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ドイツさんと私  作者: 吉田
ドイツくんと私
31/32

こけし様が見てる 5



 半ば睨み付けるようにオリーを見つめてそう叫ぶと、目の前数センチの距離にある青い瞳がまん丸に見開かれて、固まった。

 それまでドイツ語で話していたエルネスタさんと王子も沈黙。図らずも部屋の中は少しの緊張を含んだ沈黙に満たされた。

 オリーの足の間に膝立ちになり、筋肉に覆われた厚い肩に両腕を置いた私は、今にも飛び出してきそうな自分の心臓を必死に抑える。そのせいか、お酒のためではなく頬が赤く染まっていくのがわかった。

 私の腰に両手を添えたまま、オリーはひたすら硬直している。な、何か言ってよ!

 焦らされるのに慣れていない私は、告白テンションのまま、だめ押しとばかりに勢いよくオリーの唇に自分のそれをぶつけた。

 びくり、と大きな身体が動いたけれど、拒絶することなくオリーは私を受け止める。

 男の人の唇って、もっとがさがさしているイメージだったのに。それが違うって私に教えてくれたのは、この人。

 どこもかしこも直線的な線で構成されている身体は、抱きついてもちっとも柔らかくなくて、でもどんなに頼っても崩れることのない安堵感をくれる。筋肉って熱いくらいだし、こんなに重いものだなんて思わなかった。

 それを全部受け入れられる自分の身体の柔らかさにも、気付かせてくれたのは全部、この人。

 そっと唇を離して、再び青い色を覗き込む。すると、突然その瞳からほろり、と一粒涙がこぼれ落ちた。


「おっ、オリー!? どうしたの、どっか痛いの!?」


 次から次へといかめしい顔を流れ落ちていく涙に、私はさっき彼がそうしてくれたように手を添える。指先で触れたそれは、ひどく温かかった。

 その手を、大きさのまるで違うオリーの手がぎゅっと握りしめる。


「コムギ、オリーはとてもとても嬉しい。言葉にならないです、コムギ……っ」

「オリー……」


 鼻の頭を真っ赤にしながら、オリーはそう言って私に軽く口づける。涙に濡れたせいか、少しだけしょっぱい。

 そのまま二、三度キスを繰り返し、私たちは額を合わせて見つめ合う。


「Du bist mein Ein und alles……」


 目を細め、とろけるように優しい微笑みを浮かべたオリーが、低く呟いた。何て言ったんだろう?

 やっぱり少しはドイツ語、勉強したいなあと思った私の後ろから、ため息混じりの声がかけられたのはその時だった。


「“君が全てだ”、と言ったでござる」

「お、王子!」


 その声にびくっと肩を揺らした私は、まだぐすぐすと鼻を鳴らすオリーから顔を離し、さび付いたブリキ人形のようにぎぎぎ、と振り返った。

 そこには、頬を染めてこちらを睨んでいる拙者王子と、いたずらっぽく笑っているエルネスタさんの姿。おおおお、忘れてたよ!

 瞬間沸騰した私を見て、ふたりは視線を交わす。そして、こたつから立ち上がるとコートを手に玄関へと続く扉へと歩いていった。


「え、あ、あのっ」

「Man Sieht Sich!」


 ちゅっと投げキスをこちらに贈ると、晴れやかな笑い声をたてながらエルネスタさんは廊下へと姿を消した。

 王子もその後を追いかけて、ふっと足を止めて振り返った。


「いつかドイツにも遊びに来るでござる! 仕方がないので、拙者が歓迎してやるでござるよ!」


 赤い顔をしてそれだけ言うと、王子はそそくさと部屋を出て行ってしまう。

 ばたん、と玄関で扉の閉まる音が聞こえて初めて、言われた言葉の意味に気がついた。王子は、オリーが日本にいることも私が婚約者であるってことも、認めてくれたんだ!

