この世界で自由に!
少し長めです。
僕は副学院長に背を向けてグレイに近づくと小声で言った。
「動かないで、少しだけ剣をお借りします」
そう言って、手を伸ばす。
掴んだのは、グレイの右腰に差している長剣ではなく、左の足首に括り付けてある鋭いサバイバルナイフだった。
サッと抜き取り、グレイの目の前でしっかりと握り直すと、副学院長にズンズンと進んで、机の上に置いてある先程まで読んでいた本に突き立てた。
何事が起きているのか理解不能という顔つきで副学院長は僕を見るが、僕は涼しげな顔で一言だけ伝えた。
「私は、だれ?」
「…………」
副学院長も今の状況をやっと悟ったようだが、既に遅い。
僕が此処に来た時点で怒っているとわからぬ程の鈍感ならば、人に教える程の器では無いと思う。
「もう一度、言わせる気かしら?」
副学院長は額に汗を滲ませながら、言いにくそうに僕に告げる。
「し、シャルロット王女様です」
「そうよ。正解だわ。じゃあ、なぜ私があなたの許可を必要としなければならないのかしら?
それを教えてくださるのでしょうか? アルフレッド子爵殿」
「そ、それは私は当学院の副学院長として、それだけの決定権を皇帝から委ねられております」
「ならば、私が皇帝の代理として、あなたを罷免しましょうか?」
アルフレッド子爵の顔は引きつっているが、自己の言い分だけは言ってのけた。
「いくら王女様であろうとも、口で言われただけで『はいそうですか』……なんて了承できません。
まして、唯一無二の皇帝の代わりにはなりません」
「今の言葉を撤回する気はないのですか? あとで後悔しても遅いですよ」
「なにを言われようとも、皇帝のお言葉を覆すことは出来ません。お引き取りください」
単に副学院長との話ではあるのだが、王女相手にこんなのありかって程、ヒートアップした。
そこで僕も悟りの境地に至るのだが、頭が固いヤツを柔らかくするまでの根気はないし、そもそも素質がなければ、無理難題なのだと。
仕方がないので、最終手段を使う事にした。
こんな奴に僕やグレイの時間を使うのは勿体ない。
1通の手紙をブレザーの内ポケットから取り出して、アルフレッド子爵の目の前で広げて突きつけた。
お母様から頂いた手紙、その中身は学院長の委任状。
文面は僕があらかじめ用意して、お母様には皇帝のサインと紋章をそれに入れて貰うだけのことだったが、僕が王女という地位にいるから出来ることであり、皇帝からサインを貰うなど、いくら公爵であろうが簡単なことではない。
「グレイ。アルフレッド子爵をご自宅にお送りしてください。王族への不敬罪として、そのまま自宅謹慎に処する。子爵には、後ほど正式に王宮にて処罰を通知する」
唖然としながらもグレイは一瞬で立ちなおり、特殊な笛で部下を呼び出した。
4騎の騎馬でアルフレッド子爵を護送することになったが、僕に後悔は無かった。
むしろ、明日からのことを進める必要がある。
ギルバート男爵の別邸に着いて、グレイには明日、学院関係者をこの館に集めるように指示をした。
次の日、私の居室に集まったのは、ギルバートを含む8人の貴族達、その中にギルバートがいるのは計算外であったが、この際味方がいるのは心強い。
学院の運営は今までどおり行う事と、判断が必要なことは副学院長代行に報告すること。
副学院長代行は、代役が選定されるまでは僕が就任する事で話はまとまった。
この世界での僕は、面倒な事を避けていた前世界での生き方とはまるっきり違ってきている。
そう思うと、ふと自嘲気味の笑みが出てしまう。
学校の運営を決めた次の日には、2人と僕はお揃いの制服に身を包み、馬車に乗り込んで学院に向かうことになった。
2人に僕の学用品を持たせて、遠戚という名目を使わせ貴族達への引け目を感じないように配慮している。
この話は昨日の晩ご飯を2人と一緒に食べている時にサプライズで話をしたのだが、2人は涙を流す程、喜んでくれた。ここまで感極まるとは思っても見なかったが、この喜ぶ姿で僕の苦労は報われた気がした。
僕は副学院長室にこもりたかったが、最初の授業を2人だけで受けさせるのは心配だったので付き添うことにした。
