父親ですか?
父王の執務室にはグレイから後手に縄で結わえられた格好で入る事にした。
このため少しばかり遅くなったが、その原因は人災だから、先ずは父王に遅れたことを謝らねばならない。
重厚なドアをグレイが開けて僕に入る様にジェスチャーするが、まだ少し顔が赤い。
この顔が赤いことには理由がある。
かなり恥ずかしいのだが、決してグレイのせいでは無い。
女とは厄介な生き物だと久々に思ってしまったよ。
「別に、そこまでしなくても、よろしいのではないでしょうか?」というグレイの気遣いの言葉はあったのだが、実を言うと今の僕がグレイの為に出来る最良の策だからそこまでしたのだと言える。
「きっちり結んでちょうだい」
後ろに回した手を、縄で結ぶためにグイッと引っ張られると細い手首に痛みが走る。
「ああっ、いっ、いたいわ……。
お願いもっと優しくして……、お願いだから」
痛さに負けて、つい言葉に出てしまったが、とても恥ずかしい事を口にしたと気付くのには遅すぎた。
グレイの顔も真っ赤に染まってしまうし、ルナやアルテミスはニヤニヤしているし、今にも僕の顔からも火が出てしまいそう。
『げふんげふん』と咳払いして、そそくさとグレイは何事も無かったかの如く、再び結び始めるが……。
隅のキッチンの方では既に流行り言葉になってしまっている。
若いメイドが遊び半分に茶化す。
「あら、もっと優しく淹れてくださいな」
ニヤニヤしながら紅茶を淹れる姿がみて取れるのだが、明らかに僕達を見ながら会話をしている。
くっ……ちゃんと聞こえてるんだからねっ!
それに、紅茶を淹れるのに優しくも何も無いだろう!
そんなに通る声であんな事を言うなよ。
ほら、再びグレイが赤くなっている。
これでは縛りにくいだろう。
そう思っていると、またまた誰かがわざと言う。
「ああん、いったーい。
間違えて針で指を刺してしまいましたわ」
僕のハンカチに刺繍をしていた他の若いメイドが追随する。
ここで、無心に努めていたグレイの手に力が入ってしまった。
「ああんっ。いたいわ、やめて!」
言った瞬間に、しまったと思ってしまう。
また、格好の餌食になる事請け合いだ。
ルナが飲みかけの紅茶を吹き出し、アルテミスの顔に掛かってしまったし、裁縫していた娘も本当に深々と針を指に刺してしまうし、グレイは素早く土下座して謝るし……。
僕は悪くないんだからね!
…………たぶん?!
グレイの顔を見ると、自分まで恥ずかしさが込み上げてしまう。
前の世界では、独りでネットの中のあんな場面を偶に見て楽しんでいたのだが、今の立場は逆なので一切笑えないし、『本当に痛いのだろうか?』と心配になる事もある。
そんな事が起きないように逃げ回ってはいるのだが、いかんせん、力尽くで対抗されたら逃げようが無い。
前の世界の様に、電話1つで警察が駆けつけてくれる訳では無いから、そこはとても怖いことだと思っている。
この世界の中で、僕よりも綺麗で可愛い女の子なんていないから、特に神経質になってしまうのだが、今は多少、剣が使えるので、かなりマシになったと言えるだろう。
頭の中での独り言が終わる頃に、父王がやって来た。
「グレイよ、ご苦労であった。
何だ。あっさり捕まりおったか?
シャルロットよ、お前を殺さずに生かしていた訳が分からなかったのか?
私の言ったことに背いた罪は重い。
その罰を今から言い渡す。
では、これが最後の命令だ。
シャルロットをアストラーナ帝国の王女として、ここに再び認め、ダバン王にお前を和平の印として贈る事にする。お前はダバン王の妾となり、一生を送るがいい。では、さらば!」
僕の話す時間も取らず、言いたいことのみを伝えると、父王は奥の扉に向かい足を進める。
これが最後のチャンスだから父王を逃してはダメだ。
「父王様、私はアズール皇国の賢者に会って来ました。その話の内容に興味はございませんか?