 嬉しくなって、走ればまだふたりに追いつけるかも!と立ち上がりかけた私の腰を、それまで黙っていたオリーがぐいっと掴んで自分のほうへと引き寄せた。


「わっ、オリー!?」


 バランスを崩して胸の中に倒れ込んだ私を、オリーはぎゅうっと抱き締める。そこは世界で一番安全で、危険な場所。


「聞かせて、コムギ。どうして? どうしてオリー、結婚してくれますか?」


 怖いくらいに真剣な表情で、オリーが私の顔を覗き込んだ。

 キスをする時のように後頭部に回されていた手のひらが、優しく肩より少ししたまである髪を梳く。その甘やかされているような仕草に促されるように、私は口を開いた。

 うまく言い表せないけれど、少しでもこの気持ちが彼に伝わるように――。


「私ね、オリーと会うまで恋とかってよくわからなかったの。二十五過ぎても彼氏とかいたことなくて、もしかしたら自分は一生そういうの、わからないままなのかもしれないって思ってた。でもね、オリーがうちの隣に来て、コムギコムギってわたしのことかまってくれるうちに……恋、してたんだと思う。自分ではわからなかったけど、オリーに惹かれてたんだと思う」

「コムギ……」


 ぽっとオリーの顔が赤くなる。釣られるように、私も。

 一目惚れ、とかそういうのなのかはわからない。どこかの芸能人が言い表すような、電流が走ったわけでもなんでもなくて。それでも、なぜかその明るい色の瞳から目が離せなくなったことを覚えてる。

 私よりもずっとずっと大きな身体をして、ゴリラみたいないかめしい顔で、それでも素直にこちらに好意を示してくれるオリーを、私はいつの間にか好きになってた。

 そうじゃなきゃ、いくらなんでもキスなんてさせないし!


「ずっと、恋ってもっと物語みたいに劇的に始まるものばかりだと思ってたの。だから、こんな風にゆっくりと穏やかに変わっていく気持ちが、自分でわからなくて……。でも、オリーが好きだって、結婚しようってプロポーズしてくれてすごく嬉しかったよ? 抱き締められるのも、キスされるのも、オリーのものになったのも、全部全部嬉しかった!」


 彼は不器用なほどまっすぐに、私を抱いてくれた。

 私が女であることは、この人とこうするためだったんじゃないかってそう思えるくらい、それは素敵な出来事だった。

 どちらか一方的にじゃなくて、労りあって慰め合って高めあって。欠けていたものがぴったり重なり合うみたいに、私は満たされた。オリーも、そうだったとしたら嬉しい。


「私、ずっと意地っ張りだった。それでわがままで……。オリーが好きだよって伝えてくれて、いつでも求めてくれることに甘えてた。自分からは何も行動しないで、ただ黙ってそれを甘受するばっかりで、私はオリーにひどいことしてたよね……」


 オリーの短く切られている前髪を、そっと手で後ろに撫でる。

 彼は髪質が硬めのことを気にしているみたいだけど、全然そんなことない。柔らかくて、とってもいい感触。私は好き。

 小さい時の写真の彼は、今よりもずっと金色の髪をしているけれど、私は今のほうがいい。私の名前と一緒の小麦色。


「違いますよ、コムギ。オリーはそんなこと、思ってないですよ?」


 同じようにオリーもまた、後頭部に回していた手を外し、私の前髪をさらりと撫でた。

 そのこそばゆい感触に少しだけ首をすくめ、私は頷く。


「うん、大丈夫、知ってる……。でも、私、自分がそんなふうにオリーの気持ちにただ寄りかかっていくの、嫌だったの。ずっと気付かないふりをして、そうすれば楽で傷つかないかもしれないけど、でも……好きだから」

