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その日の午後のすべてを、結局ミサナは訓練場で過ごした。
軍支給の最新設備も少なくない充実した施設であり、普段授業で使用している演習場に付設されているものよりも内容の点では優っていると言える。
まだ学生であるということもあって、武器の個人での所持は認められていない。当然ミサナも、演習場が保有する訓練用の型式の古い銃を普段の授業では使用しており、装備に関して愛着やこだわりは皆無である。それは逆に言うと、どんなコンディションの武器が回ってきても一定以上の、というか学園最高の成績をたたき出しているということだ。特に使用武器に対してこだわりを持つ者が多い狙撃手という兵科において、ミサナの示す才能はまさに規格外と言ってよいものだ。
そうしたミサナの才覚は、最新鋭の銃が配備されているこの訓練場においても如何なく発揮される。
むしろ自動照準スコープ付の最新型の銃を使った標準射的訓練においては、一回十発の射撃で十回連続の全弾命中を見せ(旧式を使用する授業の実習では平均で八発命中)、さらに動体射的でも七割を超え、さらには遮蔽物越照射訓練ですら五割を見事命中させた。
図書館よりはよほど人の多い訓練場では、明らかにまだ学生という十代の少女がばかげた成績をこともなげに出していくのを騒然かつ呆然と見守るギャラリーでバックヤード側が溢れかえった。
しかし、ミサナはそうした周囲の喧騒にもまったく注意を留めていなかった。
本当のところ、目にも耳にも入ってすらいなかった。
つい最近導入されたばかりの最新型の銃の使い勝手の良さにはミサナも驚きを隠せず、一発発射するごとにその魅力に取りつかれていく。
そうやって夕方五時の閉館時間までミサナは嬉々として的に穴を穿ち続けた。
訓練場を後にしたミサナは、既に人影もまばらなバス通り沿いの歩道をバス停へと向かって歩いて行く。
とそこへ後ろから声をかけられた。
「そこの君、ちょっといいかな」
声に反応して、半ば無意識に振り返ったミサナの視線の先には、「学園の堕天使」その人が悠然とした笑みを浮かべていた。
学園の堕天使が立ち止まったミサナとの距離を詰めて目の前に立った。
ミサナは女子としてはかなり背が高い方なので、目線は頭半分見下ろす形になる。
けれどミサナには相手が実際の身長よりもずっと大きく感じられた。その余裕の表れた表情からは、何というか、支配する者だけが持つ覇気のようなものを感じさせる。そして、呼び止めておいて、いくら待っても話を始めない。
とは言え、ミサナの方にはこの先輩と話をする用はない。相手が話をするつもりがないのなら、自分から切り出さないことには帰るに帰られない。
「あの、わたしに何か御用でしょうか」
ミサナが常のごとく抑揚に欠ける声で尋ねると、それを聞いた先輩は途端に破顔して、ミサナの前に手を差し出しながら楽しそうに言う。
「いや、すまない。噂の姫とこれほど間近で対面したものだから、舞い上がってしまってね。呼び止めて済まなかった。君とは前から話をしてみたいと思っていたんだ。はじめまして、五回生のサリア・イグラルムという者だ。よろしく、氷雪の狙撃姫、ミサナ・ミコトさん」
釣られるように前へと出たミサナの手を素早く取ったサリアは、何度か上下に振ると、あっさり離した。
サリアの手が触れたときの冷やりとした手の感触がそのまま消えずに残っているような気がした。
「ミサナ、あ、名前で呼んで構わないかな。わたしのことはサリアと呼んでくれたらいい。これでもわたしは結構なミーハーでね、君のがんばりはいつも見ているんだ」
「ありがとう、ございます」
「いやいや噂以上に真面目そうだね、君は。いや、ほんとに呼び止めて済まなかった。もうそろそろバスが来る頃合いだよ」
言われてミサナは腕時計を見る。確かにそろそろ急がないとバスが行ってしまう。
「それじゃ、失礼します」
ミサナは軽く一礼すると、さっと身を翻して駆け足でバス停へと走って行く。
ミサナがバス停に着くのと同時に到着した路線バスに乗り込むのを見ていたサリアは、普段通りの余裕をたたえた表情に戻ると、口元をニヤつかせた。
そこへ路線バスが近づいてきて、バスの中で律儀そうに会釈をしてくるのが見えて手の平を振って見送った。
無意識に路線バスが遠ざかっていくのを見ながら、サリアは呟きを漏らしていた。
「大丈夫だよ。君の出番はいずれ来る。私が君の生きる目的をつくってあげようじゃないか。そのときまで、しっかりと腕を磨いておいてくれたまえ」
そしてサリアは、路線バスが向かったのとは別の方向へと歩き去った。