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寮を一歩出ると、ミサナは太陽のまぶしさに目を細めた。
朝夕はまだ幾らかの冷気が残っているが、日の出から数時間も過ぎるとすでにずいぶん暑い。
ひとつの都市と呼んでも言い過ぎではないくらいに広大な学園内には公道扱いの道路が縦横に張り巡らされている。もっとも、学園関係者以外は許可無く進入できないという意味では公道というのとは少し違う。
従って片側三車線ずつ整備された幹線道路を行き交う自動車の影はまばらである。学生が住人の七割を占めるということもあって、自転車の方がよっぽどたくさん走っている。
ミサナは寮から百メートルほど離れたバス停までゆっくりと歩いて行く。学生たちの移動手段としては自転車、あるいは徒歩(|というかランニング)が中心となるが、一方でバス路線網も細かく張り巡らされている。
運行本数が極端に少ない上に、主要施設を網羅的に回る循環線であることもあって、路線バスが移動手段を中心にしなければならない者にとっては、かなり不便であることは事実だ。とはいえ、いくら広大な敷地を有すると言っても、立入禁止区域も多く、通常学生が動く範囲はそれほど広くはない上に、車影のまばらな道路を走るということもあって、だいたいの目的地には三十分以内に着くことができる。
そんな快適とも不便とも言い切れない路線バスだが、ミサナは移動の多くに路線バスを利用していた。
理由は、リーンにきつく言われているからだ。
いわく、
「ミサは放っておくとどこまででも鍛錬しちゃうんだから、授業時間以外は訓練禁止だからね。移動も身体が鍛えられるようなのは禁止。なるべく絶対バスを使うこと」
というわけである。
確かに、不安を忘れるには身体を動かすのが一番だから、誰かがそうやってブレーキをかけてくれないと、どこまでものめり込んでしまいそうだという自覚はある。ミサナは自らの肉体を鍛える代わりに、こうして休日になると路線バスで学園の図書館に出かけて、一日そこで読書をしたり授業の復習や予習をして過ごすことにしていた。実際、平日の正規の教練だけでもかなりハードなカリキュラムなのだ。アフタースクールにまで自主トレするような体力が残るのはミサナを含めた数名の体力バカ(これはもちろん褒め言葉だ)くらいのものである。
寮でも始終顔を合わせているので、仲間の四人で休日に出かけることはほとんどない。一般的な繁華街に近いエリアもあることはあるのだが、一日そこで時間が潰せるほどの規模はないので、せいぜい週に一回程度放課後に寄れば充分だった。
時刻表を見てから寮を出たのでミサナがバス停に着いて程なくして路線バスが到着する。
乗車率は五十パーセントを超える程度で、座席はほぼ埋まっているが、空いている席がないこともない。が、空席には目もくれずミサナはいつもの通り吊り革につかまって外を眺める。ミサナレベルになると、立っていようが座っていようがほとんどHPは消費しないのだ。
十五分ほど乗ったところで次の停留所のアナウンスが図書館前と告げる。ミサナは車内アナウンスのチャイム音の一音目が鳴り終わる前には降車ボタンを押し込んでいた。
図書館前の停留所にとまり、ミサナに続いて数人が降りる。図書館は、図書館という呼称がもたらす印象からするとかなり巨大だった。ほとんど国立博物館級と言って差し支えないほどの巨大な施設である。当然、敷地そのものもそれに見合った広大なものであり、周囲には手入れされた庭園があり、読書や研究の疲れを癒やすのに格好の空間となっている。当然、この庭園を散歩するためだけに訪れる者も少なくないほどだ。
ところでミサナは、バスから降りるも、その博物館級図書館には向かわなかった。代わりに道路を横断し、真向かいの敷地へと向かう。そこには博物館級図書館の歴史を感じさせる荘厳な建築物とは対照的なモダンな建築物が周囲の森から浮き立つように立っている。いわゆる新館である。
本館が世界のありとあらゆる叡智と歴史を収集し保管する、という建前のもとにあるのに対し、新館はもう少しくだけて、評価の定まらない現代の文学や美術・芸術などの文化に重点を置いた施設である。
ミサナはエントランスを入ってすぐのエレベーターに乗ると、後から乗り込んでくる数人を待って、行き先階のボタンを押す。三階で降りると、慣れた足取りで通路を進み、ドアを開放された開架室を幾つか行き過ぎてそのうちのひとつに入る。
