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ドイツさんと私  作者: 吉田
オリーと妖精、または天使
7/32

独日友好条約!



「オリーとライオンジャー、どっちが素敵ですか? どっちを愛していますか?」


 俺の軽い嫉妬に、情熱的な抱擁で答えてくれたコムギ。その柔らかい感触に、俺の理性は一瞬にして吹き飛んだ。コムギが、照れ屋のコムギが、自分から、俺に!

 気がついたら俺は思いきりその細い身体を抱き締めていた。恥ずかしさに逃れようとするそのささやかな抵抗が、なお俺の欲望を煽っていく。


『コムギ、俺の妻になってくれないか!?』


 顔を真っ赤に染め、俺の腕の中でなおも恥ずかしがるコムギに、昨日言えなかったその言葉をささやく。やはり、母国語で話すのが一番伝わる気がするな。

 俺のその懇願に、彼女は何度も何度も頷くと、くたりと力を抜いてこちらに身を預けてきた。心なしか上がっている吐息が、妙に色っぽい。

 ああ、早く。早くこの奇蹟を俺だけのものにしてしまいたい!

 コムギの了承は得られたのだから、あとはファータァとムッタァに報告をして、それから日本ではどういう順序を踏むのかを教わらないとな。

 「Andere Länder, andere Sitten.」、郷に入らば、郷に従えとはよく言ったものだ。


「おはよう、オリーちゃん。朝食食べていくわよね?」

「モルゲン! ムッタァ、おそれます!」


 ひとときの熱い抱擁の後、照れたのか荒い息をしてぐったりとしてしまったコムギを残し、俺は一足先にキッチンへと足を運んだ。

 もちろん、朝食を用意してくれているムッタァに、機を見て婚約の相談をするためだ。

 やはり、これに関しては女親のほうがいいのだろう。

 てきぱきとチーズオムレツやコーンスープなどを並べていくムッタァを、それとなく手伝う。といっても、俺ができることといえば、出来たての料理をダイニングに並べていくくらいだが。


「オリーちゃんのところでは、朝はどんなものを食べるのかしら」

「ドイチュでは、朝と夜は冷たいです。温かいは、お昼。お腹空いた時、午前中にちょっと食べるますよ」

「あらあ。じゃあ、こういうのは嫌い?」


 ほかほかと美味しそうな湯気をたてるオムレツを指さし、ムッタァは眉尻を下げる。それを見た俺は、慌てて首を振った。


「ムッタァの料理、レッカー! おいしい!」

「そう? ならよかったわあ。これが鈴木家のスタイルなの。だから、麦子と結婚したらこういう朝食になると思うのよねえ」


 にっこりと、俺を見上げてコムギによく似た笑顔を見せたムッタァは、ちらりと居間のほうを見ながらひそひそと続ける。


「麦子の指のサイズは、七号よ!」

「ムッタァ……!」

「日本では婚約指輪を贈るのが、そこそこポピュラーなやり方なの。オリー、頑張るのよっ」


 何も言わずとも理解してくれているムッタァに、俺は感激のあまり少しだけ涙ぐんでしまった。これで、ムッタァの了解はとれたも同然!

 ファータァにはおいおい挨拶に来るとして、まずは指輪だな!

 そう決意を新たにした俺は朝食をとってから家に帰ると、そのまま即行宝石店へと駆け込むこととなった。



***



「で、さっそく指輪を注文してきたって、そういうことか?」

「です!」


 俺のプロポーズ大作戦に協力してくれたお礼に、キーパーたちにはみっちりとしたトレーニングを、モトハシには居酒屋での食事を贈る。

 今日のトレーニングにイリエたちは、途中から涙を流して喜んでくれていた。指導する俺も、とても嬉しい。明日からずっとこんな感じでいこうかと思っていたら、モトハシに慌てて止められてしまったのだが、なんでだろう?

 俺は頼んだビールピッチャーを傾けながら、それをなぜか唖然とした表情で見守るモトハシに頷いてみせた。


『すぐにでも欲しかったんだが、こういうのは焦っても良いことはないからな。せっかくなので、俺とコムギが会った日付も一緒に彫ってもらうことにした』

『ああ、うん。おまえから“焦っても仕方ない”みたいな言葉が聞けるとは思わなかったんだけどその前にちょっといいか』


 モトハシの真剣な顔に、俺も手にしていたピッチャーをテーブルの上に置いて向き直る。もしかしたら、婚約指輪についてなにか助言があるのだろうか。

 まさか、日本では指輪は一緒に選ばなければならなかったのか!?

