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怪異事務管理所  作者: channel
第零告
10/17

第十話 思考と日常

 私は、自分のことを比較的まともな人間だと思っている。

 少なくとも、そう思わなければやっていけない程度には。


 音が聞こえる。

 それは事実だ。

 でも、聞こえない人の方が多いのだから、それは異常だ。

 異常である以上、理由があるはずで、理由があるなら説明できるはずで、説明できるなら納得できる。

 ……納得できるなら、怖くない。


 怖くないはず、なのに。


 私は、音を聞いているのに、同時に、音に聞かれている気がする。


 これは比喩だ。

 比喩であってほしい。

 主語と目的語が逆転している時点で、もう文章としておかしいのだから。


 ナズナさんは言った。

 世界にはバグがあって、怪異はその一つだと。

 七告は、怪異を超越した、もっと大きなバグだと。


 なら、私は何なんだろう。


 バグを検知するアラート?

 ログを拾うデバッガ?

 それとも、たまたまノイズに敏感なだけの一般人?


 一般人、という言葉を使うたびに、どこかで何かが引っかかる。


 私は私の人生を生きてきた。

 学校に通って、友達がいて、嫌なこともあって、特別じゃない出来事で埋まっている。


 それなのに、音だけ、音だけが、私を特別扱いしてくる。


 おかしい。

 普通は逆だ。


 特別な存在が、特別なものを見る。

 でも私は、特別じゃないのに、特別なものが見えてしまう。


 ……いや。

 聞こえてしまう。


 もしかして、私が特別なのではなくて、私の中に、特別じゃない部分があるのでは?


 欠けている、とか。

 足りていない、とか。

 壊れている、とか。


 そう考えると、少しだけ説明がつく。

 完全なものは、完成しているから変化に鈍感で、不完全なものほど、外部の影響を受けやすい。


 ……あれ?

 それは、

 「私が壊れているから聞こえる」

 という結論になる。


 それは嫌だ。

 でも、否定ができない。


 否定できないということは、肯定しているということだろうか。


 分からない。

 分からないけれど、分からないまま進んでいる、という自覚だけがある。


 私は選ばれたわけじゃない。

 選んだわけでもない。


 ただ、立っていた場所が悪かっただけ。

 聞こえてしまっただけ。


 それだけで、ここまで来てしまった。


 ……もしも。

 もしも私が、最初から全部を知っていたら。

 最初から理由を教えられていたら。


 私は、今より楽だっただろうか。


 ――多分、違う。


 理由がないから、

 私はまだ、自分を疑える。


 疑えるうちは、人間でいられる。


 だから今は、分からないままでいい。


 音の正体も、

 理由も、

 私自身のことも。


 分からない、という状態を、

 まだ壊さずに持っておく。


 それが今の私にできる、

 唯一の自己暗示だ。


――何も起きていない、という異常


ジリリリリリリ! ジリリリリリリ! 


 翌朝、目覚まし時計はいつも通り鳴った。

 七時ちょうど。

 一秒の狂いもなく、いつも通り。


 ……いや、本当に?


 私は一度目覚ましを止めてから、スマホの時計を確認する。

 七時ちょうど。


 もう一度、部屋の壁掛け時計を見る。

 七時ちょうど。


 全部、合っている。

 合いすぎている。


 制服に着替えて、髪を整えて、洗面所で顔を洗う。


 水の音は、普通。

 冷たさも、普通。

 鏡に映る私は、ちゃんと私。


 ……ちゃんと?


 「セイカ、早くしなさい。遅刻するわよ」


 母の声が、台所から聞こえる。

 声量も、語尾も、抑揚も、完璧にいつも通り。


 だから、違和感はない。

 違和感はないはずなのに――


 音が、聞こえない。


 昨日まで、あんなに重なっていた音。

 意味を持ちかけていた音。

 世界の底で鳴っていたはずのノイズ。


 それが、ない。


 私は少し安心して、少し不安になる。

 安心していいのか、不安になるべきなのか、判断できない。


 朝食の味噌汁は少し薄い。

 でもこれはいつものことだ。

 母はいつも、気分で味を変える。


 テレビではニュースが流れている。


 「――次のニュースです。昨夜、久良中央駅6番線で人身事故があり……」


 人身事故。

 その単語を聞いた瞬間、胸の奥が、ほんの一拍だけ遅れて鳴る。


 ドン、と。


 心臓の音とは、微妙に違う。

 体内にあるはずのない、余分な鼓動。


 気のせいだ。

 そう思う。


 学校への道。

 信号は青。

 横断歩道を渡る人たちの歩幅も、揃っている。


 揃いすぎている。


 みんな、同じ速さで歩いている。

 まるで、再生速度を固定された映像みたいに。


 「おはよー、セイカ」


 クラスメイトが声をかけてくる。

 私は反射的に返事をする。


 「おはよう」


 声は、ちゃんと出た。

 でも、その声が自分のものじゃない気がする。


 ちょっと怖いけど、教室に入る。

 チャイムが鳴る。

 席に着く。


 先生が来る。

 出席を取る。


 「蓬莱」


 「──あっ、はい」


 ───黒板にチョークが当たる音。

 カツ、カツ、という規則正しいリズム。


 ……規則。


 その瞬間、

 ほんの一瞬だけ、チョークの音がズレる。


 カツ、

─カツ、

 カツ。


 一拍、余計。


 誰も気づかない。

 先生も、生徒も。


 でも私は、気づいてしまった。


 音は消えたんじゃない。

 潜っているだけだ。


 水面下で、

 次に鳴る準備をしている。


 私はノートを取るふりをしながら、

 心の中で、ナズナさんの言葉を反芻する。


 今日も世界は、ちゃんと回っている。

 昨日と同じように。


 だからこそ、確信してしまう。


 この日常は、修正前の文章なのだと。



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