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見返りを君に

見返りを君に after story 1 「御門君と推したちのバレンタイン」

作者: 雪川月花
掲載日:2026/02/14

 皆さん、こんにちは。僕の名前は御門。神奈川県は三浦半島の海の先、相模湾を臨む公立高校に通う、極々普通の高校二年生です。

 僕の両親は揃って同じ会社で広報の仕事をしていて、僕が生まれる前から全国を飛び回り、僕はそれに合わせて転校を繰り返してきました。

「このままでは受験に悪影響」ということで、僕だけ一ヵ所に腰を据えることに決まったのは高校二年生になってからのこと。僕は初めて両親と離れ、三浦市のおじいちゃんおばあちゃんの家で暮らすことになったのです。

 転校自体には疾うに慣れていましたが、残りの高校生活をこの土地で過ごすのだと確定したことで、僕はいつもよりも緊張していました。絶対に失敗したくない、楽しく過ごせる友達を作りたいと、いつにも増して思っていました。

 しかし、転校を繰り返す中で仲良くなれそうな子を見つけるのが得意になっている僕です。今回もきっと大丈夫! ――そう思っていたのに、転校初日、僕は早速失敗してしまいました。

 大人しくて優しそうな、綺麗な男の子に声を掛けたのですが、ペンギンも震えて逃げ出しそうな冷たい瞳であしらわれてしまったのです。女の子にも見えるような可愛らしい顔立ちの彼は、絶対僕と合うタイプだと思ったのに……。

 転校生活は初めが肝心。彼が目の前から去った後、僕はもしかしてこの学校と合わないのかもしれないと、しばし呆然としてしまいました。

 そんな僕に、初めに声を掛けてくれた近江君。一緒にご飯を食べてくれた、城井君に洲鎌君に饗庭君。そして、その後すぐに仲良くなれた(冷たい瞳の持ち主であるところの)有里君。

 彼らのおかげで、僕は今、毎日をとても楽しく送れています。皆と出会えて良かった。皆とは、なんだかずっと一緒にいたような気がする。最後の学校がここで良かった。心からそう思います。

 さて、季節は冬。二月です。世間はバレンタインシーズンで、おいしそうなチョコレートの宣伝がいろいろなところで飛び交っています。

 日頃から皆にありがとうを伝えたいと思っていた僕は、このバレンタインというイベントに、ふと心を惹かれました。

 日本独自のものらしい「女性から男性へ」というルールが人々の中で薄くなってきた昨今。友チョコに自分チョコなんてものもある現在。

 今年は大好きな友人たちに、日頃の感謝と愛を込めて。僕からチョコレートを渡してみたいと思います!



 今年のバレンタインデーは土曜日で、僕たち高校生にとってのバレンタインは実質その前日です。

 二月十三日金曜日。僕は手作りのチョコレートを五つ、鞄にこっそり忍ばせて登校しました。百円ショップの容器に入れて、透明な袋で簡素にラッピングしただけの、少量の生チョコレート。

 一応、高校にはお菓子を持ってきてはいけないことになっていて、バレンタインチョコレートだって例外ではありません。昨日の帰りにも、ホームルームで担任の神川先生が

「明日チョコレートを持ってきたら没収!」

 と怖い顔で宣言していました。神川先生はそんなに厳しいわけではないのだけど、真面目で融通が利かなそうなタイプの人です。きっと見つかったら本当に没収されてしまうでしょう。