 だったら、もうひとつ購入することも検討しよう。いや、むしろ何個でもコムギと一緒に指輪を選んでみたい。

 彼女の喜ぶ顔を想像して笑顔を浮かべる俺に、モトハシは呆れたように口を開いた。


『オリー、悪いんだけどビールのピッチャーってのは、ひとり分じゃないんだぜ?』

『何を馬鹿なことを。モトハシ、このピッチャーというのはどこからどう見ても、ひとり分だ。日本ではひとりワンピッチャーだろう? 安心しろ、もうひとつちゃんと頼んである』

『ものすごく遠慮したい、その飲み方!』


 まったくモトハシは……というか、日本人というものは慎み深い人たちだ。こちらの奢りなのだから、遠慮せずともいいんだが。

 タイミングよく店員が持ってきたピッチャーを受け取り、俺はモトハシを安心させるように微笑んだ。


『俺とお前の仲だ。遠慮はするな』

「命の危険を感じる仲だな……」


 ぼそりと日本語で何かを呟くと、モトハシは急にテンションを上げてピッチャー同士をごつんとぶつけた。


『もういいっ、とにかくオリー、おめでとう!』

『ありがとうモトハシ!』


 そのまま一気に半分ほどあけてしまう。これぞ、男同士の語り合いに必要なもの。

 最初、日本のビールはなぜこんなに冷えているのだろうかと不満だったが、今やこの冷たさが逆にいい。

 頼んだヴルストやエダマメをつまみながら、ピッチャー三杯目になった辺り。とろんとした目のモトハシは、なんだか楽しそうに左右に揺れながら、ばしっと目の前の机を叩いた。


「オリー、とにかくなあ、しーずーかーにぃなんだぞおっ」

「しーずーかーにぃ?」

「そうだっ。相手はぁ、一般人なんだからなっ。あんまし騒がしくしちゃあ駄目だ! できるだけスマートに、静かに事を運ぶのが鉄則だっ!」


 確かに、一理ある。

 コムギはそんなに騒がしいことが好きではないみたいだし、ここはモトハシの言うように『静かに』行動したほうがいいのだろう。

 さすがモトハシ。いい助言だ!


「モトハシ、オリー、“静かに”行動しますよ!」

「それでよしっ」


 再びプローストと声を上げ、俺たち二人はピッチャーを空にする。

 そしてその後、なぜかたったのピッチャー四杯でふらふらになったモトハシを、俺が家まで送っていくこととなった。あれだけで酔ってしまうとは、モトハシはよっぽど疲れていたに違いない。

 それでも俺のために時間を作ってくれた彼に感謝して、俺は飲み足りなさにもう一軒、居酒屋へと足を向けた。





 そしてそれからひと月後。指輪を受け取った俺は、静かに行動を開始した。

 コムギのムッタァから聞いた住所を便りに、彼女の勤める会社に向かう。途中、やはりこれは外せないだろうと、花屋で真っ赤な薔薇の花束を購入し、俺はひたすら静かにひと言も話さずに、その扉を開けた。


「いらっしゃいま、せ……!?」


 受付カウンターのような席についていたコムギが、入ってきた俺の姿を目にとめて言葉を失う。

 この日のために新調したスーツだったが、気に入らなかったのだろうか。俺は密かにそんなことを心配しつつ、けれどここまで来て逃げることは許されないと決意を新たに彼女へと歩み寄った。

 コムギが立ち尽くしているのを見て、隣に座っていた同僚らしき女性もこちらに向き直り、そしてそのままあんぐりと口を開けて固まる。同じように、そのフロアにいるすべての人々が俺に注目していた。

 俺はそれにかまわず、足音すら立てないよう、静かに静かに彼女に近づく。そして、あと数歩のところで立ち止まると、おもむろに片膝をつき、指輪の入った箱を開け花束とともに、コムギに差し出した。

 言葉はなくとも、俺の気持ちはきっと彼女に伝わる!

 そう信じて、俺はモトハシの助言通り、ただひたすら無言で“静かに”コムギに求婚したのだった――。




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