「コムギ……」

「オリーのこと、本当に好きだから。私だってオリーのこと求めてる。それをちゃんと伝えたかったの。だから、私からプロポーズのやり直し!」


 なんだか急激に恥ずかしくなって、それを誤魔化すように私はオリーの鼻の頭にキスをする。

 すると、額のあたりを撫でていたオリーの手が、指先で私の輪郭を辿るようにして頬に触れた。親指が何かを促すように、唇をなぞる。ゆっくりと、官能的に。

 求められている何かを正確に感じ取った私は、少し唇を開いて舌を出すと、その親指をいたずらに舐めてみる。ぴくり、とオリーの指が揺れ、そして。


「コムギ……っ」


 焦れたように呼ばれた名前に顔を上げるのと同時に、さっき自分から触れたオリーの唇が重なった。ちょっとの隙間もないくらいに、このまま食べ尽くされてしまうんじゃないかと思うくらいに、しっかりと。

 言葉も気持ちも全部、吐息ごとオリーの中に吸い込まれて、そうして熱になってまた私の中に返ってくる。身体の線をなぞるように、ここにいることを確かめるようにオリーの手のひらが動く。

 ただ撫でられているだけなのに、どうしようもないくらいお腹が疼いた。


「コムギ。オリー、コムギが欲しいです……」


 そうっと絨毯の上に私を横たえて、オリーが静かに笑って言う。

 こんな風に直接的に言葉にされたのは初めてで、私は一瞬言葉に詰まる。そんな私の首筋を、オリーの指が意地悪くなぞった。びくり、と反応すればますます嬉しそうに笑う。

 むっと眉を寄せたそこにキスをして、もう一度耳元で囁かれる。


――あなたの中に入りたい


 目眩がするほどの欲求に、顔を上げてこちらを覗き込んだオリーに、私はようやく了承の言葉を口にした。


「あのね、ここじゃその……こけしさんたちが見てるから……」

「Sicher!」


 王子が置き去りにしていった無数のこけしたちの視線を感じ、私たちは少しだけ気恥ずかしく微笑み合う。

 オリーは私を抱え上げると、ものすごい勢いで居間を出て廊下を抜け、階段を駆け上がって寝室の扉を少々乱暴に開け放つ。そして、あまりのスピードに驚いて彼の太い首にしがみついていた私を、優しくベットの上へと降ろした。

 そこを軋ませて私を閉じこめるように乗り上がってきたオリーを見上げ、私はなんだかおかしくなって忍び笑いを零してしまう。


「寝室到着最短記録かも」

「オリーはこれから、寝室滞在最長記録に挑戦したいですよ!」

「あの、私、明日も仕事――っ」


 そんな私の言葉は、再開されたキスによって阻まれてしまった。

 これはもう、だめだ。

 明日は極度の疲労と寝不足と、筋肉痛も覚悟して出勤しなきゃなあ、なんて考えながら、私は次第にそのキスに夢中になってしまったのだった。


 これが、私とオリーの二年目の冬の物語。

 そして――。





「コムギ! ジサンキンの牛はどの種類がいいですか? オリーは、クロベワギュウがいいと思うのですよ」

「ちょっと待って、ちょっと待って! 何で牛!?」

「だって、モトハシが日本ではヨメになる人に牛を贈るのナラワシって言いました。それにヨメ乗せて教会に行きますって聞きましたよ?」

「……本橋さん、あんちくしょうめ……」

「内緒でドッキリすると思いましたが、指輪の時みたいなるの嫌ですから、今回は先にコムギの意見を聞きます。コムギ、どの牛がいいですか?」

「いらないのっ、牛なんていらないからっ」

「でも、そしたらコムギ、オリーのヨメにならないですね……」

「すぐ泣かない! 落ち込まない! 牛なんかもらわなくっても、私はオリーのお嫁さんになるからっ。なんだったらオリーをもらってあげるからっ」

「コムギっ」

「うわあああっ、オリー! 場所を弁えてっ。まだ衣装合わせ終わってないからっ、店員さん困ってるからっ」

「Ich liebe Dich! Ich liebe Dich! コムギ!」



 これもまた、二人の幸せな日常の一日。


この後、エピローグ的なもので完結となります。

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