滅びの炎
学者は失われた国の都へと辿り着いた。
かつて繁栄を極めた国。
天空をつくかのような尖塔を幾つも兼ね備えた城があったとされ、その名残はあるがもはやそれは空からは遠く、地へと崩れ落ちゆくのみ。
学者は滅びのた国の栄華を残す、英知の泉である図書館へと足を運ぶ。朽ちくぐり抜け、王からの命令を果たすべく、異世界から人を喚び寄せる術を探った。
天井まで届く棚の間を歩きながら、目的の本を探す。
学者は鈍い光沢を放っている、灰褐色の金属の箱を手に取り目的の本を取り出した。
灰色の分厚い表紙を開くと古紙特有の黴びすえた臭いが漂う。
学者は灰色のなにで作られたのか分からない厚めの表紙を開き、古紙特有の滲みが浮かぶ中表紙にはめもくれず、目次を捜し求めた。
今では知る者もほとんどいなくなった古代語。
学者が指でなぞりながら目当てを探すと、文字がかすれている箇所があった。過去何人も同じようにして捜したであろう異世界召喚。
学者はその箇所を読み、書き移すために机へと移動する。埃をかぶった机、そして古びた椅子。着衣の袖で机を拭き、椅子はそのまま腰をおろした。彼は人気のない図書館で一人、鳥の羽軸で作った筆記具を走らせた。
思ったよりも召喚方法が簡単であったことに学者は安堵した。
学者が呼び出すのは異世界の女。
彼が仕える王は、自国の女たちに嫌気が差し、妃は異世界から召喚した女にすると宣言した。
この失われた国も異世界の女を喚び妃にしたことで、滅びてなお伝説となる国となった。
学者は方法を書き写している最中に、ある懸念を持った。
異世界の女がもとの世界に帰りたいと願った時の対処法。そこに記されている方法に目を通した時、学者は表現し難い不安に囚われた。
だが彼は仕事を終え、本を元の場所に戻すために、金属の箱を手に取る。
その本が納められていた鉄の箱から、床の色が変わるほど積もった埃の上に一枚の紙が落ちた。
学者は中表紙に似た黄ばんだ紙を手に取り開く。
”異世界から人を喚んではならぬ”
それは滅びたこの国の最後の王が記した、短いながらも全てが込められている一文であった。
学者はそれを読み溜息をつきながら、またこの本を読んだ者が、召喚方法を知ってから気づくよう紙片を金属の箱へと戻した。
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王は異世界の女を待ち望んでいた。
彼は自分の国の貴族が差し出す、色目を使い自分に媚び、嫉妬で他者を害し、実家の権力に物を言わせる女たちを嫌っていた。
王は異世界の女を ―― この頃は周りにいる女たちを疎ましくおもう気持ちのほうが強かったであろうが、別の世界の女に無責任な希望を託した。
学者は王に考え直すよう進言する。
滅びた国に旅立つ前、召喚術を必ず手に入れてくると言っていた、信頼していた部下である学者が帰国後、一転して妃は異世界の女ではないほうが良いと言いだしたとき、王は自らの耳を疑い、自分の耳がしっかりと聞こえることを確認すると、学者の意見に耳を貸さず、これ以上問いただせばお前の命はないと脅した。
金属の箱から落ちた紙に気づかなければ、学者は王に命じられたままに召喚した ―― 学者自身もそう思い、どうして自分はあの紙片を見つけて読んでしまったのだろうと悔やんだものの、学者は最後に一縷の望みにかけて、異世界の女を召喚する。
やつれ虚ろな目をした異世界の女が召喚された。
異世界の女は王を拒否した。王は自分を初めて拒む女に興味を持ち、異世界の女に惹かれてゆく。
王は学者に元の世界に戻る手段はないと「嘘」をつくよう命じられた。
学者はあっさりとその提案を受け入れる。
異世界の女は自分の世界の有り様を語り、王はその知識ではなく「知識を持つ異世界の女」を褒めた。王は異世界の女に好かれたいという気持ちから、異世界での常識を自国に広げた。
徐々に王と学者は対立することが多くなった。
そしてある日、完全に決別する。王は”それ”が決別の原因となったことは知らなかった。それを知った時、王はもうすべてが手遅れであることを身をもって知る。
異世界の女は全ての者たちには教育を受ける権利があると王に訴え、国民に教育を施すこととなった。それまで知識は限られた階級の者だけが持つことを許されたものであった。
異世界の女はそれはおかしいと訴えた。
知識を人々に与えることを王は認めた。異世界の女は男性だけではなく、女性にも与えるべきであると強く主張した。
この国では女に知識を与えることはない。この国に限ったことではなく、国境を隣接するどの国でも同じ状態。
貴族たちは知識を与えること、特に女たちが異世界の女のようになることを恐れ拒絶し、学者は無言を貫いた。
学者は故国が紙片に記された通りになったことを知り、彼は一人の孤児を引き取った。
王は異世界の女と共に知識を性別に関係なく、多くの者たちに与えることを決めた。異世界の女はこの国の女たちとは違い、王は自分を補佐するに相応しいと考え彼女を王妃にそえる。
学者は一度だけ王に異世界の女を王妃にするのか? と尋ねた。王は当然だと答えたので学者は城を去った。
