プロポーズ大作戦 1
君に夢中なんだ。
そうささやくと、腕の囲いから手を伸ばしたコムギが真っ赤な顔で、ぎゅっと俺の頬をつねり上げた。
ひどく甘いその痛みに、自分の顔がとんでもなく緩んでいくのがわかる。彼女はなぜこんなに可愛らしいんだろうか。そんな気持ちを抑えきれずに、もう一度唇を寄せた俺に、コムギはゆっくりと目を閉じた。
ハレルヤ!
あの時、絶対に彼女は俺を好いてくれていると思っていた。
だがしかし、モトハシの助言通りプロポーズをした俺に、コムギは「絶交」を言い渡した。
ぽかんとしている彼女の右手に指輪をはめる俺に、その場にいた誰もが惜しみない祝福を贈ってくれたというのに。
きっと、突然のことだったからだろう。最初、俺の行動に真っ赤になったコムギは、次に周りのその反応を見て、今度はその顔を真っ青に変えた。そして、心配してその頭を撫でる俺の手を振り払い早口で何かをまくし立てると、さっさと俺を会社から追い払った。
やはり、静かすぎたのだろうか。帰り道、さきぼとの彼女の言葉を思い返して、自主反省会。
それとも、持っていった指輪が気に入らなかった? 薔薇の本数が足りなかったとか?
なぜかはわからないが、何となくまた失敗してしまったことだけを理解した俺は、そのままひとり寂しく家へと帰ったのだった。コムギの家へと。
「あらあ、どうしたのオリーちゃん。しょんぼりして」
「ムッタァ……」
「入って入って。今日はいいホッケが手に入ったのよ!」
にこにこしながらそう促すムッティに逆らわず、俺はうなだれたまま家の中へとお邪魔した。もうすでに、ここは第二のマイホームである。
早くに両親を失った俺にとって、コムギのムッタァやこの家は、夢に描いた温かい家庭の姿だった。
「はい、ココア。外は寒かったでしょう?」
そう言って手渡されたカップの温もりに、俺の涙腺はみるみるうちに崩壊した。
ココアを手にしてしくしくと泣く俺は、端から見たら情けないことこの上なかっただろう。この姿をかつてのチームメイトが見たら、神に祈りを捧げるかもしれない。世界に終わりが来ないようにと。
しかしムッタァはただ優しく俺の頭を撫でてくれた。
「ムッタァ、オリー、コムギに駄目って言われたです」
「いやねえ、あの子ったら。照れてるのよ、それは。昔からちょっと意地っ張りなのよね、麦子ってば」
ぽんぽんと自信をなくして丸まった俺の背を、宥めるようにムッティが叩く。そうして、手にしたままのココアを「冷めちゃうわよ」と勧めてくれた。
それに逆らわず一口飲めば、悲しい心の中に染みるように穏やかな甘さが広がる。少し、気持ちが落ち着いたのが自分でもわかった。
そんな気持ちが伝わったのか、ムッタァはにっこりと笑う。
「大丈夫よ、オリーちゃん。麦子だって今頃言い過ぎたなあ、なんて落ち込んでる頃だから。一所懸命ちゃんと説明すれば、気持ちだって伝わるわ。オリーちゃんが諦めないかぎり、ねっ」
「Ja、ダンケシェーン、ムッタァ」
ようやく顔を上げムッタァを見て笑顔をになった時、玄関から恋い焦がれてやまないコムギの帰宅を告げる声が聞こえてきた。
俺は慌ててカップをダイニングテーブルに置くと、ムッタァに大きく頷いて見せ、急いでコムギのところへとむかう。そうだ、もう一度だけでもきちんと話そう。
俺がどんなにコムギを愛おしいと思っているのか、そばにいてほしいと思っているのか、それだけでも伝えたいんだ。
「コムギ!」
「どわあっ、おっ、オリー!?」
ひどく疲れたようなコムギの姿にたまらずぎゅっと抱きつけば、彼女は拒絶するでもなくそれを受け入れてくれた。
むしろ、恐る恐るではあるが俺の腰に手を回し、優しい手つきでさすってくれる。