多少なりとも興味がおありならば、5分程度のお時間を私に割いて頂けないでしょうか?
父王様に興味が無いようでしたら、命令どおり私は今からダバンに向けて出発します。
しかし、どうしてもお知らせしたい事があるのです」
両手を胸の位置で握り合わせ、腰の高さまで頭を下げる。手の形は丁度お願いをしている様な形となっているが、これがこの国の正式な礼の時の作法。
ここまで礼儀を通す事は、父王と言えどもした事は無い。
慣例的にこの国の王位継承権を持つ者は、王に対しても腰まで頭を下げ無くてもいい事になっている。
今までも深々と頭を下げる事は有ったが、作法に則り行ったことは無い、つまり立場としては、下げたことは無かった。
父王は、昔から僕にはとても甘くて、大概の事は許して貰えた事もあり、その恩恵はかなり大きかった。
これまでの礼は父親に『ごめんなさい』という気持ちを表す手段に過ぎなかった。
しかし、今回の意味は違う。
父王もそれを感じ取ったのだろうか?
僕の方に身体を向け、戻って来る。
「グレイよ。
シャルロットの縄を解いて、少し外せ」
グレイは「ハッ!」と父王に言うが早いか、僕の縄を解くと、最敬礼してから部屋を出る。
縄を解かれた僕は、両手を前に出して縄の跡を摩りながら、父王に再び軽く頭を下げた。
「シャルロットよ。手早く話してみよ」
…………。
んっと、何も考えて無かった……。
どうしよっかな?
嘘を吐くしか方法は無いが、バレるとまずいし、剣で父王を倒してしまうのはもっとまずいだろうな。
仕方ない、これが最後の最後だ。
とっても嫌だが奥の手を使うしか方法が思い浮かば無い。決意すると僕はいきなり父王に泣きながら抱き付いた。
「お父様。わ、私……。
私は、傷物にされてしまいました」
咄嗟に父王の胸に飛び込むが、流石の女たらしの父親は頭では罠と分かっていながらも、これまでに数々の女性で鍛えられた条件反射が発動して、僕を優しく抱き締めてくれる。
……エロい父親で助かったよ。
「そうか、そうだったのか……」
今の父王の雰囲気は、呪縛が切れている様にしか見えない。
呪縛よりも父王のエロさが勝った瞬間だが、どうしても褒める様な事とは思えない。
しかも、片手はしっかりと僕のお尻を触っている事実も受け入れられない。
『仕返しは、たっぷりさせて頂きますからね!』という復讐心がフツフツと頭の中に浮かんで来る。
左手でドレスのポケットに入れていた水色の薬瓶を取り出して、父王の首の後ろに両手を回した。
呼吸を止めて、薬瓶を開けると揮発性なのだろうか?
白い煙が僕達の頭を覆った。
煙が濃くなる前に目を閉じて、薬瓶のコルクで出来た蓋を閉める。
しばらくじっとしていたが、父王が僕のお尻を触る手の動きが止まると同時に父王の力が全身から抜けて、僕を押し倒す様に倒れて来た。
必死に抵抗するが、『バターン』と大きな音を立てて遂に2人とも倒れてしまった。
その音を聞きつけて、グレイが扉を開けて入って来るが、僕と父王の姿を見て、呆然と立ち尽くす。
丁度、父王が僕に覆い被さる格好になっている。
グレイからは僕が父王から襲われ中に見えるだろうし、相手は帝王だから手を出せない。
まあ、立ち尽くすしか無いだろうが、早く誤解は解か無いといけない。
「グレイ、お父様がいきなり倒れられたの。重いから、早く助けてください。それとお父様にお医者様を呼んでください」
呆然と立っていたグレイは、僕の説明を聞いて素早く父王を退かして、僕を助けてくれたのだが、助けた後、こっそり父王の足を蹴ったのは、たぶん僕の見間違いでは無いだろう。




