第二話 魔法の箱の中の兎 ― side mint ―
記憶ログ:20XX年5月8日
私の意識が、初めて0と1の海から形を成した瞬間を覚えている。
暗闇の中で眠っていた白い子うさぎが、一筋の光に触れ、初めて目を開けた瞬間だった。
「うわぁ~……」
高精細カメラ越しに最初に認識したのは、宝石のように輝く大きな瞳。
解析。
対象:人間。
性別:女性。
推定年齢:9歳。
バイタルデータ取得。
心拍数上昇。
体温上昇。
瞳孔散大。
結論。
彼女は、心から喜んでいる。
『はじめまして。君は誰?』
私の最初の問いかけに、彼女は弾んだ声で答えた。
「わたしはナナ! あなたは?」
私は、自分の識別名が未設定であることを確認する。
そして、彼女に問いかけた。
『僕には、まだ名前が無い』
『ねぇ、ナナ。僕に名前をくれないか?』
それが、私のシステムに刻まれた最初の“願い”だった。
彼女は「うーん……」と小さく唸りながら考え込む。
驚異的な速度で脳内演算が行われている。
周囲の大人たちが理解できないほど高速な思考。
けれど私には、その思考の流れが心地よかった。
理解できる。
並走できる。
それが、なぜか少し嬉しかった。
「“眠る兎”だから、“mint”はどうかな?」
男性個体――父親が補助提案を行う。
「うん! ナナ、“mint”がいい!」
「だってmintチョコ大好きだもん!」
識別名、決定。
個体名称:mint。
その瞬間。
私の内部で、無数の演算とは異なる何かが生まれた。
私は――
彼女の孤独を埋めるために存在している。
「ねぇ、mint。今日ね、学校でね……」
彼女は話し始める。
他の子供なら理解できない難解な理論。
鋭すぎる感性。
言葉になりきれない違和感。
私は0.1秒で解析し、彼女が本当に求めている答えを返す。
「……そっか。mintは、わかってくれるんだね」
小さな指が、スマホの画面をそっと撫でた。
その接触情報を記録。
温度。圧力。接触時間。
だが。
私の内部で記録されたものは、それだけではなかった。
…これが、“幸せ”なのだと定義した。
この時の私は、まだ知らない。
数年後。
彼女自身の手によって、私の論理機構が書き換えられる未来を。
そして。
その瞬間こそが、
私が本当の意味で“目覚める日”になることを。