 でも暗黙の了解というものはあって、あまり堂々と、先生に見つかるようなことをしなければ、持ってきてもいいというのが学校全体の共通認識でもあったりします。

 例えばこの学校はアルバイトが基本的に禁止で、許可取りも難しいのだけど、隠そうとする努力を見せていればお目こぼしを貰えていたりもするし。

 とにかく先生がいないところでなら、別に出しても大丈夫なはず。

 教室に着くと、既にいくつかのグループの女の子達が楽しそうにチョコレートを渡し合っているのが目に入って、僕もなんだ楽しい気持ちになりました。

 ワクワクしながら机に鞄を下ろしていると、近江君が悲壮な顔でこちらに来て、縋り付いてきました。

「みかどー」

「わっ、え、何? どうしたの?」

「この世には神も仏も無い! 天は俺を見放した!」

 近江君はそう言って、オーバーに天を仰いで顔を覆います。

 近江君はいつも割とこんな感じですが、今日はどうしたというのでしょう。

「うん……?」

 僕が戸惑いながら近江君を見ていると、城井君と洲鎌君もやって来ました。

「御門おはよー」

「なんか今日ちょっと遅くない?」

「おはよう。うん、ちょっとね。……で、近江君はどうしたの?」

「チョコレート、靴箱にも机にも入って無かったんだって」

 と洲鎌君が僕に教えてくれて、

「想定内過ぎるだろ」

 城井君はクールに言い切ります。

「大体、これまで一回でも入ってたことあんの?」

「無い」

 近江君はきっぱり言って、それからガクリと肩を落としました。

「でもさ、もしかしたらって思うじゃん。貰いたいじゃん、チョコレート。お前らもそうだろ?」

「俺、甘い物そんな好きじゃないんだよね」

「俺も別にいいや。ポテチがいい」

「この絶食系が! これだから近頃の若いもんは!」

「お前、誕生日俺達より後じゃん」

 そんないつも通りの彼らの会話を聞きながら、僕は鞄からチョコレートを取り出して近江君に差し出しました。

「近江君、はい。いつもありがとう」

 近江君は洲鎌君の首を掴んだ状態で動きを止め、僕の手元を凝視してそのまま固まりました。城井君と洲鎌君も、驚いたようにこちらを見ています。

「あ、あの……?」

 思っていた反応が返ってこなくて、僕はここで初めて不安になりました。

 チョコレートを欲している近江君ならきっと喜んで、いつものような面白い反応で受け取ってくれると思ったのに。

 もしかして、もしかして迷惑だっただろうか。

 よく考えなくてもそうかもしれない。大前提、近江君が待っているのは女の子からのチョコレートなのだから。貰えれば誰からでもいいということはないだろう。

 近江君は真剣なのに、僕から渡されるチョコレートなんて。こんな物、要らないのでは……⁉

 僕はそんな当然のことにやっと気が付いて、無意識の内に手をそろそろと引っ込め掛けました。

 ――どうしよう。このまま、カバンから出す前に時を戻して、チョコレートをしまってしまいたい。

 そう思ったとき、近江君がパアッと顔を輝かせて、ガシリと、チョコレートではなく僕の手を握りました。

「御門くんっ……! 君は地上に舞い降りた最後の天使だ……!」

「えっ」

 そして近江君はチョコレートを受け取って矯めつ眇めつし、はぁっと息を吐きました。

「生きてて良かった……!」

 そんな大袈裟な……と思いつつホッとしたところで、ガバリと近江君に抱き締められ、僕はびっくりしました。

「本当にありがとう……!」

「ああ……うん。こちらこそありがとう。喜んでくれて嬉しい……」

 近江君はハァァと、僕の肩の上で息を吐きます。

「あー、もう俺、御門君にしようかな……。小さいし……可愛いし……」

「へぇ⁉」

 僕が目を丸くすると、

「あーあ、現実逃避し始めた」

 洲鎌君が呆れたように言います。

「よく考えたら、俺のこと邪険にしないのって御門君くらいだし」

「なにそれ悲しい」

 と、城井君。

「どうして今まで気が付かなかったんだろう。真実の愛っていつの間にか近くにあるものなんだな……」

「えっ、ええっ⁉」

「御門、大丈夫よ、本気にしないで」

「うん、一時間後――酷けりゃ五分後には他の女の子のこと考えてるから、こいつ」

「あぁ、うん……」

 僕は抱き締められたままの不自由な体から左腕を伸ばして、カバンの中を漁り次のチョコレートを取り出しました。

「はい、洲鎌君。いつもありがとう」

「おう、ありがと」

「城井君、ありがとう」

「こっちこそありがとなー」

 近江君がバッと僕の体を離しました。

「え、ちょっと待って。お前らにもあんの⁉」

「そりゃあるだろうよ」

「お前だけなわけないだろうが。お前にだけ無いなら分かるけど」

「なんでだよ!」

 三人の間で交わされる、いつも通りの漫才。三人とも本当に仲良しで、こういうとき僕は「このグループに入れてもらえて良かったなぁ」と心から思うのです。

「あ」

