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ドイツさんと私  作者: 吉田
麦子さんとゴリラ
4/32

モアフェイマスセレブゴリラ!



 そんなこんなでひどい週末を送った、月曜の朝。

 いつも通りに出勤した私は、隣の席の後輩がいそいそと机の下に何かを挟み込んでいるのを目撃した。あれは……グラビア?


羊子ようこちゃん、羊子ちゃん、なになに、それ。沖縄消防団の半裸カレンダー?」

「いやだ、麦子先輩っ。いつ私がそんな破廉恥なもの持ってきました?」

「先週」


 お弁当組がお昼を食べる会議室で披露したことを、よもや忘れたとはいわせんぞ!

 しかも、それはいまだこの残念な美人である後輩のロッカーに、思いっきり貼られている。どの口が言うかっ、と後輩をぴよぴよ口の刑に処した私は、改めて机の下の写真に目をやった。

 それは、どこかで見たような、いかつい顔の外人が写ったポスター。

 薄い金色の短髪に、青い瞳。高い鼻にがっしりとした輪郭。太い首に分厚い身体は、何かのユニフォームに包まれ、白い網の前で仁王立ちになっていた。なんていうか、浅草によくいる風と雷の神様っぽい感じ。写真なのに、威圧感が半端ない。んん?

 いやあ、世界にはよく似た人間が三人いるっていうけれど、ねえ?


「あらっ、麦子先輩も好きですか、この人! いい具合にムキムキで素晴らしいですよねえ。この不動明王かってところが素敵……」


 うっとりと舐めるような視線で、羊子ちゃんは机に挟んだその写真を見つめて言う。

 普段から「細マッチョとかもうあり得ないです! マッチョって単語に謝れ!」と憤慨する後輩は、無類の筋肉好きだ。

 羊子ちゃん、お願いだから帰ってきて! 現実に!


「いや、好きっていうか、なんかよく似た生き物を最近見かけるっていうか」

「えっ! それ本人じゃないんですかっ。彼、日本に長期滞在中なんですよ!」

「ち、違うと思うなあ。だって、その人警備の仕事してるって言ってたし」


 俄然本気モードに入った羊子ちゃんをいなしながら、私は誤魔化すように笑う。

 いやいや、まさか、ねえ。だってこれ、どう見ても有名人じゃないの。ばりばりに。

 あのすっとぼけた日本語を話すドイツ人と、絶対違うって。違う違う。違うはずだ!


「なんか、飛んでくるタマから何かを守ってる人らしいよ。部下に指示出したり、蹴り返して助けるんだって。だから、こんな風に雑誌に載ってるわけないってえ」

「せせせせせ先輩?」


 前にドイツ人から聞いたことをそのまんま伝えた私に、羊子ちゃんがイケてるDJ状態に陥ってしまう。なになに、どうした。

 そして、がしりとおもむろに私の肩を掴み顔を近付けると、内緒話でもするようにひっそりと口を開いた。


「先輩、その人もしかしてオリヴァー・ビルケンシュトックさん、じゃないですよね?」

「え、オリーだけど?」


 何で知ってるの、と私が訊き返そうとした瞬間。

 羊子ちゃんが爆発した。


「のおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」


 幸いにしてまだ出勤ラッシュには早い時間だったため、遠くにいる営業部長がびくうっとこちらを振り返っただけで済む。

 私は片手を上げ、何でもないことをアピール。部長は私にむかって軽くうなずくと、またもとの体勢に戻ってくれた。いい人だなあ。

 当の羊子ちゃんといえば、思いっきり叫んだきり、そのまま真っ白い灰になっちまっている。叩いたら直るかな、これ。

 しょうがなく、私たちが社内で密かに作っている、自主的運動部の合い言葉をささやいてみた。


「好きな痛みはっ?」

「筋肉痛! って違あああうっ!」


 反射的に反応して復活してくれた羊子ちゃんは、ひとりで見事なノリツッコミをしてみせると、ぶんぶんと首を大きく振って仕切直した。


「麦子先輩、よおおおく聞いてくださいね。そのオリーはですね、サッカー選手なんですよ! しかも、超有名所ですっ。世界レベルですっ。モアフェイマスセレブ!」


 なんだその怪しい英語は、と突っ込もうとして止まる。今、なんて言った?

 サッカー選手で、有名人。しかも世界レベルで? あのドイツ人が?

 いや、だってあの人、日曜だって土曜だって家にいるし。そりゃあ、毎朝一緒に走り込みしたりしてるけど、基本仕事してるのかしてないのか怪しいところだし。

 まあ、平日私が会社にいる間は何をしているのか知らないけどさ。お金にはまったく困ってもないみたいだけどさ。


「ないない! 他人のそら似に違いないよ!」

「同姓同名のそっくりさんは、もうそれ本人ですから!」

「だだだだって、このゴリラがサッカーしてるの見たことないよっ。身体は鍛えてるみたいだけど、基本自宅警備員だよっ」

「引退したんですよ、ついこの間。ドイツの名門クラブでずうっと第一GKで、しかもドイツ代表選手。なんでかすぐに来日して、どっかのチームの臨時コーチしてるはずですよ?」

「サッカー詳しくないし!」


 ショックから回復した羊子ちゃんに代わって、今度は私がガクガクブルブルと震え出す。聞いてない。まったく聞いてない。

 いや、ドイツ人は言ったつもりかもしれないけれど、私を含めて母も彼が警備の仕事をしてるって今の今まで信じてたんだよ。母はきっとまだ信じているよ!

