プロポーズ大作戦 3
すやすやと、俺のベットでティディベアに囲まれ眠るコムギ。
そのあまりの可愛らしさに焼き切れそうな理性をなんとか押しとどめ、俺は「これくらいなら……」とか思いつつ、携帯電話でその寝顔を写したりした。ここまでなら、まだカードは黄色のはず。
そしてゆっくりと髪に手を滑らせ、そのなめらかな感触を楽しんでいるうち、いつの間にかうとうとしてしまっていたらしい。
「オリー、オリーってば!」
ぺちぺちと小さな手に頬を叩かれ、俺は深い眠りの中から意識を浮かび上がらせる。ゆっくりと目を開くと、目の前には天使。
ベットサイドの小さな明かりに照らされて、真っ直ぐな黒髪が濡れたように光っている。それと同色の瞳は、どこか気まずそうに俺を見つめ、小さな唇から俺の名前がこぼれた。
「オリー、起きて!」
「コムギ……?」
ベットの隅にうつぶせになっている俺の頭に、コムギの華奢な指がそっと触れた。あまり上等とはいえないだろうごわついた髪を、さっき俺がそうしていたようにゆっくりとすいてくれる。
ここはなんていう天国なんだろうか。
俺がそんなことを考えながらまた瞳を閉じようとすると、その手が頬をぎゅっとつまんだ。痛い。……痛い?
そこでようやく、はっきりとした意識が戻る。
がばりと身を起こした俺は、今し方つねられた頬に手をあて、それからベットの上にちょこんと座るコムギを見た。
「ようやく起きた! ずっと呼んでるのに、全然反応ないんだもん。黙って帰るに帰れないし」
少し拗ねたような言い方に、俺は胸がぎゅっと掴まれたような感覚を覚える。この目の前の可愛らしい人は、もう俺と目も合わせてくれないんじゃないかと、そう絶望していたのに。
泣きそうになりながら恐る恐る伸ばした俺の手を、コムギは拒絶することなくじっと見つめる。
そうっと触れた頬は、アルコールの余韻が残って少しだけ熱い。目の下を親指で撫でれば、コムギはくすぐったそうに身をすくめた。そして、両手でそっと俺のその手を包み込む。
「コムギ……コムギ、ごめんなさい。ごめんなさい、だから聞いて欲しい」
「オリー?」
頬から手を外し、包んでくれていたその手を改めて握り直して、俺はもう一度自分の気持ちを伝えることから始める。
何回でも、何回でも。つたない日本語でも、わかってもらえるまで。
「オリーは、コムギの笑顔が好き。天使みたい。コムギが笑うと、オリーの胸がとってもあったかい。だから、オリーはずっとずっとコムギに笑顔してほしい」
どこに恋したのか、なんで彼女だったのか。
一目惚れなんて本当に存在するのか……そんなこと、本当にどうでもいいくらいにコムギが好きだ。
この出逢いのために全部の運を使い果たしたんだって言われても、ちっとも惜しくなんかない。むしろ、それ以上のものを、もうもらった気分でいる。
俺の言葉に、戸惑ったように彼女の黒い瞳が揺れた。
「オリーの隣で、いてほしい。他の男性に笑うの、だめです。オリーはコムギを独占したい。だから、指輪買いました。コムギ、指輪嫌い? オリーのこと……嫌い?」
「え……」
一番訊きたくて、一番訊きたくなかったことを告げると、コムギは大きな瞳をさらに大きく見開いた。握っている手が、少し震える。
その右手の指のどこにも、俺が贈った指輪はつけられていない。それがすべての答えのような気がして、俺は不覚にも泣きそうになってしまった。コムギの手から片手を外し、慌てて顔を覆い隠す。情けないことこの上ない。
そのままひどく落ち込んでいきそうになった俺の頬に、今度はコムギの手が触れた。ちょっと髭がそり残されたそこを、小さな手が撫でていく。
俺がびっくりして覆っていた手を外すと、真剣にこちらを見つめるコムギの瞳に囚われた。
「ねえ、ドッキリってどういう意味なの?」
問われた言葉の真意がわからず、俺は軽く首を傾げた。すると、むにっと再び頬をつままれる。少し痛いけど、嬉しい。
思わず緩んだ顔を見て、コムギは機嫌を損ねたように眉を寄せた。
「真剣に訊いてるのっ! 大事なことなんだからね!」
「Aua! 痛いですよ、コムギ!」
その声に限界まで引っ張られた頬をぱっと離して、コムギは不機嫌な表情のままで俺を睨む。腕組みをして、怒っているんだぞというアピールをするコムギは、やっぱり可愛い。
今、携帯を取りだしたら……駄目だろうな、やはり。
俺はじんじんする頬をさすりながら、さっきのコムギの問いに口を開いた。
「ドッキリは、コムギをびっくりさせる。びっくりするのは、喜ぶですね。オリーの日本語、間違ってますか? サプライズ、ドッキリ言わない?」
「サプライズ……のことだったの?」
「Ja」
逆に問い返されて頷けば、なぜかコムギは後ろに向かって倒れ込んでしまう。
まさか気分でも悪くなったのだろうか、とびっくりしてベットに上りその顔を覗き込めば、コムギは瞳を涙で潤ませていた。
泣いてる! 俺のせいか!? そんなにプロポーズが嫌だったのか?