王と異世界の女は結婚し、翌年には王子も産まれ、国内の改革、特に教育に力を入れて ――
異世界の女は両親を「 」という病で喪っていた。その病は両親が発症すると子も罹りやすいとも。
異世界の女の血を引いた幼い王子は、彼の祖父母が患った「 」に罹った。異世界の女はいち早くそれに気づいたが、気づいただけで何もできなかった。
「 」なる病は、この世界では誰も知らないもの。
王は王城を離れていた学者を呼び寄せた。
長らく離れていた学者だが、王の呼び出しにはあっさりと応える。彼は引き取った孤児を連れ、王と異世界の女の元へとやってきた。
挨拶もそこそこに、呼びだされた用件を告げられる。
異世界の女は王子を治療するために一時的に、元の世界へ自分と王子を戻し治療し、また世界に戻ってきたいと学者に依頼した。
王は異世界の女に元の世界に戻れることを告げたのだ。
学者はその願いを聞き、首を振って拒否した。
王は以前より学者が異世界の女を嫌っていることが原因だと考えて、理由を述べるよう強く問い質すも、学者は違うとはっきりと言い、隣にいる孤児はなにも知らぬ者のように首を傾げる。
学者は王に召還には代償が必要であることを伝えた。
異世界の女を呼び寄せた際に、それらの説明をしたが、王は覚えていなかった。ろくに聞いていなかったのではなく、王にとりそれらの代償は取るに足らないことだったので、忘れてしまっていた。
聞いていないと言う王の言葉を否定し、学者は異世界の女を見て告げた。
「この国の女たちです。王は国の女たちを嫌い見下していましたから”わざわざ許可を求める必要はない。この国の民は私のために存在しているのだ”と言われました。都合の悪いことはお忘れですか? 王よ」
その頃の王は、この世界の女たちは全て愚かであり存在していようがいまいがどうでもよかった。異世界から自分の最良の伴侶を呼び寄せるために使われるのであれば、それは名誉であろうとも言った。
王の表情が変わり、異世界の女は学者の言ったことが真実であることを確信し、学者はさらに続けた。
代償として使えるのは文字を書けない者に限る――
異世界の女は目的であるため文字が書けても問題はないが、代償は文字を知っていてはいけない。
学者は連れてきた孤児に持たせていた本を手に取り、膝をついて床に置く。その本は数年前学者が王の命を受け、異世界の女を呼び出す術を知るために足を運んだ滅びの国について書かれたもの。
学者は王と異世界の女が広めた政策により、国には無知なる者がほぼ居なくなったことを称賛すると同時に、二人と異世界の女の国に送り、呼び戻すほどの代償がなくなったことを告げた。
学者は床に置いた本を指さし、孤児に読めるかどうかを尋ねた。
孤児は首を振り読めないと笑顔で学者に答える。王は玉座から腰を浮かし、召喚できるのではないか? 口を開きかけたが、学者は否定した。
目的がなかったり求められていない場合の召喚の代償は一人につき一人だが、王や異世界の女が望むような召喚は一人の代償では到底叶わない。
王は浮かせた腰を玉座に降ろし顔を覆いながら王子の名を漏らし、異世界の女は震える声で学者に尋ねた。
自分をこの世界に喚ぶ代償となった人たちはどうなったのか?
学者は知らないと答えた。
これも王には説明していたことだが、王にとっては異世界の女は必要だが、国の女たちはどうでもよかったので覚えてすらいなかった。
学者は知る方法を知っていたが、王は女たちのことなど忘れさっていた。王が女たちの境遇を知りたい ―― 言う前に学者は、言われなければ知ろうとも思わなかった程度のことに、代償を支払いますか? と突き放す。
異世界の女にはいままで自分一人だけが被害者だと思い嘆いていたが、自分以上に女たちが苦労しているかもしれないことに気付き青ざめた。
そして学者は国に別れを告げる。
「このような無知な者をこの国に置いていては、また王がお怒りになることでしょう。王妃の偉業の汚点にもなりますでしょう。ですので私が責任を持ちます。それでは王、永のお暇をさせていただきます」
二人で異世界の女が以前にいた世界へと旅立った。
残された異世界の女と王は学者が残していった本を開く。
―― 天空をつくかのような尖塔を幾つも兼ね備えた城があったとされ、その名残はあるがもはやそれは空からは遠く、地へと崩れ落ちゆくのみ ――
異世界の女は本を読み、かつて言語が乱されたと言われる話に酷似していることに気づいた。
滅びた国の名は伝わっていない。喪われた言葉でしか記されていなかったから伝わらなかったのだ。
【かつて天空を貫く尖塔を建て、神の怒りを買った我々の子孫たちよ。我等は言葉を失うことで、もう一度生きる機会を得た。文字は極力使うな。彼らは我等の歴史を無視し、自分たちの世界を押しつける。”異世界から人を喚んではならぬ”彼らが繁栄は破滅の始まりでもある】
無人島で雲一つ無い青空の元、孤児は紙が落ちているのに気付き拾い上げ、開き目を通す。
孤児は字だとは分かるが読めないので、学者の所へと持って行った。学者は焚きつけにするように告げ、孤児は素直に従い紙は種火と共に燻り、そして鮮やかな炎となり消えた。