妖精との出逢い
初めて彼女を見たとき、俺の身体はパンツァーファウストの直撃を受けたかのように、ものすごい衝撃にみまわれた。
ドイツからほとんど身ひとつで来日して三日目の夜。
引っ越しの挨拶は大事だろうと、本国から持参したワイン二本を手に隣の家までやってきたはいいが、チャイムを押しても返事はなし。そのまましばらく反応をうかがうが、どうやら留守だったらしい。
多少がっかりして、また後で来ようと振り返ったそこに、彼女がいた。
見るからに華奢な身体はぴっしりとしたスーツで包まれ、一見して働く女性なのだとわかる。しかし、肩から提げた鞄のほうが大きく見えるくらい、彼女は小さかった。
自分が手をかざせば余裕で包み込めるほどに小作りな顔には、印象的な大きな黒い瞳。繊細な睫毛に縁取られたそれが、綺麗に切り揃えられた前髪の下から、警戒心も露わにこちらを見つめていた。
がん、と脳みそを揺さぶる衝撃。これは、まさか妖精か!?
「コンバンハ!」
反射的にかけた俺の声に、小さな彼女はびくうっと肩を揺らす。大きな瞳がさらに大きくまん丸くなり、魅力的な桜色の唇がぽかんと開けられた。
彼女はどうやらこの家の住人らしい。警戒しながらも意を決したように、そろりそろりとこちらに歩み寄ってくる。
その姿たるや、まさに皇帝ペンギンのヒナ!
いや、むしろ俺の大好きなティディベアそのもの!
今すぐにでも抱き締めて、自分の家まで持って帰りたい衝動を抑えつつ、俺はすぐそばまでやってきた彼女に持っていたワインを差し出した。
「隣に、来ました。オミヤゲ?」
その言葉に彼女の視線は俺の手元に落とされ、一瞬の後、ぱっと上げられた顔には大きな喜びが溢れていた。
輝かんばかりのその可愛らしい笑みに、俺の胸が不規則に脈打つ。
おかしい。健康面に不安はなかったはずだが。
ぼんやりと彼女を見つめる俺にむかって、小さな手がそっと差し出された。俺ははっと我に返り、袋を渡したところで細い指に指が触れ、再び身体にびりびりとした何かがほとばしる。不快ではない。むしろ、快楽に近いその感覚。
「わざわざご丁寧に、ありがとうございます」
そうして、ずいぶんと高い位置にある俺の顔を覗き込むように、彼女はもう一度にっこりと笑顔を見せてくれた。
三度目の衝撃。
チャンピオンズリーグの決勝でPK合戦になった時にも感じなかった、興奮。息切れ。目眩の症状に、俺は自分の頬が熱くなるのを感じる。これは、もしや……恋、なんだろうか。
できるならばこのまま、ずっとずっと彼女の姿を目に焼き付けていたい!
そんな風にじっと凝視している俺に、彼女は少しいぶかしげに眉をひそめ、困ったように声をあげた。
「あのう、ええっと……」
「オリヴァーです。オリヴァー・ロルフ・ビルケンシュトックです。ドイツから来ました」
すかさず自分をアピール。ナイスパンチングだ、俺。
絶対絶対絶対絶対、彼女に自分を覚えてほしい!
その小鳥のような声で自分の名前を呼んでほしい!
「Sie」なんてすっとばし、「du」と話しかけられたって、喜んでそれに応えよう!
「オリヴァー、さん?」
「オリーのフロインドゥ、オリーと呼びます」
そう俺が重ねて言えば、彼女は少し考えた後、大人びた微笑みをこちらに向けた。俺も今度こそとびっきりの笑顔でそれに応える。
本国にいるときのように、この可憐な妖精にどうか怖がられていませんように、との願いを込めて。満面の笑みで。
それが俺――オリヴァー・ロルフ・ビルケンシュトックと、隣の小妖精、鈴木麦子との運命の出逢いだった。
***
そもそも俺が本国ドイツから、遠く離れたここ日本にやってきたのは、日常につきまとうわずらわしさから逃れるためだった。
長年人生の一部だったゴールキーパーという仕事を辞してから、俺を追いかける記者たちときたら、やれいつ監督になるんだ、いつ結婚するのかとこうるさい。
心底疲れていたそんな時に出会ったのが、かの有名な日本のアニメーション。
それは古き日本を舞台にした、心温まるファンタジー。二人の幼い姉妹がふくろうのような森の妖精と心を通わせる物語。素晴らしすぎる!
