ただいま!
「お姉さま、私をここに置いて行かれるのですか?
1人では危険です。私もついていくと言ったばかりじゃないですか!」
怒りを堪えずに僕にぶつけて来るミーシャに思わず顔が綻んだ。
いいね。
なんか、こんな言葉って嬉しいな。
家族がいない僕にとって宝物に近い。
「ミーシャ、あなたの気持ちは分かるのだけれど、その危険な所にあなたを連れて行くことは、私には出来ない。私が多少は強いことをあなたも知っているでしょう。だから、私は大丈夫だよ。
実を言うと、今は安心して帰れる家が欲しいな。
そうなら、全てが終わってゆっくり出来るわ。
だから、その場を守るのがあなたの役目とするね。
よろしく、ミーシャ」
ミーシャは必死に首を振り、聞きたくないとのジェスチャーをしているが、絶対に戦いの中にこの子を連れて行きたくはない。
「ミーシャちゃん、あなたは大事な役割をシャルロット姫が与えてくれたことに気づいてないの?
あなたの所に帰って来たいって言葉には、あなたがどんなにシャルロット姫に近くて親しい存在と姫が思っているかが窺えるわ。
まだ出会って、2、3日なんでしょう。
どうしてこんなに、あなたのことをそばに置きたがっているのかは私には分からないけど、それだけは確かなのでしょうね。
私もイザール様が辺境の盗賊の討伐に行かれる時には、あなたと同じで、ついて行きたくなるわ。
でもね、それよりも私にはしないといけない大事な事があるのよ。それは、私にしか出来ない事だから、誰にも譲れないし、譲る気もないのよ。
それって、何だか分かる?
……分からないみたいね。
あのね、それは私の側に居てホッとしてもらうことなのよ。洗い立てのシーツや冷えた葡萄酒に、好物だらけの手料理、ついでに私の笑顔がセットになってるわ。
だから、イザール様は都に帰ると、すぐにここに帰って来てくださる。
──安らぎを求めて──
そして、その中で私達は幸せだと再び感じるし、そこからが次の出発点に変わるわ。
そんな大事なことをあなたに託したのですから、姫の心を大事になさい」
「……そっか、あの………シャル姉さま。
ごめんなさい。
私はこの国で無事を祈って待っています」
涙目で僕を見上げるミーシャの髪を愛おしく撫でる。
僕も言葉が出て来ない。
昔より泣き虫な事は確かなんだけど、1人でいる時には味わえない気持ちが多すぎる。
「うん、お願いね」
一言だけ伝えて、ミーシャを軽く抱き寄せた。
さっきのシャンプーのいい香りがする。
ミーシャの華奢な身体を引き離して、次にイザールに向かいお願いをした。
武器と着るもの、郊外の一軒家の手配。
武器と着るものはすぐに用意出来るが、郊外の一軒家は無理と断られた。
理由は値段ではなく、郊外に僕を住まわせることは出来ないという理由で、城の近隣の貴族が住んでいた屋敷を探すということになった。
国賓であり、アストラーナ帝国と意義ある交易をもたらした使者であり、元は帝国の王女かつ稀代の美少女をあばら家に住まわせる訳にはいかないらしい。
まあ、自分もイザールから同じことを言われたなら、応じなかっただろうから、よく分かる。
「で、シャルロット姫の作戦は何かあるのか?」
真剣モードに切り替わり、イザールの顔は戦場のそれに変わってくる。
「ええ、素晴らしい作戦があるわ」
「それは、一体どんな作戦か聞かせてくれないか?」
「ええ、いいわ。とても簡単よ。
ただいまって言って帰るだけだから……」
皆さんの動作が固まり、シーンとなる。
「それは危険じゃないか?」
あまりにも無謀過ぎると言った表情のイザール。
「いいえ、私に命令出来るのは父王だけです。
正面から入って、自室に戻るだけのこと。
女を相手に何かをするとは思えません。
せいぜい、自室に謹慎することで事足りるでしょう。
その間が、私には重要なのです。
父王と兄上を操る存在を突き止めなければなりませんし、その得体が知れない者から、殺されるかも知れない。
しかし、父王や兄上を解放する前に、その者を排除しなければ何の解決にもなりませんから……」
ゴクリと唾を飲み込んだのは、イザールだった。
「よくそんな発想が出来るな……。
呆れるを通り越して、感心するぞ!
門の前で殺されるかも知れ無いし、誰も王宮の事だから助けたり、手伝ったりなんて出来ないんだぞ。
まあ、あながち絶対に無理とは言えないが、十分に気をつけておかなければ何時殺られてもおかしく無い。
しかし、……シャルロット姫が女で良かったよ。
男なら、今頃、このアズール皇国も支配されていたかも知れん」
「いや、それは無いです。
まず、ありませんわ!
イザール様、私は女だからこそ、この様な考えが浮かぶのですけど、男性なら、まずは無いでしょう。
本当に無謀だと思うのですけど、私には子供を産むという男性とは違う価値がまだあるのです。
外交手段としては、殺さずにも使い途はかなりあるでしょうね。その中には、意に介さない事も強要されるかも知れないけれど、いつか隙が出来ることでしょう。チャンスというべき隙が……」
「分かった。
もう何も言うまい。
それで武器だが、こんなもので大丈夫なのか?」
イザールが手に持って遊んでいる長い針が僕の頼んだ武器となる。
3本を髪に差して、ファッションとして使う予定だ。
針の部分は、僕の特殊な能力で、鋭い刃物に変わる。
目立つ様に武器を持っていると、流石にまずいから、こんな目立たない物で代用するが、曲がったり、折れたりしない様に鋼鉄製となっている。
表面にはメッキされ、先の方は飾りを付けて貰い、かんざしの様な仕上がりで、可愛い飾りとなっている。
それに僕の命を預けることにして、髪に差した。
予定が遅れぎみなため、どうしても今日のうちにアストラーナ帝国に戻りたい。
だから、無理を承知ですぐに出発することに決めた。
みんなとの別れをじっくり味わう必要は無い。
僕は生きて、ここに戻って来るのだからね。
だから、みんなと早々に別れて、ドラちゃんとアストラーナ帝国に向かった。
ドラちゃんに乗って出発する間際に、餞別を貰った。
イザールからは多少の金貨、フィズ嬢からはキャンデー、ミーシャからは万能薬を……。
それぞれに感謝して、きっと戻って来ると心に誓う。戻って来てから、お礼はゆっくり返していこう。
まずは、アストラーナ帝国の崩壊を阻止することが先決だ!
◇◇◇
ドラにアストラーナ帝国のギルバートの家まで運んで貰い、そこで別れる事にした。
いつでも迎えに来て貰える様に、伝書鳥をイザールから借り、一緒に連れて来ている。
久しぶりに会ったギルバートは、上機嫌で僕を歓迎してくれたのだが、今迄の経緯とこれからの予定を簡単に伝えると、イザール同様に危ない真似はしない様に注意を受ける。
イザールに話したとおりの説明で一応は理解はしてくれた。話ついでに、ギルバートには別の役割を依頼して、快く引き受けてくれた。
それは、僕を王宮の近くまで、目立たない馬車で送ること。
家紋が無い馬車でなければ、ギルバートも共犯として捕まってしまう。ギルバートにはまだして欲しいことがあるので、ここは慎重に行動したい。
朝靄の中、ギルバートの馬車から降りた僕は王宮の周りを囲っている高い塀沿いに歩いて、王宮の正面に移動すると、門番が立っているのが見えて来た。
ここまでは予定どおり。
3回、深呼吸して、気持ちを落ち着ける。
そして僕は門番に向かって歩き始めた。