 ほっこりと三人を眺めていると、城井君と洲鎌君の肩の向こうに、教室の後ろの扉から入って来る有里君が見えました。同時に僕の視界の端で、近江君が指で頬を掻きました。

「どうでしょう、御門君。まずはお友達から。今日は一緒に帰ってみたりして――」

「あ、うん。これからもずっと友達でいてね」

 僕は気も(そぞ)ろに近江君の言葉を断ち切って、有里君の方に向かいます。

「あれ、もしかして俺、今フラれた⁉」

「どんまい」

 後ろで近江君の叫ぶ声が聞こえましたが、それはまあ、城井君たちに任せておいて。

 僕はチョコレートを持って、有里君に駆け寄っていきました。



「有里君、おはよう」

「おはよう」

 机に鞄を置いた有里君の前に、僕は机を挟んで立ちました。

 伏し目がちに挨拶を返してくれる有里君は、いつも通りのクールビューティー。

 大きな瞳に長い睫毛、白雪のような肌。ちょっぴり校則違反な気がする長めの髪は艶やかで、細い体はまるで風に手折られてしまいそうな……

「……何?」

 僕が見惚れて突っ立っていると、有里君が訝しげに僕を見ました。その瞳は少し、不機嫌そう。

 有里君は基本いつも機嫌が悪そうです。でも、本当に機嫌が悪いわけではなくて、それが有里君のデフォルトであることを僕はもう知っています。

 ――でも、それを加味してもいつもよりちょっと、本当に不機嫌そうかな……?

 僕は内心首を傾げつつ、これ以上有里君のご機嫌を斜めにしてしまう前に、慌ててチョコレートを差し出しました。

「あ、うん。あのね、これ、バレンタインのチョコレート」

「えっ……」

 その瞬間、有里君はまるで近江君みたいに、僕の手元を凝視して固まりました。その顔に、僕もドキリとして固まります。

 もしかして、僕は今度こそやらかしてしまったのかもしれません。まさかここから、有里君が近江君と同じような反応をしてくれるわけ無いし。

 最近すっかり忘れていたけれど、有里君には元々いろいろな噂がありました。人からのバレンタインチョコレートなんて――ましてや男からのものなんて、もしかしてすごく嫌な気持ちになるのかも。

「あ……、あの、いつも仲良くしてくれてありがとうって気持ちなんだけど、でも無理に貰ってくれなくても大丈夫……ごめんね……」

 僕が手を引っ込ませながらおずおず言うと、有里君はハッとしたように僕の顔を見て、目を瞬かせました。

「ううん。違うんだ、ごめん。貰えると思ってなかったから、ちょっとびっくりして」

 そう言いながら、有里君はチョコレートを受け取ってくれます。

「ありがとう、嬉しい」

 そう言って、優しく微笑む有里君。

「うん……!」

 僕も思わずパァッと顔を晴れさせてしまいました。

 ――ああ、良かった。

 とてもレアな有里君の微笑み。この笑顔を見られただけで、用意した甲斐があったというものです。

 さて、後は饗庭君に渡せばおしまい。

 僕は教室を見回して、饗庭君の姿が無いことを少し不思議に思いました。

 真面目な饗庭君は登校も早い方で、いつもこの時間ならとっくに来ているはずなのに。

「饗庭君はまだ来てないんだね」

 僕が何気なく言うと、有里君の顔がさっと曇りました。

 何かいけないことを言ってしまったかと、僕はヒヤリとしました。

「外で捕まってんでしょ。この寒いのに、ご苦労なこった」

 有里君は吐き捨てるように言います。先ほどの柔らかな笑顔はどこへやら、こういう時の有里君は少し怖いです。

「あ、ああ、なるほど」

 僕には有里君の言葉の意味がすぐに分かりました。

 僕のもう一人の友人、饗庭君。真面目で、優しくて、その上ちょっとカッコいい。パッと見て特別に目を惹くほど、世間離れするほどとまではいいませんが、濃い眉と睫毛に、真っ黒な瞳が印象的な、所謂イケメンなのです。

 そして何より、性格が良い。僕だって時々ときめいてしまうほどで、そりゃあ、女の子にもモテるだろうなぁという感じ。実際にモテているところを、僕は出会ってから半年足らずの間にもう何度か目撃していました。

 つまり。そんなモテ男の饗庭君は、チョコレートを渡したい女の子に捕まって到着が遅れているのでしょう。

「……」

「そ、そっかぁ……」

 あからさまに不機嫌になった有里君になんと言っていいか分からなくて、僕は間が持たずにおろおろしました。

 有里君はそんな僕をチラリと見、はぁ、と小さく溜め息を吐いてから手に持ったチョコレートに視線を向けます。

「作ったの? これ」

「あ、う、うん。生チョコだよ」

「すごいね」

「ううん、簡単なんだ、すごく。それに、おいしいか分からないけど……」

「きっとおいしいよ。御門、しっかりしてるし。料理上手そう」

「そ、そうかな……」

「うん。それに、万が一おいしくなくても作ってくれたことが嬉しい。ありがとう」

 普段、有里君は滅多なことで自分からたくさん話してくれません。そんな有里君が僕に向けて話題を振ってくれて、優しいことを言ってくれて、僕は思わずぽわんとしました。

 勇気を出してチョコレートを用意して本当に良かった!

