こけし様が見てる 1
拙者王子こと、ミヒャエル・ベルンシュタインはどうやらオリーには何も告げず、いきなり来日したらしい。
期間は二週間と少し。欧州のサッカーチームはこの時期、みんなクリスマス休暇を取るのだと、オリーが教えてくれた。普通なら、その休暇中は家族や仲間と過ごすらしいのだけれど……。
「よいでござるか、お主はこの『愛屋特製お子様うどんセット、限定こけしストラップ付』を注文するでござるよ。日本の国旗も立っているし、量もそこそこ。なによりチビスケ、お主にはぴったりのセットでござろう!」
平日昼過ぎの和風ファミリーレストラン。
その店内の一角で、なぜか偉そうにメニューを指定してくるのが、謎の来日中である王子なのだった。そこはかとなく上から目線の彼が指さすのは、さっき口にしたとおりのお子様セット。しかも小学生まで限定の。
私は頭の中に、本日すでに何十回目かのゴングが鳴り響くのを聞いた。よおし、いい度胸だ、このガッカリ王子め!
黙って静かな笑みを浮かべ、目の前にあった温かいおしぼりを彼に投げつける。使用済みじゃないだけましと思えよ!
それは見事、どこか興奮気味にこちらに身を乗り出していた王子の顔にヒット。びちっといい感じの音を立てて貼り付いた。うん、凹凸の激しい顔だと付きやすいかもね。
「なにをするでござるっ」
「それはこっちが訊きたいわ! なんで二十六の社会人が、ファミレスでお子様セット頼まないといけないのっ!?」
「拙者のこけしコレクションのために決まってるでござる」
だから何でそこでふんぞり返るわけ!?
喋っている内容と口調さえ気にしなければ、ものすごい美形であるその顔を睨み付け、私は腹立ちまぎれに奴のおしぼりを強奪した。むっ、と整った眉がひそめられるが、文句を言わないのは限定こけしストラップのためだろう。
仕方なく、投げつけられたおしぼりで手を拭きながら、王子は再び口を開いた。
「無論、チビスケが何を不満に感じているかは、わかっているでござる」
「よし、言ってみて」
「あれだ、お主はストラップがひとつしかもらえないことが不満なんでござるな? そこは拙者がふたつもらえるよう、取り計らってやるでござる。それでよいのだろう?」
「問題はそこじゃないっ」
ふふん、と偉そうに言われたことを、私は間髪入れずに切り捨ててやる。こいつ、人類の誰もがこけしを欲してやまないと思ってる、確実に。
ここまで何でこけしに執着するの、この人。最初にそんな危険なものをこれに与えたのは、どこのどいつだ!
「とにかく、私はこっちの味ごよみ膳を頼むんだから、邪魔しないでっ」
「注文できたら、でござるな」
むかつくほどさらさらと流れる、短めのプラチナブロンドを掻き上げて、拙者王子は楽しげにアイスブルーの瞳を細める。それはどこか、なぞなぞを出す前の笑う猫のようで、私はむっとして眉をひそめた。
男の人にしておくのは勿体ないくらい美しい顔立ちは、けれど決して女々しくはない。目も鼻も口も、顔全体が優雅で丁寧に作り込まれて、きっと神様の一番のお気に入りなんだろうって思える華やかな容姿。挑戦的な笑みを浮かべながら、ここの椅子だと足が余る、とでも言いたげにゆっくりと長い足を組み替えた。
何ていうか、何もかもが私のカンに障る。有り体に言えば、むかつく腹立つ。
「王子、私のことバカにしてるでしょう」
怒りにまかせて低く問えば、拙者王子はふん、と一度鼻を鳴らした。言葉での回答はないが、それだけで充分。充分、彼の気持ちは伝わってきた!
初めて会って名乗ってからこっち、延々となんでかチクチクチクチク嫌みを言われ、突っかかられ、そろそろ私の堪忍袋も限界です。なんでそんな風に私に意地悪を繰り返すのかはわからないけど、そっちがその気ならもう遠慮しないもんね!
大好きな人の家族のような人だっていうから、表面上はにこやかに接していたというのに!
絶対に負けられない戦いが、ここにもある!