まっすぐに奥の書架へと向かい、足を止め、本の背を眺めながら吟味し、十分足らずで三冊ほど選ぶと部屋を出てエレベーターホールに戻り、五階に移動する。そこはいわゆる閲覧室フロアであり、読書用、勉強用と通称される幾つかの閲覧室と休憩のためのエリア、それに売店と食堂がある。
ミサナが入った部屋は、ハイブリットルームと利用者の間で呼ばれている、勉強もするけど読書もみっちりやりたい派が集う一室である。テーブルの配置に工夫が凝らされ、ひとりで一日過ごしやすい環境となっている。
いつも通っているとお決まりの席などができそうなものだが、実際にはあまりそういうことはないようだった。ミサナ自身もその日の気分で適当に空いている席を選ぶし、前にどの席に座ったかなどいちいち覚えてはいない。常連というような顔ぶれも特に形成されておらず、顔なじみと挨拶することもない。読書人は孤高の存在であって、同好の士は求めていないのだ。これが本館になるとまた違うのかもしれないが。
ミサナは席に落ち着くと、持ってきた三冊のうちの一冊のページを早速開く。それは表紙に書かれたタイトルから察するに、かなりベタ甘の恋愛物っぽい本で、実際、数年前にベストセラーになった恋愛小説だった。
しかし決してこれは、ミサナの趣味が恋愛小説だというわけではない。むしろ、苦手というか、元々完全に興味の対象外なのであるが、これまたミサナの監督者を自任するリーンの厳命によるものだ。
ミサナとルームメイトのリーンは、骨太な戦記物や兵法書の類いばかり読んでいるミサナをどやしつけ(ちなみに、部屋で読書中に急にどやされたミサナのぱちくり顔は過去最高の萌え度を記録した、と後にリーンが語っている)、これから半分は普通の小説を読みなさいという命令がくだされた。いわゆる五五勅令と呼ばれる事件である。そして、そのわずか数ヶ月後には、新たに、三七勅令が出される。これは、五五勅令の比率を三対七に変えただけのものではない。全体の読書量の七割を恋愛小説にしなさい、という厳しい命令だ。これは、最初の五五勅令の結果ミサナが読むようになったのが、ファンタジー系の冒険小説ばかりであり、リーンの眼には、ミサナに足りないもの、いわゆる「女子力」を補うにはこれではダメだと映ったための処置である。
そのため三七勅令が発令された直後は、表紙からでさえ甘い香りの漂ってきそうな本の山を前にして途方に暮れるばかりだったミサナだが、いつの間にかそれにも慣れ、気がつけば普通に恋愛小説のファンになっている。リーンがミサナに対して行っている数々の改革のなかで、数少ない成果の上がった例なのである。さらに、相乗効果と言えるのか、苦手だった甘いお菓子までおいしくいただけるようになった。リーンの意図していたこととは違うかもしれないが、リーンのおかげでミサナの世界は拡がったと言える。
新館の閲覧室は、いわゆる吸音というのだろうか、生じた物音が他へ伝わる前に吸い取ってしまうという技術をあらゆる壁面や床に施している。そのため、唾を飲み込むのにも周囲を気にしてしまうような気苦労とは無縁である。
が、やはり私語は厳禁であり、閲覧室のグループ利用も禁止されている。
従って、ここでは本人が望むがままに、恋愛小説を貪り読む権利も保証されている。
…はずであるが、今日のミサナは妙に気が散ってしまい、なかなか小説の中に入り込めないでいる。
何とか活字を追いながらも、頭の片隅では原因に探りを入れている。
すると、どうやら誰かに見られているような感覚をおぼえているのだとわかった。
この感じはけれど、実は昨日から、もっと具体的には、昨日のお昼からずっとあるものだった。
食堂での出来事、と呼ぶほどのことも特になかった、ささやかな邂逅。ほんの数秒視線を交わし合っただけのあのときのことが、不思議と繰り返し思い出されて仕方がない。
「学園の堕天使」
ミサナは無意識の内に、リーンの口にした冗談のようなその「二つ名」を声には出さず呟いていた。
ちなみに本人は知らないことだが、ミサナにも二つ名がある。
「氷雪の狙撃姫」
感情をほとんど表には出さず、淡々と異常な精度で標的を撃ち抜くその技量は学園内で知らぬものがなかった。そして、陰でミサナをそう呼んでいる者の多くは、彼女のファンだった。