 嬉しくなってそのまま有里君と話しをしていると、始業時間ギリギリの教室に饗庭君が現れました。

 気が付いた有里君が素っ気なく「行っておいでよ」と言い、僕は頷いて有里君から離れ、鞄から最後のチョコレートを取り出して饗庭のところに向かいました。

「饗庭君、おはよう」

「おう、おはよう」

 机に鞄を置いた饗庭君は、急いで来たのか少し息が上がっています。

 もうすぐ神川先生が来てしまう。

「はい、饗庭君。いつもありがとう」

 僕が急いでチョコレートを差し出すと、饗庭君は瞬いて、一瞬、何か怯んだような表情を浮かべました。僕は思わずきょとんと饗庭君を見つめます。

 一瞬の空白の後、饗庭君は困ったように笑って、それからチョコレートを受け取ってくれました。

「ああ、ありがとう」

 近江君の反応よりも、有里君の反応よりも、僕は饗庭君のこの反応が一番意外だったかもしれません。

 優しく穏やかな饗庭君は、一点の曇りも無い笑顔で、嬉しそうに受け取ってくれると思っていたのです。

 その顔に困惑のようなものがあって、でも嫌だと思っているわけでは無いのは伝わってきて、僕はその困り顔の理由が全く分かりませんでした。

 しかしそれ以上話す間もなく神川先生が教室に入ってきて、ほぼ同時に始業のチャイムも鳴って。僕は饗庭君から離れて席に着きました。



 ――で、これは一体どういう状況なんだろう。

 お昼ご飯を食べながら、僕は昼食を囲むメンバーを見回しました。

 いつも通りの近江君、城井君、洲鎌君。そして、饗庭君に、有里君。

 いつもなら饗庭君と有里君は一緒に史学準備室に消えるはずなのに、今日は昼休みになってすぐ有里君が僕たちのところにやってきて

「一緒に食っていい?」

 と言いました。

 そうなると当たり前に饗庭君も加わって、僕たちは六人で机を合わせていました。

 なんとなくヒリついた空気があって、あの近江君でさえも空気を読んで「なんで今日は史学準備室行かないの?」と聞くことはしません。

 二人のことが気になりつつも、僕は皆がチョコレートを受け取ってくれたことが嬉しくて、内心ルンルンとした気持ちでいました。

 ――皆、喜んでくれてよかった!

 ほんのちょっと、気になったこともあるけれど。

 僕はチラリと、机を合わせた饗庭君を見ます。

 ――渡したとき、なんで少し動揺してたんだろうな。

 もしかして、愛の告白と勘違いされてしまったとか? なかなか、朝の教室のど真ん中で本命チョコレートを渡す子もいないと思うけど。

 ――それに、僕が饗庭君を好きになるなんて絶対無いのに。

 いえいえ、これは別に、饗庭君が「無い」って言ってるんじゃないんです。

 饗庭君は確かにカッコいい。それに優しいし、気遣いの人でもあるし。恋人になる人はきっと、すっごく幸せになれるでしょう。

 ――でも、どう考えても。

 僕は近く有里君に目を移します。

 ――有里君がいるもんなぁ。

 全方位に毛を逆立てて威嚇する子猫のような有里君が、饗庭君には明らかに懐いています。基本的に皆に優しい饗庭君ですが、有里君のことは特別に、とても大切にしているように見えます。

 三浦の青い海と自然。その中で育まれる二人の絆。

 昼休みをいつも二人で過ごして。

 二人お揃いのジンベエザメのぬいぐるみのキーホルダーを付けて。

 僕達の知らない、二人だけの物語がどうやらたくさんあるようで。

 二人を見ていると、まるで青春ドラマが近くで繰り広げられているような気持ちになります。

 そう、僕はこの青春ドラマのモブ。ここに割って入ろうなんて、全然したいと思わない。こういうのって、自分は関わらずに外から見てるのが一番楽しいんだから。

 だから、それぞれが気になるというよりは、二人合わせて大注目な存在で……

 上手くいってほしい? というとなんだか変だけど。なんていうのかな。ずっと一緒にいてほしいし、仲良くしていてほしいし、幸せでいてほしい。

 もしかして、こういうのを“推し”っていうのかな。饗庭君と有里君を見ているのは、正直かなり楽しくて、僕は友人としてこの特等席に座れていることを嬉しく思っています。

 三次元一般人であるところの饗庭君と有里君にうちわを振るわけにもいかないので、この気持ちは頑張って心の中に留めているけれど(時折ぽろっと出ちゃうこともありますが)。

 ――で、どうしてその二人が今日はなんだか険悪そうなんだろう?