軽くパニックになる俺に気がつかず、コムギはぽろぽろと涙を流しながら俺を見る。
「馬鹿オリー! そんなの、ドッキリって言わないよっ」
「コムギ、ごめんなさい。コムギ、怒った? オリーのこと嫌い?」
「違うの!」
仰向けになっていたコムギががばりと起きあがり、覗き込むようにしていた俺の首に強く強く抱きついた。
突然の柔らかな感触に戸惑いつつ、それでも俺はその身体を壊さないようにそっと抱き締め返す。これは……どういうことだろうか。
肩に寄せられた頬から涙が流れていくのがわかって、俺はとりあえず宥めるようにその薄い背中を優しく撫でる。
すると、耳元で涙に濡れたコムギの声が聞こえてきた。
「ドッキリっていうのは、いたずらってことだよ、オリー。私ね、オリーにからかわれたんだって思ったから怒ったの。プロポーズされたと思ったのに、それがいたずらなんだよって言われたから、すごく悲しかったの」
「コムギ……違いますよ、コムギ。オリーはいたずらしてないよ! オリーはコムギにプロポーズしましたよ、本当のことですよ!」
「うん……」
うち明けられた言葉にびっくりして、俺はコムギの顔を見ようとその身体をゆっくり離す。
覗き込んだコムギの顔は涙に濡れて、けれど何だかとても嬉しそうに微笑んでいた。それは、俺が一番見たかった彼女の微笑み。
本物の、俺の天使。俺だけの。
何だかとても眩しく感じられて、俺は少し目を伏せ、そして吸い寄せられるようにその唇に自分のそれを近付ける。コムギは頬を染め、拒絶することなく俺を受け入れてくれた。
最初は軽く重ね、それから舌で可愛らしい下唇を舐めてやると、コムギはくすぐったそうに身をよじる。それがまたたまらなく愛おしくて、唇で唇を挟みこみ、その先を促した。
恥じらうように薄く開けられたそこに、深く、深く俺が入り込む。
直接的な感触を甘いと感じるのは、俺の頭がもういかれてしまっているからだろうか。
それでもこの腕に彼女がいて、こうして口付けができるのなら、もうそれでいい。
それ以上いけばもう戻れない、というぎりぎりのところで俺はなんとか踏みとどまり、コムギから唇を離した。
ひどく名残惜しくて、そのまま鼻や目元に口付けると、彼女はうっとりとした吐息を漏らす。俺の我慢は限界だったが、でもまだ肝心なことを彼女に訊いていない。
この先は、それからでも遅くはない!
「コムギ、オリーと結婚してくれますか?」
両手で小さな小さな顔を包み込み、そう真面目に問えば、コムギはその手に手を重ねにっこりと美しい笑みを俺にくれる。
軽く頷いて、さっきとは違う感情のこもった涙を流して。
「仕方がないから、オリーのパンツ、毎日みそ汁で洗ってあげるよ!」
その言葉に、俺は比喩ではなく本当に天にも昇る気持ちでコムギを抱き締めた。世界で一番の幸せを手にしたのは自分だと、今ならどこへ向かっても恥ずかしくなく宣言できる。
そうして俺はコムギと一緒に寝転がる。ここがベットの上だなんて、最高の奇蹟だ!
俺はコムギの額に軽くキスをすると手を伸ばし、ベットサイドの明かりを落とした。
明日の朝、この天使を腕に抱いて目が覚ますことできるそのことを、神に感謝しながら――。
オリー編、これにて完結です。ありがとうございました。
この後、ちょっと時間をおくかもしれませんが、番外編を書いてみたいと思います。