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ノカが、学園の堕天使こと生徒会副会長サリア・イグラルムをこれほど間近に見たのは初めてだ。
五回生と三回生が合同で演習することは滅多にないし、あるとしても全学年による師団規模の軍事演習くらいのもので、特定の上級生と顔見知りになるといったことも特にない。部活動にでも参加していないと、なかなか上級生との接点はないのだ。ミサナは以前、サリアに話しかけられたことがあるが、そのときのことはノカにもリーンにもエミにも話していない。
ちなみに、実はノカはとある部活動に参加しているのだが、半ば地下活動であり、そのあり方はアイドル研などに近い。学校とは言っても軍の管理下にあるため、他校と交流するような規模の部活動を行っている部は、メジャー系のスポーツサークルや伝統芸能系のみであり、それらの部活さえも、対抗戦や練習試合は、国内に点在する同じような軍附属の学園に限られる。十代の学生とはいえ、ここで学ぶことの大半は一般には流通していない機密事項であるから、それも仕方のないことだろう。まして彼らは将来の士官候補生である。戦争のないいまの時代、それでもなお、国家が惜しみなく予算をつぎ込んで食わせてくれる軍という組織は、この国で最も安定した職業でもあるのだ。
話を元に戻すとしよう。
結構不躾な視線でサリアの全身を上から下まで眺め回したノカは、目の前の上級生から漂ってくる何とも言えない妖しいオーラを感じとって、柄にもなく臆してしまう。
サリアはいわゆる、絶世の美女といった高嶺の雰囲気を持っているわけではない。確かに美人ではあるのだろうが、それよりも、何か、面と向かって相対する者を呑み込むような粘着質な性質がにじみ出ていて、とにかく普通じゃない印象を与えるのだ。
それでも、「学園の堕天使」の二つ名以外に、これと言った黒い噂の類いもなく、生徒会執行部でもカリスマ副会長として会長以上に下級生部員たちの人望を得ている。
学園では上級生が階級的に上官となる。ましてサリアは生徒会副会長という、いわば学園内の生徒のナンバーツーである。その上官から声をかけられた以上、すぐに返答しなければならないのだが、既にヘビに睨まれた両生類の心境に陥ったノカは口を開くこともできずにいる。
しかし、一方のサリアはいつまでも返事をしないノカに気分を害した様子もなく、反対にノカを、まるで心の内側まで覗きこむような底の深そうな目つきでひとしきり見たあと、黒い微笑とともに、口を開いた。
「あなた、確か、ミサナ・ハイクリフと仲が良かったよね、違ったかな」
思いのほかくだけた調子のサリアの言葉だったが、ノカはそこまで気が回らず、目の前の上級生の口から急にミサナの名前が出てきたことに驚いて、
「は、はい、そうです」
と掠れた声で慌てて返事をする。
それをニッコリとした微笑みで受け止めたサリアが、さらにノカを驚かせる。
「あなた、もしかしてミサナ・ハイクリフを捜してる?」
「ハイ、えっとあの…」
どうしてミサナがいないことをサリアが知っているのか、というノカの言葉を顔から読み取ったサリアが平然と言う。
「わたし、生徒会のミスコン担当なの。だから、ミサナ・ハイクリフが射撃大会のせいで遅れてるのもわかってる。けどまあ、ミスコン始まるまでにはあと少し時間もあるし、多少遅れても大丈夫よ」
「はあ」
急に饒舌になった堕天使の言葉にただ頷くノカ。彼女が他人のペースに巻き込まれるのは非常に珍しいことだ。
「ところで、最初の質問に戻るけど、あなたここで何してたの? 別に立入禁止区域ではないけれど、普通の生徒が来るようなところじゃないし」
詰問口調ではないが、サリアが発する言葉には抵抗を許さない迫力がある。
なのでノカは咄嗟に嘘をついた。
「あの、なんかちょっと迷子みたいな感じで」
しかしサリアはノカの白々しいセリフは特に意に介さなかった。
「そう、メイン会場はあっちの方よ」
そう言ってサリアは、先ほど六回生たちが立ち去ったのとは別の方向を、ほとんど反対方向を指し示した。
「あ、はい、ありがとうございます。それじゃあの、急いでますんで、失礼します」
ノカは早口でまくしたてると、指された方へ足早に歩き去る。
それを横目で見送ったサリアは、ノカが建物の陰に入って見えなくなると、「くふっ」と吹き出して、
「あの子、結構面白いじゃん」
と言ってから、建物の中に入って後ろ手にドアを閉めた。
ノカは背中にサリアの視線が突き刺さっていると錯覚したまましばらく示された方向へまっすぐ進み、それから、ちらっと勇気を振り絞って首を回して後ろを見る。サリアの姿はもうない。
ノカはため息をひとつつくと、直角に曲がって、例の六回生たちが向かったと思われる方向へ進路を変えた。
この辺りには幾つかの施設が集まっているので見通しが悪く、六回生たちに追いつけるかどうか、ノカは焦って歩を進める。
もちろんその姿を、サリアは建物の窓から、満面の笑みを浮かべて見ていたのだが。
そしてノカは、なぜ学園の有名人にして、星流花祭、並びにミスコンの運営サイドの重要人物がこのような場所にいたのか、それに疑問を抱くこともなく、目の前に一度ぶらさげられたものの、すぐに取り上げられ、匂いだけが漂ってるようなご褒美を追いかけるがごとくに、怪しい(と勝手にノカが思い込んでいる)六回生たちの立ち去った方に向かって先を急ぐのだった。




