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ドイツさんと私  作者: 吉田
麦子さんとゴリラ
2/32

おでんとすき焼きとソーセージ



「いただきまーす!」


 部屋着に着替えた私が食卓につくと同時に、三人手を合わせて鍋に一礼。ちなみに、部屋着がユニクロの子供用だということは、私だけの秘密だ。

 さっそくビールに手を伸ばす私を、それを持ってきたドイツ人は嬉しそうに見ている。


「コムギはドイチュの人みたいですね」

「まあ、負けないくらいにビール好きなことは認めるよ」


 日本人がドイツドイツと呼ぶ国は、本来は『ドイチュランド』と発音するらしい。

 このムキムキのドイツ人が、『ドイチュ』と口にする様は、激しく可愛い。チュってもう、ねえ?

 そのドイツ人も持参した馬鹿でかいジョッキでぐびり、とビールに口をつけた。彼が言うにはこれが普通サイズとのことだが……あなどれんな、ドイツ!

 にしても、うまい。

 ワインに引き続き、これだって輸入食品を扱う店に行けば、けっこうな値段するぞう。しかもわざわざ本国から送ってきたって。もしかして、金持ち?

 ちくわぶの熱さに、はふはふ言いながら涙目になっているドイツ人を横目で見ていると、何を思ったのか新しくビールを開けて差し出される。

 そうかそうか、あんたの中では私はそういう生き物か。よし、ありがたくいただく。


「麦子ったらあ。本当に、誰に似たのかしらねえ。こんなちっちゃいのに、そんなにどこに入っていくのかしら」

「ちっさい言わないっ」

「コムギ、バカ可愛いですよ」

「フォローになってないっ」


 お客様の中に、ツッコミの方はいらっしゃいませんか!と叫び出したくなるような惨状に、今はここにいない父の存在を思う。が、よく考えれば気の優しい父は常識人ではあるが、天然おっとりの母にさえツッコミをいれられない人なのであった。

 しかたなく、昆布を口に放り込みながら考える。ここは話題転換を要求しよう。うん、それがいい。


「ねえ、オリーは日本でなにやってる人なの?」


 なぜかおでん鍋の中に入っているソーセージを箸で器用につまみながら、ドイツ人は私の問いかけにこちらを見る。ドイツ人とソーセージ。絵的には間違ってない。

 どうせ母が『ドイツ=ソーセージ』くらいの短絡的な勢いで、普段は入れないそれをぶちこんだということだろう。味は悪くはないけどさ。


「オリーは、守る人です」

「守る人? なにそれ、何から?」


 なぜか甲斐甲斐しく手渡された三本目のビールを飲みながら、私は首を傾げる。

 ていうか、おまえは私の嫁さんか。ふたまで丁寧に開けてくれてるから、私は飲むだけ。それでいいのか、ドイツ人!


「タマが飛んでくる。オリーはそれから、守る人です。仲間に指示します。怒ります。蹴り返して、仲間助けます」


 うええええ。なにその危険なお仕事。

 そのがたいからして、どうやっても堅気のお人じゃないとは思ったけれど、それはつまり――。


「まあ、かっこいいっ。SPねっ、SPなのねえっ」

「SP? オリー、GKですよ?」

「ドイツではそう言うのかしら? 身体をはるお仕事なのねえ」


 もっと食べなさい、と何やら感激しきりの母が、ドイツ人の皿に大根やらはんぺんやらを特盛りにする。

 SPかどうかはともかく、このドイツ人が何かの警備員らしいってことはわかった。

 見た目はともかく、意外と細やかで優しい彼がそんな荒事を生業にしているとは、意外である。怒るところなんて、想像もつかないけれどねえ。

 見慣れてくると多少可愛く感じられるその笑顔を見つめていると、何を思ったのかドイツ人、今度は袋の中からワインを取りだしてみせた。


「ヴァイスヴァイン?」

「オリーは私を正しく誤解しているよ! いただきますっ」


 文句は忘れず、しかし私は素早く立ち上がって食器棚からワイングラスを二脚取りだし、目の前に置く。

 心得ているとばかりに見事な所作で手早くコルクを抜いたドイツ人が、なみなみとそれに淡い金色の液体を注ぎ、私たち二人は気分良く杯を持ち上げた。


「こういう時、ドイツではなんて言うの?」

「プロースト!」


 嬉しそうにそう言う彼につられて、私も思わずにっこりと笑う。


「プロースト!」



***



 そんなこんなで始まった、いかついドイツ人とのご近所付き合い。その私たちふたりは今、なぜか近所のスーパーで一緒に買い物なんかをしてしまっている。

 しかも、まるで恋人のように手まで繋いでいる。な、なぜ?