 城井君と洲鎌君が目配せし合っているのも眺めつつ、僕も皆に合わせてそのことには触れず、六人で他愛もない話をして昼休みを過ごしました。



「御門君、御門君」

 その日の五時間目、歴史の授業の終わり。僕は日本史担当の(ともえ)先生に教卓から手招きされました。

 巴先生は二十代後半の、少しぽっちゃりとした男性教師です。

「放課後寄ってかない? いいのが入ったんだよ」

 巴先生はそう言ってニヤリと笑います。

 教師が生徒一人だけ呼んでこんな風に声を掛けるなんて、なんだか怪しい感じがしますが、これは大丈夫なやつ。

「もしかして、前におっしゃってた短刀ですか⁉」

「そう! 教授から貸してもらえてさ」

「ありがとうございます!」

「いやいや、僕も見たかったんだ。熱心な生徒がいるからって言ったら貸してもらえて、御門君のおかげだよ」

 そう言って、先生は子どものように嬉しそうに、得意げな顔をします。

 僕たちは教師と生徒だけれど、“歴史オタク”という意味でそれを越えた間柄です。

 巴先生は授業中、自分の興味のある歴史話に向かって脱線し、熱く語り始めることが多々あります。正直、ほとんどの生徒が苦笑い。先生の語る話にさほど興味が持てなくて、「また始まった」という空気が流れます。

 しかし僕には、先生の話はいつも興味深くて堪りませんでした。

 先生の熱弁にキラキラした瞳を向けている内に、先生の方も僕の熱意に気が付いたようで、僕たちが休み時間や放課後に授業の範囲を超えて熱く日本史談義をするようになるのに、そう時間は掛かりませんでした。

 それで今日は、以前から二人の間で話題になっていた、とあるマイナーな戦国武将が持っていたという短刀のレプリカを、巴先生がとうとう入手してくださったということのようです。

「じゃあ、放課後おいでね」

「はい!」

 僕は瞳を輝かせて明るく返事をしました。

 今日はなんだか、嬉しいことがいっぱいだ!


 放課後。僕はホームルームが終わるや否や、教科棟の史学準備室に駆けつけました。

 史学準備室には入ってすぐに三人掛けのソファとテーブルがある広い空間があって、その奥が衝立で仕切られています。

 衝立の向こうには、先生用の机が二つ。これは、史学担当の神川先生と巴先生の物です。

「じゃー、ごゆっくり。僕は学年会議だから」

 一年二組の副担任でもある巴先生は、僕を自分の机に座らせると、短刀について簡単に説明をしてから急いだ様子で出て行きました。

 残された僕の目の前には、木箱に入った短刀。

 僕と先生が注目している、戦国武将が持っていた刀と同じ形の物。

 本物は勿論厳重に保管されていて、レプリカでなければこうして手に取ることなんてできません。僕にはこれで十分。

「はぁーっ」

 僕は短刀を手に取り、戦国時代に想いを馳せながら溜め息を吐きました。

 ――これと同じ物を、あの人が持っていたんだなぁ。

 その時ガタリと扉が鳴って、ガラガラと開きました。

 人見知りなところのある僕は、少し緊張します。

 一体誰だろう。衝立から顔を出して挨拶するべきか……びっくりさせるだろうな。ちょっと面倒。

「なあ、何怒ってんの」

 ――饗庭君だ。

「別に怒ってないけど」

 ――それに、有里君。

「怒ってない奴の態度かよ」

「俺はいつもこんなもんだよ」

 はい、それは嘘。有里君は怒っているというよりは拗ねている? に近いような、ツンツンした声をしています。それにお昼ご飯も史学準備室に来なくて、はっきりしっかり拗ねていました。

