これもすべて年の瀬の一日 《オリーと麦子》
下品な言葉や表現が出てきます。苦手な方は注意してください。
今日も今日とて、まるでぬいぐるみのように抱きかかえられテレビを見ていた私が、オリーの異変に気がついたのは、夜も大分更けてから。
夕食の時にビールを飲んで、その後もこたつに入って日本酒をちろちろと舐めていたから、最初は酔っぱらっているのかな、と思っていたんだけども。どうも、背中に感じる体温がかなり熱い。しかも、なんだかゆらゆらと不思議に揺れている。
何事かと包み込まれた腕の中で、背後のオリーを振り返ってみれば、彼はその顔を見るからに赤くして、ぼんやりと宙を見つめていた。おかしい。
「オリー? ねえ、酔ったの?」
「コムギ、可愛いですね」
へらり、としまりのない顔で笑いかけたオリーの額に、私は手を当てた。すると、これでもかと言うほどの熱。高熱。心なしかその青い瞳もうるんで見える。
どんなに体格のいい人でも、風邪ってひくもんなんだなあ、なんて変に感心している場合じゃなかった。
いつから発熱していたのかわからないが、体力の限界がきたらしい。そのまま、ずるずると私に覆い被さってくる巨体に、冗談ではなく命の危険を感じる。おおおお、重いっ。
「こらっ、オリー! しっかりしてよ! 私じゃ支えきれないんだってばあっ」
「コムギぃ。コムギは柔らかいですね……」
「ちょ、乳を触らないっ!」
どさくさに紛れて、するりとお腹から胸に移動してきた手を払い落とす。その大きな手も、今まで感じたことがないくらいに熱を持っていた。あああ、もう、どうしよう!
ここが家なら両親に助けを求めるところだけど、あいにく今いるのはオリーの家。携帯はダイニングテーブルの上。電話はさらに遠く。
つまり、ここでオリーに押しつぶされかけている私に、助けを求める手段がない。
い、いやだあああ! ドイツ人に潰されて圧死とかいやだからあああ!
あんまり想像したくない光景が頭に浮かび、私はぶるぶると首を振った。そうして、なんとか堅固な腕の中でもがき、オリーと向かい合うような形に持っていく。ひとまず座っていた状態から膝立ちになって、その重い体を支える。そして正気取り戻させるように、どかどかと目の前の厚い胸板を叩いてみた。こっちの手が痛くなるってどういう筋肉してるの!?
「オリーっ、しっかりして!」
私の呼びかけに、熱でぼうっとしているらしいオリーは緩慢な唸り声を上げる。そしてむしろ、さらに強く私を抱き寄せた。オイルヒーターのきいた室内は暖かく、少し薄着のオリーの身体から伝わる熱が、ダイレクトに私を浸食していく。熱い、熱いってば、オリー!
これ以上ないっていうくらいに密着した肌から、なんだか決して不快じゃないオリー自身の匂いが鼻を掠める。なんていうんだろう、お日様をいっぱいに浴びたひまわりみたいな。なんだか身体がムズムズする。
膝立ちで抱き締められたまま肩に顎を乗せ、全身で感じる熱さと苦しさに、私は大きく息を吐き出した。するとオリーの身体がぴくり、と反応する。そしてその大きな手が私の背骨をなぞり、繊細な動きでするりとすべり落ちた。
「うひゃっ」
へ、変な声出た!
びくっと身体を揺らした私の耳に、今度はちゅっともはや聞き慣れたリップ音。それに一瞬フリーズした思考が、かりかりかりかりと音を立てて再起動する。
これは、その、あらゆる意味で命が危険!?
続けて首筋からうなじへと触れてくるその唇に、思わずぞくりと甘い震えを覚え、身体の力を抜きかけて――待て待て待て待て待てえっ!
「いい加減にするっ! 熱が出てるって言ってるでしょうが!」
「違うです。これは、コムギが欲しいだけ」
「だが断るっ!」
唇の動きがわかるほど近く、耳に低く囁かれた言葉をびしりと却下。すると抗議の意味なのか、耳たぶを甘噛みされて私はついに実力行使に出た。
ホールドされて反撃の余裕がない手足は諦め、唯一自由になる頭を思いっきり左へとスイング。ごすっと音がして、身体に回されていた腕がゆるんだ。
「コムギ、ひどい。オリー、目が回りますよ」
「私だって痛い! それと、目が回るのは熱が出てるからだから!」
私の頭が当たった左頬を押さえ、私から身体を離したオリーは床にへにょりと転がった。だーかーらあ! ここで寝るなっ。
その巨体を私はゆさゆさと揺り起こす。とにかく、寝室まで行ってもらわなければ。
「こんなところで寝ちゃだめだってば」
「床冷たい。オリー、ここで寝ます。Gute Nacht……」
「寝るなあっ! 寝たら死ぬんだからねっ」
むう、と眉を寄せ、ラグの引かれていないフローリングに頬を擦りつけたオリーは、本気でそのまま寝入る体勢に入ろうとする。リーグも終わり、しばらく休暇に入ったからって、風邪をひいたら何にもならないじゃん!
