日独同盟破棄!?
「日独同盟を破棄したい。切実に、ものすごく!」
日本酒の入ったコップを割れない程度にがつん、とこたつの天版に叩きつけ、私は隣に座るでかい生き物を睨み付けた。
ダイニングから続く居間、テレビの前のこたつにて。なぜか満足げな顔をしたドイツ人は、心得たように私のコップにお酒をつぎ足している。いや、間違ってないけどそうじゃないっ。
「みかん、おいしいですね」
「田舎からの直送だぞ、当然! ……じゃなくて、ちょっと近いっ」
そもそもこたつって四面あるじゃないの。どうしてわざわざ隣に座るのかなあ!?
しかも、無理矢理隣に身体を押し込んできたドイツ人は、ぎゅうぎゅうと私に寄ってくる。おいこら、懐くんじゃないっ。
「狭いっ! オリーはあっちに座ってっ」
「狭い? オリーは狭くないですよ?」
でっかい手でちまちまとみかんの皮をむくドイツ人は、私の言うことがまったくわからないとでもいうように、ことっと首を傾げてみせた。か、可愛くなんかないんだからねっ。
「誰があんたの意見を訊いた! 私が狭いのっ。潰れるのっ」
その言葉にドイツ人は大きく頷くと、むき終わったみかんを黙ってこちらに差し出した。反射的にそれを受け取ると、私はなぜかそのまま彼に抱き上げられてしまう。えええええええ!
両脇に差し込まれた大きな手のひら。それがふわっと私の身体をいとも簡単に持ち上げる。そうして自分の足の間へと私を降ろし、そのごっつい腕が腹にぎゅっとまわって、拘束完了。
「これでコムギ、狭くないですね?」
「ばばばばばばば」
あまりのことに、罵声さえ出てこない。
それをいいことに、ドイツ人は私の耳にやたら可愛らしいリップ音を響かせてキスをした。なんだこれなんだこれなんだこれ。
そして、匂いを嗅ぐように首筋にその高い鼻を埋められたところで、私はギブアップ。あぐあぐと白いタオルを求めて、ちょうど追加のみかんを持ってキッチンから戻ってきた母に、必死に手を伸ばす。れ、レフリー!
「あらあ、素敵! 昔のお父さんと私を見てるみたいっ」
「娘の貞操の危機だっつの! ここは怒るところだから! ボケるとこじゃないからっ」
「えー? だって、ハーフの赤ちゃんて天使みたいでいいわよねえ?」
「オリー、頑張りまするよ!」
「あんたは余計なところに参戦すんなっ」
首にキスしてくるドイツ人を、手のひらで押しのけて、私は叫ぶ。
するとそれ以上のことはせず、彼はとろけるように甘い笑みを私に向けた。自然と自分の顔が赤くなるのがわかる。く、悔しい。
「に、日本酒、おかわりっ」
「Ja!」
***
あのあと、なんでか客室にお泊まりしていたドイツ人に私が叩き起こされたのは、次の日の朝。日曜日の七時三十分。正気の沙汰とは思えない。私の日曜日を返してよう!
ていうか、未婚女性の寝室に勝手に入ってくるって、あんたの国は騎士の国だろうがっ。
「コムギ、早く早く。始まりますよ!」
「ううう、何がよ……? って、ちょ、抱き上げるなっ」
何かそわそわしているなと思っていたら、なかなか起きあがらない私に焦れたドイツ人は力業に訴えた。
つまり、パジャマ姿の私をベットから抱き上げ、そのまま階段を下りて居間へと向かう暴挙に出たのだ。。小学生体型とはいえそれなりに重いはずの私を抱えても、ちっとも危なげのない足取り。素早くテレビの前までやってくると、こたつの中に私を押し込んだ。
そして、キッチンからオレンジジュースを持ってきて私に渡す。そのまま当然のように私を背後から抱き締め、彼もこたつへと足を伸ばした。待て、この位置はもう決定なんですか。
寝起きの頭に次々と浮かぶ疑問は、あわあわという不明瞭な言葉でしか出てこない。そんなことにおかまいなし。ぷちん、という音とともにテレビを点けると、ドイツ人は私の頭を顎でぐりぐりと撫でてきた。
痛い痛い痛いってばっ。
「ソーセージ、始まりますね」
「意味がわからない!」
画面を太い指でさすドイツ人に不機嫌を伝えつつ、私はオレンジジュースを一口飲む。気遣いのできるいい人ではあるんだよ。ちょっと斜め上に行きがちだけど。
まだ眠気の取れない目をごしごしと擦っていると、どこから出してきたんだか、まだほかほかしている濡れタオルで顔を拭われた。なんか、介護?
少しずつ覚醒していく頭の隅でそんなことを考えていると、目尻にちゅっとキスされる。
ゆ、油断も隙もあったもんじゃないね!
「ほら、コムギ!」
赤くなった頬を誤魔化すように首を振った私に、妙にはずんだ声でドイツ人が再び話しかけた。だから、なにがどうしてなんだというの!
促されるまま、仕方なくテレビに目をやった私がそこで見たものは――。
『あーいーとーゆーうきー! かかげーてーゆくーんーだー! ライオンジャー!』
……ああ、ソーセージ。うん、ソーセージね……。
何が悲しくて二十五歳独身女性が、三十五歳ドイツ人と一緒に日曜の朝から戦隊ヒーローを見なければならないのか。
そんな疑問に思いっきり脱力してしまった私は、背後にある広い胸に背を預け、大きくため息をついた。その行動に何を勘違いしたんだか、より密着してきたドイツ人は、ライオンジャーについて一所懸命説明をしてくれる。
「ライオンジャー、悪いと戦います。レッヒトウントフライハイト!」
「うんうん、はいはい。ライオンジャー、かっこいいねっ」
いい加減あきれて適当にそう返すと、ドイツ人はなぜか一転、悲しそうな顔になる。
まるでジャーマンシェパードがご主人に叱られて、耳と尻尾を垂らしているが如く。あれ、でも今私、ちゃんと同意したでしょうが。何が不満じゃっ。
「オリーとライオンジャー、どっち?」
「は?」
「オリーとライオンジャー、どっちが素敵ですか? どっちを愛していますか?」
ええええええええ。そういう話なの!?
口元は微笑んでいるけど、真っ青なその目がまったく笑ってない。顔怖い、顔が怖いよ。
どう答えればこの地獄から抜け出せるっていうのっ。
「コムギ!」
ええいっ。
迫り来る悪鬼の如き顔に耐えきれず、私は思わずぎゅっとその首に腕を回した。しかし、太い首に身体だ。膝立ちになって両腕を回しているというのに、私では彼の身体を抱き締めきれない。
その鍛え上げられた固い身体の感触に、走り込みと筋トレを趣味とする私はつい感動してしまった。胸板厚いなあ!
すると突然、強い力で抱き締め返される。ぐああああっ。さばおりっ、さばおりになってるってえ!
「ラブ注入!」
「どこで覚えたそんな言葉ーっ! ていうか出ちゃうっ、内蔵が出ちゃうっ」
「コムギ、Moechtest du meine Frau werden!?」
「くくく、苦しいってば! もうっ、わかった、わかったってばああああ!」
その後さんざん締め付けられてぐったりした私の顔に、ちゅっちゅとキスを降らせたドイツ人は、朝ご飯までしっかり食べて自分の家へと帰って行った。
この時、自分が何に同意してしまったのか、私はまだ知らない。なんていうか、ドイツ語なんて嫌いだっ。