 油が切れたロボットのような動作で、私はショック状態のまま無言で席に戻り、ノートパソコンを開く。忘れよう。ここから一時間前の記憶を削除しよう。ええと、デリートボタンはどこだ。


「麦子先輩、それ電源入ってないです。それに、デリートキーをどんだけ押しても、現実は消えないですからねー」


 冷静な後輩のツッコミが痛い。ううう。

 そんな風に始まった私の月曜日が、前日のごとく散々だったことは言うまでもない。あきらかに挙動不審な私を、同僚や上司は心配そうに遠巻きに見る。なぜか色々な菓子を献上されるのは、私の見た目があれだから。

 いつもなら「Not!子供扱い」と断るが、今日はそんな余裕すらなかった。頭の中をゴリラ的な何かがぐるんぐるんと駆けめぐる。

 午後になっても立ち直れない私は、上司から早退命令を発令され、会社から帰されてしまった。しかも、なぜか羊子ちゃんがロッカーに常備していた、あのドイツ人の写真集なるものも持って――。



***



『オリヴァー・ビルケンシュトック 霊長類最強ゴールキーパー!』


 会社から帰り、早々と部屋着に着替えてベットに転がった私は、羊子ちゃんから借りてきたその本をぱらぱらとめくってみた。中身は意外と硬派な記事と写真が満載。いい太股だあ、とか思ってないよ、多分。

 そこに写っていたのは、雄叫びを上げているような顔。横っ飛びになってボールをキャッチしている姿。仲間と肩を組んで笑って、時にゴールに寄りかかり涙を落とす写真たち。

 それは私の見たことのない、隣のドイツ人の姿だった。なんとなく、赤面。

 恥ずかしさを誤魔化すように、私はひとりごちてみる。


「これ、本当にオリーなのかなあ」

「本当にオリーですよ」

「うわあああああああっ」


 こっそりとエロ本を見ていたら、母親に乱入されてしまった男子中学生かってくらい、私はベットの上で跳ねる。かけられたその声に振り返れば、奴がいた!

 だから、なんで、うちにいるの! ドイツ人!

 私は慌てて枕の下に写真集を隠そうとするが、間に合わない。それはさっさとドイツ人に取り上げられてしまった。

 そしてなにやら真面目な顔で写真集と私を見比べると、満面の笑みになる。うわあ、嫌な予感しかしない、この展開。


「本物がここにいますよ、コムギ……」


 ぎしっとドイツ人の重みにベットが軋む。ななななんだ、この生々しい音っ。

 寝っ転がった私の身体を、囲い込むようにのしかかってくるドイツ人に息を飲む。そっと、その手のひらが私の頬に触れ、親指がゆっくりと肌を撫でた。

 ぞわり、と不快ではない感覚が背筋を駆け上る。


「フォートよりもオリーのほうが、ガンツグゥート!」


 そう言うなり唇に柔らかい感触。何度されても慣れない口付けに身体の力が抜け、私はベットへと沈み込んでしまった。よくわからないけど、ずるい、と思う。

 角度を変えて何度でも重なってくるそれが、いつの間にか私の唇を割って深く深く。何もかも飲み込むように、奪うように、どこまでも追いかけてくる舌。

 酸素を求めてドイツ人のがっしりとした肩を叩けば、ものすごく未練たらしく、最後に軽いキスを残してそれは離れていった。

 甘く痺れる頭も身体も、筋肉質な彼の高い体温に支配されている。ざらりと耳に触れたドイツ人の顎。その髭のそり残しの感触にまで、反応してしまう。


「アレスクラァ?」


 上質のベルベットでも撫でているような低音を耳に吹き込まれ、私は意味もわからずがくがくと頷く。

 そんな私にドイツ人は満足そうな笑顔をむけた。

 大きくて固い手のひらが、乱れた私の前髪をさらりと撫でつけ、そのこそばゆさに私は少し肩をすくめる。


「Ich bin in dich verliebt.」


 小さくささやかれた異国の言葉が切なく響いて、私はそっとドイツ人に手を伸ばし――むにっとその頬を思いっきり摘んだ。調子に乗るでないっ。

 多分真っ赤になっいるであろう顔のまま、四つん這いで私を覗き込むドイツ人を睨み付ける。それでもへらりと嬉しそうに笑うドイツ人は、もう本当にどうしようもない。

 再びゆっくりと寄せられる唇に、私は今度こそ諦めてそっと目を閉じた。



ドイツさんと私、ここでいったん完結となります。

このあと、オリー視点のお話を続けようと思っていますので、よろしければそちらも覗いてくださると嬉しいです。

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