一部の教官を除けば女性しかいないこの学園においては、ミサナのような孤高の存在は憧れや崇拝の対象となりやすいものだ。それは厳しい訓練に明け暮れる学園の拠り所や活力にさえなっている。いわばミサナは学園の非公認アイドル、アングラアイドルと言ってもいい。もちろん本人は欠片もそのことに気づいてはいないが。
コアなファンは「氷雪の狙撃姫」を短く縮めて「姫」と呼ぶ。
そして、実際のところ、ミサナの親しい友人たち以外のほとんどが、教官までも含めて、彼女のことを本人の前以外では「姫」と呼び習わしている。
話を戻そう。
ミサナは昨日の昼に食堂で見かけた先輩のことが漠然と気になっており、それが図書館の閲覧室に入ってひとりの読書世界に埋没しようとする段になって、いっそう明らかになり読書になかなか集中できなくなっている。
「学園の堕天使」
何だかすごい二つ名だが、ミサナにはその由来はもちろんわからない。けれどその響きにはどこか隠微な誘惑のようなものを感じてしまう。
実際そうしたタイプはミサナが本の中で出会う人物の中にもしばしば登場する。圧倒的なカリスマ性と自己中心的な行動力の持ち主。
あの先輩も、そのような人物なのだろうか。
ほとんど一瞬とも言えるような、僅かな時間、それも距離を置いて、対面とすら呼べないほどのかすかな接点が、ミサナの意識の中に小さなヒビをつくり、それが徐々に大きくなっていくような、言い知れない不安がそこにはある。
その出来事が、相手にとっても何か意味のあることだったのか。それとも単に物珍しさに見ていただけなのか。ミサナも自分が狙撃の技量においては、ある程度、いや、かなりの注目を浴びていることについては自覚している。だからきっとあの堕天使と呼ばれる先輩も、生意気な下級生の顔を興味本位で見ていただけかもしれない。
そうやって何とか自分の気持ちを軽くしようとするミサナだったが、その効果はあまり期待できるものではなく、彼女の視線はなかなか目の前の本のページには注がれなかった。
それでも何とか午前中はそのまま机にかじりついて、雑念を払うようにページを捲ったが、一冊読破して呆然と眺めた背表紙からは、その本に描かれた物語が何ひとつ浮かび上がってこない。雑念を払おうとするあまりに、物語の中に入っていくこともできずにただ目で活字をなぞっていただけらしい。
ミサナはしばし逡巡するが、口元をきゅっと結ぶと、三冊の本を手に席を立った。
エレベーターに乗ると、二階のボタンを押す。同乗者はなく、途中の階でも止まらずすぐに目的の階に着く。
二階は開架リファレンスである。館内の職員はここを本拠として各種業務をこなす。もっとも、極限まで自動化しているため、業務の大半は蔵書の管理である。
エレベーターを出た目の前は教室二部屋分ほどの広さがあり、正面はカウンターになっていて職員が常駐している。カウンターの端には職員の通用口があり、二階の他の部屋へはここを通ってしか行くことができず、当然一般利用者は立ち入り禁止である。
ミサナはエレベーターを降りると、向かって右側の壁の方へ向う。そこはいわゆる返却ゾーンとなっており、返却ボックスが並んでいる。もっとも、あまりにも利用者が少ないため、実際には一台で充分である。
返却ボックスというのは、冷蔵庫くらいの大きさの箱型の機械で、その中ほどに電子レンジの扉のような窓付きの扉がある。返却の手順は、まず機械上部のカード差込口にIDカードを入れる。するとスリープ状態だった機械が立ち上がり、液晶パネルが点る。一瞬の待ち時間があり、認証された情報がパネルに表示される。利用者の氏名・ID番号・貸出冊数などである。後は扉を開いて返却したい図書を中のテーブルに置いて再び閉じるだけ。自動でスキャンが始まり、図書の状態がチェックされる。ここで問題があるとエラーが表示され、警告音が館内に鳴り響き、すぐさま駆けつけた職員数名に取り押さえられ奥の取調室に問答無用で連行される、…そんなことはもちろんなく、その場合は表示に従った行動を取ればよい。例えば「異物混入」はたいてい栞の取り忘れやカバーの外し忘れであり、一度取り出してそれらを取ってから入れなおすと再スキャンが行われ問題なければ返却が受理され、図書はボックス内に消える。他に破損や劣化のエラーが出た場合には、ここで初めて職員のいるカウンターに持っていくことになる。元々破損や水濡れがある場合はその状態が予め登録されているため、エラーが出ることはない。エラーが出るのは状態に新たな異変があった場合のみで、これが出ると場合によっては職員からくどくどと注意を受けることになる。ちなみに延滞の場合はエラーにはならず受理されるが、代わりにペナルティを課される。延滞の冊数や日数によって変動するが、要は借りれる冊数や日数が減らされるという相応のものになる。