私はそのオリーの身体を再び仰向けに転がすと、勢いよくその鍛えられた腹の上に飛び乗った。こうなれば、両頬を引っぱたいてでも起きあがらせてやる!
固い腹筋を持っているとはいえ、さすがのオリーも突然腹にのしかかった重みに咳き込む。苦しげなその様子に、私は上体を曲げて顔を近付けた。
小さく開かれている唇から、苦しげな荒い呼吸が漏れている。いつもは白い頬は上気していて、閉じられた目元にまで赤が広がっていた。
はい、惑うことなく、風邪!
「起きてよ、オリー! 私じゃ寝室まで運べないんだって! ねえ!」
「Ich fu"hle mich nicht wohl……Mir ist heiss……」
「もおお、ドイツ語わからんっ。何でもいいから、早く寝室に行きたいのっ」
もごもごと何事か唸っていたオリーが、私のその叫び声にぱちり、と目を開いた。
熱のためか少し充血している青の瞳が、ゆっくりと腹の上に乗っかっている私を見定める。そうして、その大きな手のひらががしり、と私の腰を掴んだ。うん?
「コムギ、とても寝室行きたいですか?」
なんだかひどく真剣な顔でそんなことを訊いてくるオリーに、私はきょとんとしたまま小さく頷く。そりゃあ、ベットに寝てくれないと看病もできないんだけど。
するとなぜか、さっきまで熱に浮かされぼんやりしていたオリーの顔が、きらきらと輝きを放ち始めた。えええ?
がばり、と見事に腹筋だけで起きあがると、私の腰を掴んでいた手を滑らせる。えっと思う間もなく、オリーはそのまま立ち上がった。腕の中の私に何の重みも感じないような、その動き。
ぐるん、と回った視界に私が唖然としていると、オリーは私を横抱きにしたまま歩き出してしまった。まったく意味がわからないんだけど!?
ダイニングを抜け、廊下を通り、階段を上って目指しているのは寝室?
「お、オリー?」
「早く行きます。寝室、早くたどり着きます」
「え、あ、うん?」
さっきまでの駄々はどこへやら。なぜか寝室にむかう気満々になったオリーが、どこか焦れたような口調で私にそう宣言した。やあ、まあ、当初の目的は果たされたような気がするからいいんだけども。
でも、何でオリーだけじゃなくて私まで寝室に行くの?
行動理由がわからないままにたどり着いた寝室の、しかもベットに直行したオリーは、そこに私の身体をそっと横たえた。あれ?
「ま、待って、なんか誤解が生じてない?」
「Ach ja?」
寝転がされた私の上に、ぎしりと音を立ててオリーの身体が覆い被さってくる。なんていうか、既視感。それも、ものすごく悪い予感の。
こうなる状況を生み出すような言葉があったかどうか、必死に回想している私の唇に、あっさりとその熱っぽい唇が重なった。
いつもよりも乱暴に割り開かれた口腔に、侵入してくる舌もまた熱を持っているのか熱く、私の脳みそは一気に沸騰寸前まで追いやられる。ちょっと待てえええ!
さんざん私を蹂躙し、下唇を舐めて離れていったオリーに、私は両手のひらを見せてストップをかける。
「病人が何をおっぱじめようとしてるの!」
「コムギとオリー、今からするは性行――」
「何でそれは日本語なの!? ていうか、そういうことじゃなく!」
満面の笑みで嬉しそうに答えようとするオリーの口を手で塞ぎ、私は大声を上げる。かかか、風邪っぴきが何を言うか。
「落ち着いて。落ち着いてよ、オリー。あのね、オリーは病気なの。熱が出てるの。だから、大人しくベットに横になって早く寝なきゃいけないの」
「熱出たら、汗を掻くのがいいですね」
「布団を被ってひとりで汗を掻いてよおおおおっ」
私の言葉なんぞなんのその、不埒な動きを始めたオリーの手。それにうっかり翻弄されてしまった私は、そのままベットに沈んでしまうのだった。この元気はどこから来るんだ!
翌朝、いやにすっきりとした顔で見事に熱を下げたオリーとは反対に、私はそのまま風邪をひいて寝付いてしまったのであった。オリーのが遷ったっていうか、これ絶対、冬に服を着ないで寝るのが悪いんだよ!
人間、肩を冷やしたら風邪をひくんだよ! 例え基礎体温が高い人に抱き締められてようとも!
またオリーが風邪をひいたとしても、次は絶対放置して家に帰ろうと、心に深く刻んだ年の瀬の一日。心配そうに頭を撫でるその暖かさに私は、再び眠りの中に沈み込んでいったのだった。
クリスマス創作をしようとしたら、クリスマスのクの字も出てきませんでした。