その彼女の行動に俺は嬉しくなって、少し身をかがめると頬をコムギの頭へと擦りつけた。
「痛い痛い痛いっ、痛いってば、オリー!」
「コムギ、オリーは話がしたいです!」
「わかった、わかったから、ちょっと離れてっ。首がもげるって!」
ばしばしと背を叩くコムギに、俺は名残惜しくもゆっくりと身体を離す。そしてコムギを見ると、彼女は頬を赤く染めたまま、二階の自分の部屋を指さした。
「とにかく、私も今日のこととか訊きたいことあるし。私の部屋に行こう」
「Ja!」
どこか怒ったように、ぶっきらぼうに告げられた言葉に俺は同意して、階段を上がるコムギのあとに続く。
コムギの部屋……それは、この前初めて深い深いキスをした思い出の場所でもある。どうか、最後まで理性が保ちますように、と気合いを入れて俺は神に祈った。
部屋に入るとコムギは鞄を降ろし、小さな丸いテーブル近くへと腰を下ろす。「座って」と俺も促され、大人しくコムギを抱えて座ろうとして、叩かれた。
「そうじゃなくて! オリーはそっち! 私の前に座るの!」
「えー」
「えーじゃないっ!」
思わず不満の声を上げた俺に声を荒げたコムギは、それでも大人しく指示に従った俺を見て、再び真面目な顔へと戻る。
腕を組んでこちらを睨む彼女は、可愛い。座っていても体格差によって、少しこちらを見上げるようになる黒い瞳が、俺の理性を試しているかのようだ。頑張れ、俺。
「それで、どういうこと? これ、どういう意味?」
コムギがテーブルの上へと置いたのは、昼間俺が彼女に渡したエンゲージリングの箱だった。多分、指輪はその中にそのまま入れられているんだろう。
身につけてもらえていないことに軽くショックを受けながら、俺は気を取り直して彼女へと説明を始める。
俺はコムギの笑顔が欲しいのだ。ずっと傍にいて、笑っていて欲しいのだ。
「オリー、コムギに楽しくしてもらいたい。だから、ダチに相談しました。ダチ、オリーに“静かに”やりなさいって言った」
ムッタァの言ったとおり俺は一所懸命コムギに説明するが、なぜか彼女の顔はだんだん曇っていく。どうしたことだろうか。
「静かにやるって、どういうこと?」
いつもと違って固く感じるその声に、俺は少し焦る。
どう言えば彼女はわかってくれるんだろう。できれば、ちゃんと彼女の国の言葉で、日本語で伝えたい。
コムギに喜んでもらいたくて、サプライズのプロポーズをしたのだと。サプライズ……サプライズ……これは日本語でなんて言うんだ? ええと、確か……。
「ドッキリです!」
そう、多分この単語で合っているはず。
そう自信満々に答えた俺に、コムギは見る見るうちに顔を強張らせた。なぜだ?
「ドッキリ、って……」
「オリー、コムギ笑わせたい。だから、静かにこっそりドッキリしました。コムギ、楽しい? コムギ、笑える?」
俯いてしまったコムギの顔を覗き込むように、そう俺は言葉を重ねる。
俺のこの気持ちはコムギに伝わったのだろうか。彼女の笑顔を、答えを知りたくて近づいた俺に、コムギはがばっと顔を上げると突然大きく腕を振りかぶって、そして。
「さいっていっ! 大っ嫌い! 出て行ってよ、オリーのばかあっ!」
叩かれた頬の熱さに呆然とする俺を無理矢理部屋の外へと追いやり、コムギは泣きながら部屋へと閉じこもってしまった。
俺はわけもわからず部屋の前に立ち尽くし、何度もコムギに声をかける。
しかし返ってくるのは沈黙ばかりで、仕方なく、俺は張り裂けそうな胸を抱えてムッタァのもとへと戻った。
ムッタァは俺の顔を見て何かを理解し、心配いらないと言ってくれたが、俺はその言葉に首を振ってコムギの家をあとにする。
嫌われてしまった、その事実だけがひどく重く俺の心にのしかかっていた。