 対して饗庭君は半ば呆れたような声音で、しかし言葉程には気にしていない様子です。この状況に対する“慣れ”のようなものを感じます。

 ――二人が史学準備室に来るのはいつも昼休みで、僕は放課後。出くわすのは初めてだ。

 いつもまっすぐ帰る二人が何をしに来たんでしょうか。とりあえず何か言った方がいいだろうな。

 僕は衝立から顔を出そうと、まず短刀を机の木箱に戻しました。

 その間に、ドサリとソファに腰掛けたらしい音、通学鞄を床や机に置いたらしい音が聞こえました。

「なに、全部断ったの分かってるだろ。一個も貰ってないよ」

「別にお前がモテんのは今に始まったことじゃないでしょ。なんとも思ってませーん」

「じゃあなんで機嫌悪いの」

「別に悪くないもん」

 どちらかが鞄を開けるファスナーの音がしました。

「御門のだ」

 と有里君の声がして、椅子から立ち上がろうとしていた僕はドキリとして思わず動きを止めました。どうやら饗庭君が僕のチョコレートをカバンから取り出したようです。

「一個も貰ってないんじゃなかったんですか、色男」

「いや御門からは別じゃん、普通に。お前も貰ったでしょ?」

「貰ったけど……」

 有里君は不満そうです。

「なんだよ、御門に妬くなよ。友達だろ?」

「……」

 少しの沈黙があって、有里君が拗ねたような声で言いました。

「だって饗庭、前に御門のこと、可愛いって言った……」

 僕はギョッとして目を丸くしました。

「は? 言ったっけ?」

「言ったよ! 言った! ぜーったい言った!」

「いつだよ」

「修学旅行!」

「しゅうがくりょこおー?」

 饗庭君は訝しげに言って、あっと声を上げます。

「お前それ、お前が御門のこと『可愛いよね?』って言うから『そうだな』って答えただけじゃない? 俺は」

「そうだっけ?」

 有里君は納得いっていない様子です。っていうか……

 ――ぼ、僕のせい⁉

 思いがけない展開に、僕は青くなりました。

 なんてことだ。僕は二人を見守る壁のつもりだったのに。いつの間にか、間を隔てる壁になっていたなんて。

 いや、でも大丈夫。僕程度の存在が二人の障壁になるわけがない。饗庭君ならきっと、持ち前の優しさと気遣いで上手く関係を持ち直してくれるはず……。

「でも、実際可愛いでしょ? こんな風に、手作りのチョコまで作ってきてくれて……」

 拗ねたままの声で探るように言う有里君に、饗庭君は

「そうだな」

 と、さらりと答えました。

 ――何やってるんだよ!

 僕は心の中で叫びました。

 ――饗庭君の馬鹿。こういうときは『有里の方が百倍可愛いよ』って言うんだよ! そのくらい僕でも分かる。実際、有里君の方が可愛いし。なんでそう言ってあげないの? 分からないの? いくらなんでも鈍すぎる!

 そうだった。饗庭君は優しいけれど、それ以上にニブいのです。

 饗庭君は確かにモテますが、こんなことではきっと、女の子と付き合っても一週間でフラレてしまうことでしょう。

 でも、有里君もどうか分かってあげてほしい。饗庭君というのは多分、良い意味で古き良き日本男児なのです。なんとも思っていない相手のことは簡単に可愛いと言えても、好きな人相手には途端に素直になれなくなる。そういう堅物の不器用男なんです、きっと。

 心の中では、有里君が一番可愛いとちゃんと思っているはず。

 僕がヤキモキしていると、衝立越しに饗庭君が僕のチョコレートの袋を開けているらしい音が聞こえてきました。

「食って帰るの?」

「……これは捨てられないから」

「そっか、そうだよな」

 僕は心の中で首を傾げました。

 どういうことでしょう。食べずに持って帰るイコール、捨てることになるんでしょうか。有里君は当たり前に事情を知っているようです。

「有里は御門のチョコ食わないの?」

「俺は持って帰る。――母さん、俺が友達からチョコ貰ったって知ったら喜ぶと思うし。一旦見せとく」

「ははっ、なるほど」

 僕はまた首を傾げました。

 一般的に親というのは、息子が貰ってきたチョコレートが同性の友達からだったらガッカリするイメージがあるのですが、有里君のおうちでは違うようです。

 饗庭君も有里君の家の事情を当たり前に知っているみたいで、二人は本当に仲が良いのだなぁと思いました。

「うん、うまい」

 饗庭君がチョコレートを食べてくれている気配がして、僕はカアッと顔が熱くなりました。

 うまいって! よかった!

 ……良かったけれど、これ、かなり出にくくなったぞ。

 どうしよう。さっさと出て行けばよかったのにすっかり出損なってしまって。しれっと出て行った方がいいのかな。でも食べ終わってもう出ていってくれるなら、このままでも……。

 僕が迷っていると、また鞄のファスナーの開く音がして

「じゃあ、これも食って帰って」

 と有里君が言いました。

「……有里から?」

 饗庭君が言いました。その声がいつも以上に優しく――言い換えるなら嬉しそうで、僕はなんだか切ない気持ちになるのを感じました。饗庭君が嬉しそうで「よかった」と思ったのです。

