保に向かう。
相手はメイドであったり、有力貴族の子息であったり、それこそ王宮騎士団の中にも怪しい者がいた。
それらの者を捕らえる時には、細心の注意を払って騒ぎを起こさず、私が調合した薬を使って眠らせる。
睡眠草という高山でしか取れない山草の煮汁から作り出した粉薬を使う。
多少は強引だが、風に乗せて粉薬を体内に入れてしまえば、すぐに大人しくなってくれる。
他にも飲み水に混ぜたりして、簡単に捕らえることは可能だった。
王宮の中は、あまり敵はいなかったのだが、グレイの居城には、かなりの術者が見つかった。
仕方なく王宮騎士団で全員を捕らえてから、選別をして、捕らえる者は容赦なく王宮の地下牢に連れて行った。
この時点で、王様は復活していたが、王宮騎士団は、お姉様の配下に置かれ、その補佐役としてギルバート伯爵が副騎士団長として迎えられた。
王様は急速に王宮内の再編をはかりつつあったが、幾多の有力貴族からの横やりも熾烈を極め、それを黙らせることに没頭するしかないようだった。
「ふぅ、なんだか疲れたわ」
「お姉様、少し無理し過ぎです。
そろそろ、休息して睡眠をお取りください」
「ダメよ。まだしないといけないことが沢山あるんだからね」
「じゃあ、紅茶が来るまで目を閉じていらしたらどうでしょうか?かなり目の下のクマが目立ちます」
「そう? なら、そうするわ」
シャルロットお姉様はいつ寝てるのか分からないほど、色々なことをさばかせている。
今、やっとギルバートに宮廷の警護を任せたところと言っている。
ほーら、目の前に座るお姉様は、一分も経たずに船を漕ぎはじめた。私の知る限り、三日は寝てないだろう。
自慢の肌もボロボロになり、髪の毛もかなり傷んでしまっている。認めたくないけど、髪の毛に白いモノがまざっているみたいだ。
だけど、私にはシャルロットお姉様を止められない。
たぶん、誰にも止めることなど不可能なはずだ。
程なくして、メイドが紅茶を運んで来てくれたから、私の薬をそれに混ぜて、シャルロットお姉様を起こした。
「お姉様、紅茶が来ましたよ」
少し強く身体を揺さぶり、強引に起こした。
お姉様も気が張っているのだろうか?すぐに反応して目を開ける。だが、見た目にもすぐに分かるほどつかれがたまっているようだ。
怠そうな仕草でカップに口を付けると、決して上品とは言えない飲み方をした。そう、一気に飲み干したのだ。
「ぶはぁ、美味しい!なんだか、生き返るわ。
それに、なんか少し身体が軽くなったみたいだし、たまにはいいわよね。じゃあ、また頑張りますね!」
颯爽とドアを開けて出て行くシャルロットお姉様には、私の薬の効いているということを知らない。
あの薬がお姉様の疲労を軽くしているということは、相当に疲れがたまっていたという証拠でもある。
しかし、根本的には、ちゃんと休んで疲れを取らねば、決して楽にはならない。
だけど、お姉様に残された時間を考えるとこんなことしかしてあげられない。あの髪の毛が命のかげりを物語っているみたいで、私の方が気が気ではない。
こんなに無力な自分に無性に腹が立つ。
再び、お茶する時のためにさっきの薬のストックを用意しておこう。
それだけが、いま、私が出来ることだ。