ミサナは借りていた本の返却手続きを済ませると(もちろんエラーも延滞もない)、今度は部屋の反対側の貸出エリアに移動する。
貸出の機械は返却の機械よりも単純で、扉の開け閉めもない。洗濯機のような機械の上がテーブルになっており、そこに本とIDカードを置くと、図書に埋め込まれたチップとIDカードがスキャンされて手続き完了である。表示パネルもレシート出力も何もない。ただし、延滞や破損などによるペナルティのために貸出不可能な状態になっているときは、「貸出不可」ランプが赤く点灯する。その場合、借りられなかった図書はカウンターに返却するのだが、注意は受けないものの、何となく決まりが悪い。
ミサナは手早く三冊の本の貸出手続きを終え、エレベーターで一階に降りる。
新館のエントランスを出たミサナはバス通りへは向かわず、ふらつく足取りで建物に沿ってつくられた歩道へと足を向けた。
歩道は花壇のひとつもない芝生に縁取られながら建物後方へと続いている。
新館は本館と違って縦に長い構造であるため、すぐに建物の裏に出る。そこは、敷地の外周に建てられたフェンスに沿って幾つかのベンチが置かれただけの、何と言うか、あまり広さのない運動場のような空間だった。実際ここは、職員が昼休みにキャッチボールなどの手頃な運動をするため以外ほとんど利用する者がいない。ちょうど日の当たる向きにあるので建物の陰になることはなく、けれど背後の森からひんやりとした空気が漏れ出てくるのか、真夏でも意外と快適な場所である。ほぼ職員しか知らない事実であるが、彼らにとっては仕事の疲れを休める大事な憩いの場所であるため、積極的に知らしめるつもりはもちろんない。どうぞ皆さん本館の素晴らしい庭園をご利用くださいというわけである。
さて、その「秘密の空き地」の存在を知っている数少ない利用者であるミサナは、相も変わらぬふらふらの体で奥まった場所にあるベンチまで辿り着くと、そこに腰を下ろした。
路線バスの発着時刻はこの図書館前では毎時十七分と四十七分と決まっていて、ちょうど十一時四十七分のバスが行ったばかりだということと、何となくこのまま家路につく気分でもなかったことで自然と足がここへ向かったので、ミサナとしてもベンチに座ってみたところで、特にこれと言ってやることがない。
ただ、心のどこかで、「こんなことじゃダメだな」と自分に向かって呟く声があるのは自覚していた。いざ有事ということになれば、狙撃手の役割は戦局そのものを左右するような重要な任務ばかりを負うことになる。当然そこに求められる精神力は並大抵ではないはずだ。こんな漠然とした不安を抱えたままの自分のような未熟な者にはとても務まらないのではないかとミサナは思う。問題は、その有事というのが果たしてミサナが生きているうちに来るのかどうか、ということでもある。自分は何のために銃を構え、標的を狙うのか。理由なく銃を構えるのはただの犯罪者だ。起こるはずもない戦争のために銃を構えることは、果たして理由になるのだろうか。もちろん、訓練をしなければそれこそ何の役にも立たないのはわかりきったことだが、本当であれば、何の役も回ってこないような平和な日常が続くことだけを願うべきであって、こうして国のお金つまり国民のお金を使って毎日毎日人を殺す訓練をしている自分たちはやっぱり本当は必要ないのではないかという思いはずっとミサナの中にある。
そうしていつも通りの悩みをひとしきり反芻したところで、おもむろにミサナは立ち上がった。そこにはもう数瞬前の弱り切った姿はない。
「よし、ちょっと練習していこう」
本人なりに元気よくそう言うと、ミサナは肩に掛けた鞄の紐を限界まで引き絞って背中に密着させ、そして、いきなり小走りに走りだした。
そのまま門を出て、バス停には向かわず反対方面へと進路を取る。休日も利用できる訓練場まで走って行くことにしたのだ。迷ったときにもまた、ミサナは銃を構えることでそれを乗り越えてきたのだ。相変わらず「学園の堕天使」のことはもやもやしているが、きっとそのうち向こうから接触があるような予感もある。そうなったらそのときに、自分にできる行動をしよう。ミサナはそう自分に言い聞かせると、走る速度を一段階上げた。