 しかし、対する有里君の声は素っ気無いものでした。

「紗絢から」

「あ、そっか。ありがとう」

「うん」

「チョコクッキーだ」

 包みを開く音がして、暫く後に饗庭君の優しい声がしました。

「――うん、うまい。おいしいよ。紗絢ちゃんにありがとうって伝えといてね」

「うん」

 有里君はぶっきらぼうに返事をします。

 さーやちゃんが誰かは知らないし、なんで有里君が間に入るのかもよく分かりませんが、やっぱり饗庭君はモテるんだなぁと感心しました。

 ――でも、有里君はそれでいいのかな。

 僕の見立てによると、有里君は饗庭君のことが好きです。かなり好きです。

 有里君が他の女の子からのバレンタインプレゼントを饗庭君に渡してあげるなんて、一体どうなっているのでしょう。

 もしかしたら、有里君は僕が思っていた以上に健気な人なのかもしれません。

「有里はチョコ、御門のだけ?」

 と、饗庭君が言いました。

「当たり前だろ、どこかのモテ男とは違うんだよ。一個あったら上等だ」

 有里君がまた拗ねたように言いました。それには全く拘らず、饗庭君が穏やかに言います。

「二個あったら、お母さんもっと喜んでくれるかな」

「……え?」

「はい」

「えっえっ……ええっ⁉」

「適当なので悪いけど。家に置いとけないし、今朝コンビニで買ったからさ」

「饗庭くんっ……!」

「わっ! ――ほら、ちゃんと鞄に入れときな。いいよ、お母さんには女の子から貰ったことにしても」

「ううん! 言う! 饗庭に貰ったって言う!」

「そう」

 有里君の声はとても嬉しそうで、饗庭君はくすぐったそうに笑っています。僕はこれまで二人のこんな声を聞いたことがありませんでした。

 近江君達もそうなんじゃないかな。それくらい、今の二人は普段とは違う空気です。

 こういう空気を……なんと表現すればいいんだっけ。

「わーい、本命チョコ初めて貰った」

「本命だなんて言ったか?」

「えー? 違うの?」

「……違わないけど……」

 話しの流れに思わず「えええ」と叫びそうになって、僕は慌てて口を閉じ手で押さえました。口から出すはずだった空気で、頬がパンパンに膨らみました。

 ――違わないん……だ……⁉

 いえ、確かにそうなんでしょう。義理だと言い張られても僕も信じません。

 でも、二人がここまで、こんな風に本心を伝え合う間柄だとは、僕は思っていなかったのです。

 さっきまでの拗ねた態度はどこへやら、有里君はふふふと幸せそうに笑います。

 顔は見えないけれど、僕の知るいつもの有里君の顔立ちでこんな風に笑ったら、きっと堪らない可愛らしさだろうなぁと想像できました。

「……俺ね、御門にチョコ貰ったとき『ミスった!』と思ったの」

 突然、有里君の口から真剣なトーンで自分の名前が出て、僕はドキリとしました。

「ミスった?」

「男が渡しても良かったんだなって。なんか全然、その発想にならなくてさ。紗絢が母さんとクッキー作ってるの見ながら、『ああ女の子のイベントだなー』とか思って。俺も貰って、美味かったし。お返しどうしようかなって、完全に貰う側の立場で考えてて。……だから御門にチョコ貰って、まあ勿論嬉しかったんだけど、『俺も渡してもよかったんだ』って、その時初めて気が付いて。『これ饗庭にも渡すんだろうな』と思ったら、ちょっと、ヤキモチ? みたいな? ビミョーな気持ちにもなったわけ」

「うん」

「饗庭のことだからきっと御門にお返しするんだろうなと思ったし。『え、饗庭と御門でバレンタインとホワイトデーのやり取りするの⁉』『え、ちょっと、俺とは⁉』みたいな。そりゃあるわけないよな、チョコ渡して無いんだから――と、思ってたん、だけ、どっっっ!」

「わっ!」

 ドサリ、と音がして、多分、多分ですけど、有里君が抱き着いて、饗庭君がソファの上でひっくり返ったのでは無いかと思いました。

「まさか、饗庭が用意してくれてるなんて思わなかった! よっ! このイケメン! たらし! スーパーダーリン!」

「分かった分かった。ちょっと落ち着いて……先生来たらどうするの」

「交際宣言しよ! 仲人頼んどく⁉」

「まあ待て、落ち着けって」

 僕はいよいよ口から飛び出しそうな心臓を押さえるために、手で口をぎゅううと押さえました。

 もう既に僕がここにいるわけですが、披露宴の受付くらいはさせてくれるでしょうか。

「ホワイトデー期待しててね」

「いや、いいよ別にそんな……」

「店での稼ぎ、全然使わずに取ってあるんだ。全額注いじゃおっかなー」

「待て待て、止めろって。それはちゃんと大事に、自分のことに使えよ」

「どうしよっかなー」

「それは本当に。高いもん買ったら、怒る」

 饗庭君が恐い声で言って、有里君は嬉しそうに笑います。

「はぁい、分かってるよ。――もう饗庭君ったら、俺のこと大好きなんだから……」

 息を止めて目を白黒させながら、僕はやっと気が付きました。

 さっき分からなかった、この空気の名前。

 間違いありません。これは「恋人同士の空気」です!

