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グレイという奴!

 なんだかムカムカが収まらない。

 あの優男をギャフンと言わせたい。


 しかし、お姉様をお助けする方が先だから、次の機会にするべきか?


 いやいや、機会なんていつでも作れるものなのだから、初めから諦めていては意味が無い。


「さあ、そろそろ大広間に行きましょう。

 晩餐会が始まるわ。それでは、あの娘の後について行きなさい。

 私がご一緒すれば、怪しく思われるから、今からは別行動をとりましょう」


 ナターシャはそう言って、部屋から出て行った。

「さあ、参りましょう」


 ナターシャが指名した美人なメイドは和かに私に微笑むのだが、はいそうですね。……とは返事ができない。

「少し待ってください。化粧室の後にしてください」


「はい、お待ちしております」

 軽く会釈しながら、返事が返ってきた。


 そそくさと化粧室の中に入るとパタンと後ろ手でドアを閉めて、更に鍵もかける。

 鏡の前に立って、身だしなみを再確認して、その後が本来の目的だ。


 新しく調合したお薬を瓶のままでは渡せないから、正絹のハンカチに四隅から吸わせて、分量の調整で色とりどりの絵柄に仕上げる。


 その後に髪を結った留め具に仕込んだピンナイフを三本取り出して、念入りに猛毒を染み込ませる。

 ピンナイフの刃には、微かにしか見えない無数の凹みがあり、その中に白い毒が満たされる。

 白刃なので、本当に目立たないし、ナイフの刃を洗い流しても、ホール内の毒は逃げない作りになっているので、余分な毒は洗い流して拭き取ることができる。


 もちろんだが、私にはこの毒は効かない。

 正直に話すと、ほぼ全ての薬の類いは私をどうこうすることは出来ない。

 これは、代々受け継がれた能力だと知らされている。

 賢者は世襲制では無いのだが、先代が賢者を辞めると別の者に持っていた能力が移るらしい。


 そして、賢者を辞める時期も決まっていない。

 今までの賢者達の記憶を辿ると、短くて二月、長くて二十数年だったのだが、私の場合はかなり例外だと思う。数十年は経つというのにまだ普通に戻れる気がしない。


 せめて、シャルロット姉様を助け出してから普通に戻りたいけど、その時にこの姿を留めているかもわからない。昔からの噂なら、私はおばあちゃんになるのだろうか?私の時間は止まったままだったから、その反動が一気に訪れてしまうとしても否定出来ない。

 でも、でも……その時はその時だよね。

 大好きなシャルロットの役に立つことが出来るのなら、どんな姿になろうが構わない。


 私に、一人ぼっちだった私に、限りない愛情を与えてくれたお姉様のためなんだから!

 ここで何もしないのなら、私の生きている価値はゼロになってしまう。

 シャルロット姉様は、この世界を変える人だと思う。

 アストラーナ帝国だけでは無く、この世界の仕組みまで変えてしまう人かも知れない。それだけの魅力とパワーを持っている。

 だから、私はやらなければいけない。

 それが私の生きる意味だと思うから!


「賢者様、そろそろお願いします」


 先ほどのメイドから催促の言葉が掛けられ、私は洗面所のドアを開け一歩踏み出した。そして後手で開けたドアを静かに閉じた。


 連れられて来た会場には王家特有の華美な装飾に静かに流れる音楽、生のオーケストラがいるとはアズールよりも贅沢な国なのだろう。


 大広間には、執事数名とメイドがズラリと並び、ダイニングテーブルの上には豪華な食事が所狭しと並んでいる。

 その大きなダイニングテーブルには二人しか座っておらず、かなり違和感があった。


 白い礼装の軍服を着た美男子と先ほどまで仲良く話していたナターシャ様の二人だ。

 普通なら、主役のシャルロット姉様に王様、シャルロット姉様のお母様がここにいると思うのだけれど、これでは自ら普通じゃないと物語っている。

 それを察したのか、白い礼装の男が話し始めた。


「王様はお忙しいとのことで、ご無礼を申し訳ないと伝えるように仰せつかった。アズール皇国の国王には宜しくお伝えください。シャルロット王女は、婚儀の用意で無理をして体調を崩し、伏せっています。本来なら私とシャルロット王女が並んで、歓談しながらの食事というのがスジでしょうが、ご容赦ください。王女のお母様であるリーナ妃様は王女に付きっきりのため、今回はナターシャ妃様とシャルロット王女の夫となる私、グレイ公爵の二人で歓迎の宴を催すことにご容赦ください」