「すみませーん!」
「はい、ご注文ですか?」
決意を固めたところで、ちょうど通りかかった女性の店員さんに声をかける。
いいぞ、コムギ。ここは私のホームグラウンドだ。遠征してきてる残念王子なんかに、絶対に負けたりしないんだからっ。
もはやファミレスで食事を注文するという以上の情熱を燃やし、私がサービススマイルを浮かべて待つ店員さんに話しかけようとした、その時。
「Aua!」
短い声が目の前で上がり、私と店員さんははっとしてそちらに視線を向ける。
見れば、王子がテーブルの水を倒し、それが黒いズボンへとかかってしまっていた。何やってんの、この人……と私が思うよりも早く、プロ意識に秀でた店員さんは、同じくテーブルの上にあったおしぼりを手にとって、彼の前に跪いた。
「お客様、大丈夫です、か……?」
太股から膝の辺りにかけて染みた水におしぼりを当て、そう言って王子を見上げた店員さんの語尾が不自然に消える。そして、その顔が見る見るうちに真っ赤に染まっていくのがわかった。ええええ。
「Danke, フラウ。拙者の間違いでござる。かたじけない」
「あっ、その、いいえっ」
すっと膝に置かれていた手の上から、王子は自分の手を重ね、ゆっくりと持ち上げていく。それを呆然とした顔で見つめながら、店員さんはしどろもどろに答えて首を振る。
彼女をじっと見つめ、王子は目を逸らさない。手も放さない。そのままで、彼はとても心地の良い声を出してさっきの言葉を繰り返した。
「『愛屋特製お子様うどんセット、限定こけしストラップ付』と、拙者はこの『夢御前を』頼むでござるよ。フラウ、よいか?」
「はははは、はいっ。ご、ご注文を繰り返します! 『愛屋特製お子様うどんセット、限定こけしストラップ付』と『夢御前』ですねっ」
「Ja」
店員さんの震える復唱に頷いた王子は、おもむろに掴んでいた手を口元に持っていくと、その指先にちゅっと軽くキスを落とした。それは、初日に私がされたのと同じ、本物の王子様のような振る舞い。
呆れたようにそれを見ている私の前で、店員さんは声にならない声をあげた。そして、素早く立ち上がって一礼すると、ダッシュで厨房のほうへと走り去ってしまう。
ぽかん、とそれを見送った後、私は指先でテーブルを叩かれる音に我に返った。あ、あれ?
「それで、チビスケ。お主は何が食べたいって?」
にやにやと笑われ、私は今のが全て王子の作戦だったことにようやく気付く。
わざと水を零して店員さんを引き寄せて、そのまま自分の魅力全開で有無を言わせず注文を終わらせる……なんて無駄な美形!
私はどっと疲れを感じ、机の上に突っ伏してしまった。子供、子供の喧嘩……。
そんな私の様子に、王子が喉の奥で笑うのが聞こえた。獲物を掴まえた猫が喉を鳴らすように。……もう、何とでもバカにすればいいっ。
テーブルに置いた手をぐっと握りしめて屈辱に耐えていると、不意に伏せた頭の上に何かの温もりが乗っかった。え、と思う間もなく、わしゃわしゃと髪の毛をかき乱される。
驚いて私が身を起こすのと、拙者王子が手を引くのとは同時。さっきまで敵としか認識されていないと思っていた彼に、そんな風に優しく触れられたなんて信じられず、私はただ黙ってその端正な顔を見つめた。
すると、ちょっとだけ気まずそうな表情をした王子は、その白い頬をかすかに染めてそっぽを向いてしまう。ええと、今のは何ですか?