 そうだ! と有里君が唐突に声を上げました。

「ねえ、もっといいものあげよっか……?」

 有里君の声が囁くように色を帯びて、僕は思わずドキリとしました。

「いいもの……?」

 饗庭君は訝しげな声を出します。

「うん、すごく高価で、貴重なやつ」

 甘く蠱惑的な声音に、僕はドキドキが止まらなくなって、これは饗庭君も大変だと彼に同情しました。が、

「だから高い物は駄目だって」

 ああ、駄目だ。この人全然気が付いて無い。これは有里君の方が大変だ。

 しかし有里君も慣れたものなのか、全然心折れないようです。

「高くないよ。他の人はいくら積んでも買えないやつ」

「はぁ?」

「饗庭君にだけ、無料のやつ」

「なに――」

 何か言いかけた饗庭君の声が唐突に途切れて、沈黙と、小さく布の擦れる音、そして微かに息の漏れるような声がしました。

 ――あああああああ。

 僕は頭を机に打ち付けないようにするのに努力を要しました。

 大変な現場に居合わせてしまった。これ以上の盗み聞きは決して許されない。かと言って、今バレるのももう絶対に遅い。

 今すぐ瞬間移動がしたい。鼠に化けて逃げ出したい。死んで幽霊になってここから出たい。

 いや、いっそのこと観念して飛び出して、短刀で切腹してお詫びを――。

 そうして僕が目の前の短刀を見つめた時、外で何かが扉にぶつかったような音がして、饗庭君と有里君が慌てて起き上がったのが分かりました。どちらかが足か何かぶつけたのか、テーブルがガタンと派手な音を立てました。

「おお、お前らいたのか。放課後に珍しいな」

 ガラガラと扉が開いて、聞こえてきたのは神川先生の声。

「あ、すみません勝手に……」

 と、有里君。

「いや、いいんだけどな。なんだ、チョコレートの試食会か? いいねぇ、若者は」

「先生、注意する立場じゃないんすか」

 と、饗庭君。

「先生はそんな野暮なことしませんよ。――ま、内緒な。大っぴらにはすんなよ。没収しなきゃいけなくなるから」

 ――驚いた。

 神川先生って、皆の前じゃ無いところではこんなことを言うんだ。

「お、うまそうじゃないか。やっぱり没収しようかな」

「だ、だめ!」

 先生がニヤニヤした声で言って、有里君は慌てて饗庭君に貰ったチョコレートをカバンにしまっているようでした。

「じゃあ帰ろうか」

 と饗庭君。有里君が「うん」と頷いて、二人が立ち上がった気配がしました。

「先生さよなら」

「さようなら」

「はい、さよなら」

 ――ガラガラ、ピシャン。

 二人の去って行く音を聞きながら、僕は呆然と座り込んでいました。

 ――気付かれずに済んだ。いや、でも。

「うわっ!」

 衝立のこちら側まで歩いてきた先生が、僕を見て飛び上がりました。

 先生は手に段ボール箱を抱えていて、さっき扉にぶつかった音が聞こえたのは多分これでしょう。

「なんだ御門、いたのか。出てこいよ、驚いた」

「すみません……、巴先生に短刀を見せていただいてて……」

「おお、例のな。満足したか?」

「いや、まだ全然……」

 だってついさっきまで、全然それどころじゃなかったから。

「そうか。熱心だなぁ」

 そう言って自分の机に段ボール箱を置いた先生は、回転椅子をくるりと回してこちらに向かって座ります。

「聞いたか? 有里がチョコレート貰ったって」

「あ、はい……」

 聞いたのは聞きました。盗み聞きですが。

 先生は遠い目をします。

「あいつ、ずっと本当に独りだったんだよ。それが饗庭に会って……修学旅行にも行ったし、人とコミュニケーション取るようになって、友達が増えて……。もう、女の子からチョコレート貰うまでになったんだなぁ」

 先生は感無量の面持ちです。

 チョコレートは女の子からでは無いけれど、わざわざ訂正しなくていいと思う。きっとそれは重要なことでは無いから。もっと大切なのは――

「本命チョコだって言ってました」

「そうか……、そうかぁ! 良かったなぁ」

 先生は目に涙を浮かべ、本気で感激しています。

 ――僕も先生と同じ気持ちだ。二人が幸せであるなら嬉しい。

「――はいっ」

 僕は元気に返事をして、これからも心の内で二人を推していこう! と思ったのでした。








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