1番後ろに座れば、誰にも邪魔にはならないだろう。
記憶の中では僕の席はど真ん中だったらしいが、心優しい生徒さんに席を譲って頂いた。
と言うより、王女の頼みなら普通に断れ無いだろう。
グレイの信用する精鋭達が僕達の後に警戒するために立っていて物々しい雰囲気なのだが、副学院長の処罰の件があるため、グレイの進言を排除する気にはなれなかった。
2人の机と椅子が無かったので近くの騎士にお願いしたら、何を思ったのか隣の教室から持って来た。
なにやら、グレイの配下の子息の机だったみたいで、少し同情するが、理由が理由であるから学校側の誰かが予備を準備してくれるだろう。
こんな状態で2日だけ授業に出たのだが、僕は元は高校生であり、こんな中学生レベルの授業を今さら受ける気は無い。
僕は学校での勉強に執着する気はない。
しかし、王女の立場では『強くて豊かな国を目指す』とまでは言わないが、せめて国民の全てが文字の読み書や足し算引き算、かけ算に割り算程度の知識を得て欲しいという使命感にも似た感情が自然とわき起こった。
それというのも貴族以外には学校というものが存在していないらしい。
路地などで文字を知っている者が教え、その見返りに野菜などを提供する原始的な方法が一般的であり、払うモノが無いなら、ずっと学ぶことなく一生を終える暮らしだそうだ。
そんな状況を考えると、貴族のメイドなどは良職といえる。
ただ、ずっと雇われ続ける過酷な仕事でもあるのだが……。
前の世界での僕は自分の殻に閉じこもっていたが勉強する機会が与えられていたことに今さらではあるものの感謝しなければならないだろう。
当たり前と思っていた自分がとても恥ずかしい。
僕がいた孤児院ではすることもなく、推薦を勝ち取るために勉強は頑張っていたので、この世界のレベルなら僕も教師となり、教えることは無理ではない。
ルナとアルテミスには、学校の授業についていけるように僕が家でわからない所を教えてあげると良いだろう。だが、僕としては学校には行く必要は無いと判断した。ただし、社会科目を独学で学ぶことは必要だろう。
それと同時に、貯めていた金貨を使い、私学を作ることを心に決めた。
誰でも通える学校という今までの概念を払拭して、一生懸命頑張るという意志だけを入学条件とする。
今までは貴族が通うだけの学校しかなかったため、商人からの支援を取り付ける事が出来そうだ。
学用品と昼ご飯の材料は商人から安価で提供してもらう様にお願いしよう。
学費は要らないが、平民からも何かモノを提供できる人からは集めて、それを商人に還元して先生の給料を捻出出来ないだろうか?
学校を作った後は、なんとか自分達で運営して貰いたい。
先生は、今まで路地で教えていた方をまずスカウトして、騎士団に持ち回りでお願いしてみようかな?
もちろん、給料も払うことにして。
父王やお母様のバックアップが有れば、何でもすんなり行くのだが……。
それまでに、準備だけはしておこう。
お母様にだけは僕がする事の許可を事前に貰っておこう。
そう思い、手紙を書いたら、良い事だから賛成だという返事がすぐに帰ってきた。
建物が出来るまでは、少し待たなければならないが、その間に教科書の調達や食事の段取りが検討出来る。
これが後々、民衆からの名声に結びつくとは誰も予想だにしなかった。
民間の学校の計画を練っていた最中にハタと思い出した事がある。
…………忘れてた。
とても大事なことを……。
それは、王都の中を探索すること。
僕は攻略を怖れて、ずっとギルバートの家にいるだけの生活に満足しているのみで、やっと学校の事情だけを知った。
僕の新しい人生は、もっと自由に楽しく我慢しないで生きて生きたい。
だから、ルナやアルテミスを助けたし、平民の学校のことを考えている。
しかし、肝心の民の生活のことを何も知らない。
いや、前の世界の悪い性格が無意識に自分を守ってしまい、本当は知ろうとしなかったんだ。
これじゃあダメだ。僕が転生した意味がない。
僕は早速、グレイ達を伴い街にくり出すことにした。