「おっ、お主なぞ家の犬と同じでござるっ」
「犬……」
「Ja!」
慌ててそんな言い訳をする王子に、私は肩の力が抜けてしまった。あんまりに不器用な親愛の表し方に、思わず笑みがこぼれる。それを横目で見ていた王子も、ほんの少しだけその口元を引き上げた。
ちょっとした和解が成立したところで、さっきの店員さんがぎぐしゃぐと料理を持って現れる。なんか、ものすごく即行だけど、大丈夫かこの人。
未だ頬に赤みが残る彼女は王子の前に夢御前を置くと、迷うことなく私の前にお子様セットを並べた。そして、手にしていたバスケットの中身を示す。なんというか、やっぱり色々と屈辱……。
「これがオマケの限定こけしストラップですっ。お嬢ちゃん、ピンクと水色、どっちいいかな?」
にこっと素晴らしい笑顔をむけてくれる彼女に罪はない。罪はない。罪はないっ。
口の中でぶつぶつと呪文のように繰り返す私に、店員さんは決めかねていると勘違いしたのか、テーブルの上にそのふたつをそっと置いた。
驚いて見上げると、彼女は秘密、とでも言うように唇に指を当ててこっそり囁く。
「ピンクのほう、前に私がもらった奴だからあげるね。内緒だよ?」
「あ、ありがとうございます!」
純粋な好意が嬉しくて、私もふたつのこけしストラップを握りしめて笑顔を返す。
店員さんは軽く首を振り手を振るとその場を後にした。なんというサービス精神。その好意の約三分の二は、この残念王子にむけられたのだと思うと……。
「最高でござる! ふたつ一度に手に入れられるとは!」
「あーはいはい、よかったねー。ほら、ピンクと水色こけし」
こっちはこっちで無邪気に喜んでいて、ますます毒気を抜かれてしまった。
確か四つほど年下らしいけれど、ちょっとしたファミレスのおまけで喜ぶその姿は、十歳くらいの男の子のようにも見える。弟がいるってこんな感じかなあ。
そんなことを考えつつ、私がいただきますと料理に口を付けようとしたら。
「ん」
ずいっとピンクのこけしが目の前に差し出される。
何だろうと思って見れば、何かすごく恥ずかしそうな顔をした王子が、私にそれを押しつけてきた。思わず受け取って、首を傾げる。なんだろう。このこけしで一句ひねれ、とか言い出すんじゃないだろうか。
不審そうな目を向けた私に、一瞬にして不機嫌な顔に戻ってしまった王子は、ぶっきらぼうに小さく呟く。
「チビスケにやるでござるっ」
「え、なんで? これ、両方とも欲しかったんじゃないの?」
「拙者がやると言ったらやるでござるっ。文句を言わず受け取るでござるよ!」
そうして王子はあとはもう何も言わず、さっさと食事を始めてしまった。
私はといえば、手の中のピンクこけしを見つめて考える。これはその、呪いとかじゃなくて良い意味でプレゼントしてくれたってことだよね?
何だろう、なんかちょっと……大分、嬉しいかも。こけしだけど。
朝から今まで受けた意地悪の数々を払拭するその好意に、私はにっこりと笑う。お礼を口にしようとこけしから王子へと視線を上げた、そこに。
「なんでこけし並べるの!?」
「チビスケ、食事中は静かにするでござるよ」
ファミレスのテーブルの上に、午前中回った土産物店で手に入れたこけしがずらり、整列してこちらを見ていた。大・中・小と色も形も様々なそれ。
一点一点吟味に吟味を重ね、王子が納得して購入したこけしたちは、テーブルの上で……いや、店内で異彩を放っていた。ねえ、やめて。マジやめてください!
周りのお客さんたちから、居たたまれなくなる視線が突き刺さってくる。違います、違うんですっ、変態じゃありません!ちょっと異常なくらいにこけしが大好きな残念王子なんです!
心の中で叫びながら、私はその人たちに何でもないような笑顔を返すしかなかった。
「やはり、さっきチビスケが選んだこれが一番かもしれないでござるな」
「わあい、とっても光栄だから早くしまえとにかくしまえ」
「なぜでござる? 拙者はこれからこれを愛でつつ和食を堪能しようかと……」
「お願いです王子様! どうしようもない私のために、それをしまってくださいお願いします!」
究極のへりくだりをかまし私が素直に頭を下げると、王子は仕方がないな、なんてため息を零してこけしをバックにしまった。いいんだ、私は価値ある自分の何かのために頭を下げたんだ!
「こけしを愛でながらの食事は格別でござるのに……」
何その人生で最も苦渋の決断をしたみたいな顔は。
周りの女性客からほうっとため息がこぼれるのを聞いて、私は首を振る。待って待って待って、こけしですよ、こけし!?
いいな、美形って。ちょっとアレでも許されて。
「早く食べろでござるよ、チビスケ。この後、まだ回りたいこけし屋があるでござるからな」
「まだ買うのかっ」
「今度はもう少し小さなものがあればいいでござるな」
もうやだっ、この王子様もうやだっ。
ある意味で泣きそうになりながら、私は今この場にいないもうひとりのドイツ人を思い浮かべて文句を言う。どうして私にこんなのの世話を任せちゃったの、オリー!!
それは今朝、彼らの口喧嘩から始まった不幸だった。
2/3、改稿しました。