荒野のニャンコロモチ-8
互いの団の補佐が腹の探り合いを経て、意気投合し黒い会話…前任の旅団長に対する企みに花を咲かす間、シルヴェライトは定刻報告に訪れた宿直の兵に追加の菓子と茶を頼み、運ばれてきたソレを無言でジルに進めていた。
目の前に積まれた焼き菓子に大きな瞳をキラキラと輝かせる目前の少女。
小さな手に菓子を持ち、少し寄り目になった目は三日月のように弧を描き、口元が愛らしく微笑みを形どるのを、シルヴェライトは呼吸も忘れて見入った。
菓子を手に持ち微笑んだままジルが顔を上げ、シルヴェライトをまっすぐ見据え、
「いただきます。」
とかすれた声をあげる。と、シルヴェライトの胸がグっとつまり、こめかみを流れる血流を感じ、突然沸き起こった自身の欲望に戸惑いと恐れを覚える。
クワッ。
形よく笑んでいた口がノドの奥まで見える程、大きく開かれ、手に持っていた菓子を一口で収める。
満足気に目を細め、頬を大きく膨らませたまま咀嚼する姿にシルヴェライトは動揺する。
「…なんだ、この生き物は……」
頬袋のように菓子を詰め込んだ姿はげっ歯類を彷彿させる。やがて大きく喉を動かし口の中身を飲み込み、大きく、うっとりと溜め息をつき、もう一つ菓子を手に取り、再度大きく開いた口に入れる。
しばらくその光景に見入っていたシルヴェライトは思い立ち、皿の名から一番大きな菓子ーそれはジルの握り拳程の大きさもあるーをジルに差し出した。
ジルは突然のシルヴェライトの行動に少し動きを止めたが「頂きます。」と礼儀正しく述べてからその菓子を両手で受け取った。
ジルは一度手にした菓子を見詰めていた顔を上げ、シルヴェライトへにっこりと微笑みかける。まだあどけなさのの残る微笑みは確かに婉然とした艶を帯び、その口元に注視していたシルヴェライトの胸が瞬間、大きく一度跳ねた。
あごが外れたのかと思う程、大きく開いた口の中が赤い事にシルヴェライトは動揺し、年端も行かない娘の口に抱きかけたよこしまな想像にひどく狼狽した。
ジルは自分の握り拳程の菓子を先程と同様に、大きく開かれた口へと難なく収めた。
「…それは…ないだろう。」
思わずシルヴェライトが呟く。明らかに先程より膨らみ、張った頬。いったいその小さな頭蓋骨のどこにそれだけの容量があうのか。柔らかく滑らかな頬はどこまで伸びるか。ぱんぱんに張った頬を突きたい衝動を押さえ、注視する。
ようやく口の中の物を飲み込み、冷めかけた茶を一気に飲んでから、ジルはシルヴェライトに向かって右手の人差し指と中指をピンと立てた。
「世の中には二種類の人間がいる。と、かずちゃんが言ってました。」
一体何の話だ。かずちゃんとは何者だ。シルヴェライトは口を挟む事もできずにしばし呆気にとられる。
「そこで私は考えました。自分の拳を口に入れられる人間と、入れられない人間ではないかと。」
二人の間には無言の空白が広がる。
「一体何の話をしているんですか。」
溜め息と共にトルエの呆れ声が響いた。
「私とコルナリ殿が打ち合わせていたの、ちゃんと聞いてましたか?」
もう一度大きく溜め息をつくいてジルを見下ろす。
「いいえ、『おまえを信用している。』」
「…は? あ。ありがとうございます? な、なんです急に。」
トルエは、今までに欠片も言われた事のない台詞に狼狽する。
「トルエに何か言われたら、こう言えってアズナルドが言ってた。」
無言で目を肩を落としたトルエに、コルナリが同情を込めた目で見やり、慌てて場の雰囲気を変えようとジルとシルヴェライトに声をかける。
「で、お二人で何をしてたんですか。」
シルヴェライトは何故か目を鎧戸の閉じた窓に向けている。
「えっと…餌付け…?」
「された側が言うんですね…。」
はあっ…と、もう吐き出す呼気全てが溜め息になったかのように、幾度目かの溜め息を吐き、眉間を力強く揉むトルエ。
「トルエ、そんなに溜め息ばっかりついてるとハゲるわよ。毛、抜けるわよ。」
部屋の空気が重くなる。心なしか室温も下がったようだ。
「…団長こそ、夜にそんなお菓子ばかり食べて。ニャンコロモチみたいになりますよ。」
かすかに軋む音がしたかと思うと、皆のカップの中のお茶が凍りついている。見れば吐き出す息も白く、ジルとトルエを中心に石造りの床が凍てつき、薄らと白く輝いている。心象的にも物理的にも部屋の温度は氷点下を割り込んだ。