 グレイが頭を下げるとナターシャも同じように頭を下げた。

 チラリと周りを一瞥してから私も返事をした。


「どうぞ、頭を下げないでください。

 私の訪問は急でしたので、皆様のご都合が合わないのは仕方のないことです。アストラーナ帝国の国王様にはおめでとうございますとお伝えください。ですが、差し支えなければシャルロット王女様には直接、おめでとうございますと伝えたいのですが、ほんの少しの時間でも良ければお会い出来ませんか?

 シャルロット王女様にはアズール皇国にお越しになられた時に色々と可愛がって頂き、私としてもかなり心配しております。どうぞご配慮をお願いいたします」


 スッと席を立って、グレイに向けて深く頭を下げた。


 私の姿を見て、ナターシャが何かを言おうと動くのをグレイが咄嗟に制した。


「シャルロット王女は、まだあまり気分が良くないと聞いています。今朝も私がお見舞いに行っても少しの時間しか会ってはくれなかった。ですから、すみませんが起きてる時ではなく、眠っている時で良ければ会ってあげてください」


 しれっとした顔で平然と嘘を言ってのけるグレイと私のことを甲斐甲斐しくかまってくれたナターシャ妃では役者が違う。もちろんグレイの方が一枚も二枚も上だと確信できた。


 おおかた、ナターシャ妃に対して、シャルロット姉様の飲み物にでも睡眠薬を飲ませろという指示を兼ねていたに違いない。


「ミーシャさん、お食事の後、お風呂に入られてゆっくり休んでいてください。頃合いを見計らって私が使いの者をあなたの部屋に向かわせます」


「はい、お妃様ありがとうございます」


 顔には出さず、心の中で喜んでいるといきなり皮肉が飛んできた。


「ほう、ナターシャ様は賢者様と親しいのですか?」


 ナターシャ様がしまったという顔で、私との話をなんとか説明しようと考えているのが見て取れる。

 グレイの顔は勝ち誇ったみたいで、私の気持ちとしては放っておけなかった。


「お妃様とは、私の今着ているドレスのことでお世話になりました。着の身着のままで、こちらに来たものの、晩餐会まで催していただくとは思いがけず、着る服が無いことをメイドに話したところ、シャルロット王女様の幼少の頃のドレスを持って来ていただきました。そこで知り合ったという訳ですが……、それが何か?」


「いや、それはさぞかしお困りだったことでしょう。

 まあ、女性のことは女性に任せるものですし、他に困った事があれば、私に申し出てください」


「……ありがとうございます」


 早速あるのでけれど『では、シャルロット姉様を自由にしてください』って言っても無理でしょうね。


 少しの時間、食事をしながらの話しは頭の中を通り過ぎるだけで、グレイの考えを読もうと集中したが、強力なブロックが掛かっていて収穫はなかった。

 予想どおり、私には隙を見せずに感情をコントロールしていたようだ。

 唯一、読めたのはナターシャ妃への怒りの感情がどす黒い色となり、私に突き刺さったことだけ。

 この異様な鋭さは、人間のものとは到底思えない。

 まだ何か隠されたものがあるのかも知れない。


 でも、まずはお姉様をお助けするのみ。

 私の命と引き換えになっても、助けてみせる。

 あんな奴と結婚なんて、本当に悲しくなるわ。

 お姉様、あと少しだけ待っててくださいね。


 新たな誓いを胸に私は湯船に浮かびながら、幸運の呪文を幾度となく呟いた。

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