 隣で口笛を吹いてご機嫌なドイツ人を恐る恐る見上げると、それに気がついた彼はますますその笑顔をきらめかせた。

 こらこら、そこらの子供さんが顔を引きつらせていますよ、ドイツ産なまはげに。


「ムッタァが、今日はスキヤキですよ。お買い物、行って来い! オリー、スキヤキの歌、歌います?」

「歌わんでいい、てかスキヤキの歌ってなんぞ!」


 ぶんぶんと繋いだ手を振るドイツ人に、私は文字通り振り回される。やめれ!

 合わさった手のひらの大きさもそうだが、歩幅もずいぶんと違うはずなのに、気がつけばドイツ人は私に合わせて歩いていてくれていた。

 それに気付いて、なんとなくそわそわする。この小学生的外見から、今まで学校や会社ではさんざん子供扱いはされてきた。けれど、こういう風に女の子扱いされたことはない。欧州的エスコート術なのか!?

 しかし、所詮はゴリラと見た目小学生。スーパーに入ったときから、周りの目が痛い。

 なんていうか、「あれは親子?」「いや、違うでしょう」みたいな会話がね、背中から聞こえてくるわけですよ。

 うう、早くお買い物すませて返ろう。


「ええっとオリー、野菜から行くよー……っておい! 何してんの!」


 渡された買い物メモを見ていた私がそう言って、静かになった隣を見てみれば、店内で目立ちに目立ちまくっているドイツ人の姿はソーセージコーナーの前。お前はパブロフの犬かっ!

 慌ててそちらに近寄って行くと、その気配を感じて振り返ったドイツ人の瞳がすっごく輝いている。もう眩しいくらいの青い瞳。


「コムギ! これ素敵ですね! グートゥシェーン!」

「はあ?」


 野球のグローブかと思えるほどにでかいその右手に握られていたのは、まさかの子供用ソーセージ。魚肉。しかも、戦隊もの。

 まだ隣の女の子向け魔法少女にひかれなかっただけ、マシなのか?


「これ、カコイイ! コムギ、買って! 買って!」

「どこのお子様なのよ……」


 ものすごい勢いでアピールしてくるドイツ人に呆れた視線を送るが、当人はどこ吹く風でこちらに迫る。だから、遠近感狂うからそんなに近付くなって。


「そんなの、高い割には中身があんまし入ってないし、却下」

「悲しゅうございますよ! オリーはこれが必要なものだと考えます。素晴らしいデザイン、オリギネル! 中には四つ。ファータァ、ムッタァ、コムギにオリー。最高です。仲良しの証ですね! いかがですか?」

「いかがですもなにも」


 あなたはなぜスーパーのソーセージコーナーで、とどろく美声を使って演説なんかを始めちゃったりしているんですか、と小一時間こっちが問いつめたいわ。

 さっきまでは怖いもの見たさだったお客さん達が、あまりのくだらないこのやり取りに、くすくすと笑い声を漏らしている。

 期待に満ちた顔でつきだされたそれを受け取るかどうか迷っていると、くいっと服の裾を誰かに引かれた。

 驚いてそちらを見れば、小学生低学年の男の子がひとり。何だかしたり顔で私を見詰めている。


「姉ちゃん、買ってやれよ。可哀想だろうが!」


 哀れむような瞳を向けられたドイツ人は、わかってるんだかわかってないんだか、思わぬ援護射撃に大きく頷いた。なにこれ、私悪もんくさくない?

 頼んだぞ、となぜか偉そうに言い置いて、同じソーセージを掴んだ男の子は、先で待つ母親のもとに走っていく。た、頼まれてもなあ。


「コムギ……」

「あーもう、わかった! ひとつね、ひとつだけだからねっ」


 やけになってそう叫ぶと、オリーはぱっと顔を輝かせ、突然私の身体をぎゅうっと抱き込む。ええええ。

 大きな背中を折り曲げて私を胸の中に閉じこめると、頭のてっぺんに頬をすりすりとすり寄せてきた。

 ちょ、ちょ、ちょ! あの、なんか心なしか私の身体、地面から浮いてますよね!?


「Ich liebe Dich、コムギ……」

「わわわわかった、よくわかんないけどわかったからっ」

「Sei doch immer bei mir nahe zum Greifen……」


 ええい、何を言っているのかわからん! ジャパニーズプリーズ!

 ドイツ人はじたばたと暴れる私の身体をそっと離すと、少しだけ頬を染めて微笑む。その青い瞳がなんだか熱っぽく私を見つめるのは、なんでだろう?

 呼吸的な意味で真っ赤になった私に、再びそのいかつい顔が近付いて、そして。


 ちゅっ。


 鈴木麦子二十五歳、初めてのキスは近所のスーパー。しかも、ソーセージコーナーの前でした――。



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