俺は泣いた。三日ほど泣いた。号泣だった。
話自体もそうだが、俺が特に心惹かれたのは森の妖精。その中でも、あの小さい白いやつ。それがちょこまかと歩く姿は、俺のゴールマウスを見事に突き刺さった。
こんななりをしていても、昔から小さく可愛らしいものが大好きで、本当のプライベートな寝室にはこれでもか、というほどシュタイフ社製のティディベアが並べられている。もちろん、ひとりひとりに名前まで付けて。
幸い俺は独り者だし、金にも困ってはいない。そこで急に思い立つ。そうだ、日本、行こう!
そうして、取るものも取りあえず、俺は憧れの地日本へとやって来たのだった――。
『聞いてくれ、モトハシ。俺は昨日妖精に会った。いや、天使かもしれない』
「スタッフー、医療スタッフー!」
開口一番俺がドイツ語でそう告げると、クラブチームで一緒だったことのある元MFで現コーチのモトハシは、青ざめた顔でスタッフを呼んだ。
『なんだ、誰か怪我でもしたのか? この大事な時期に』
『うん、なんか確実にひとり、痛いこと言ってる人がいるよね。俺の目の前に』
季節は冬だというのに、なぜか額から汗を流しながら、モトハシはわけのわからないことを口にする。思わずしかめっ面になった俺を見て、呼ばれて出てきたスタッフは一瞬にして回れ右。そのままスタッフルームへと戻っていった。
怖がられるのには慣れているが、さすがにちょっと寂しい。
あからさまにへこんだ俺を見て、モトハシは笑って肩を叩いた。
『すぐ慣れるって。時が経てばわかることがあるって言うだろう?』
「Ja, Kommt Zeit, kommt Rat.」
『そうそう、それ。せっかく日本語だって勉強したんだし、どんどん話しかけてみろって。特にキーパーたちなんか、おまえに憧れて目ぇきらっきらさせてんだから。俺がお前を引っ張ってきた時なんか、しばらく俺、神様扱いされたもんね』
にやっと彼独特のいたずら坊主のような笑顔に、俺もつられて笑みをこぼす。
俺が今臨時コーチをしているこのクラブチームは、現在ドイツで言うところのツヴァイテリーガに位置している。
現役時代、日本から移籍してきたモトハシと俺とは、彼が帰国して引退してからも交流が続き、今回来日するにあたって色々と世話をしてもらったのだ。
その中のひとつに今の住居もあったが、そう考えるとモトハシは俺と彼女の恋のキューピッドなのかもしれない。
ここはひとつ、モトハシの言うように日本語を使ってこの気持ちを伝えてみようか。うむ、それがいい。
「モトハシサン、オリー、あなたを大切にしたい!」
俺が最大限の感謝の意を声高に叫ぶと、練習場で柔軟をしていた選手やスタッフ一同が、一斉にこちらに顔を向けた。何か、見てはいけないものでも見てしまったかのような彼らの表情に、モトハシは泣きそうな顔で叫ぶ。
「ちがああああうっ! 誤解だっ! 誤解すんなああああっ!」
感謝を受けて当然だというのに、謙遜をするモトハシは本当にいい奴だ。
日本人とは本当にシャイな民族だなあ、と俺は微笑ましくそれを見守るのだった。
オリー編、はじまりました。
彼の性格からして麦子の時とは違い、ちょっと固めな感じになるかとは思いますが、しょっぱなから一目惚れしてましたw
まさかのドイツ版オトメンです。また、しばらくお付き合い頂けると嬉しいです。