マールムさんてお師匠様のお嬢さんですか? 綺麗な人ですね
東の空が白み始めたころ、ジュノ・ジャクセルは納屋で目を覚ました。
五枚重ねの毛布を、羊羹のように角をとって畳み、砦の中庭へ向かう。
まだ空気は、夜明け前。
刺すような冷たさを感じる。
ここに起床ラッパの音はないが、勝手に目が覚めて、勝手に身体が動く。
井戸の水で顔を洗う。きゅっと肌が引き締まった。
そのまま、母屋の玄関先に正座した。
朝露の匂いに混じって、焦げた木の香りが鼻をかすめていく。
見上げると、屋根の上に、煙が静かに立ちのぼりはじめた。
暖炉に新しい薪がくべられたのか、白く、柔らかな、水気を含んだ濃い煙が空に吸いこまれていく。
おそらく、あの少女──マールムという名だった──が朝食の支度をしているのだろう。母屋の奥から、鍋や食器のぶつかる音が響いてくる。
そして、その音に混じって、心地よさげなイビキが響いていた。
この砦の主であり、あの〝殿軍の英雄〟ゼブラ・ゴーシュのものだろう。
不思議と、そのそばに居られることすら、ジュノには誇らしく思える。
まだ弟子入りは叶ってはいないが……憧れの英雄の、こんな近くに自分はこうして、正座している。
それだけで夢心地だった。
坐る腰に自然と力が入る。
明らんできた空に、鳥の群れが飛んでいく。
ジュノは目を細め、天を仰ぎながら深く息を吸い込む。
冷気のなか、胸の奥がじんわりと温かい。
自分は、今、まぎれもなく〝夢にまで見た場所〟にいる。
そのとき母屋の窓が、音を立てて開き、ひょいとマールムが顔を出した。
「おはようございます、眠れましたか?」
ジュノは、背筋を伸ばし、正座の姿勢を整える。
「はい! おかげさまで!」
腿の上には──鉄刀木の魔杖がある。
マールムは安心したように、微笑んだ。
「それならよかった。朝食はお出しするようにと言われています。苦手な食材はありますか?」
「いえっ、ありません! なんでもいただきます! むしろ、ご飯を作っていただけるなんて……ありがとうございます!」
ジュノは深々と頭を下げた。
その様子に、マールムはえくぼを作った。
笑んだついでに彼女は思い出したのか、「内緒ですが」と、彼に囁いた。
「──お師匠さまは、朝風呂が好きなんです。もしかしたら今朝あたり、お入りになるかもです」
ジュノは、目を輝かせた。
「──では、僕がお沸かしいたします! 差し支えなければ、ぜひやらせてください!」
マールムは柔らかく微笑む。
「きっとお師匠さまも喜びます。お風呂は母屋の裏手で、薪は──」
「納屋ですね! お任せを!」
ジュノは勢いよく立ち上がり走り出し……かけて、ふと足を止め、振り返った。
「──ところで、マールムさんは、おいくつなんですか?」
彼女には、ためらう様子はなかったが、
「十七か、十八。たぶんですけど」
ちょっとだけ不確かな返答を恥じているのか、はにかみながら答えた。
その「たぶん」という言葉に、ジュノは理解した。
この戦後の時代、身元のはっきりしない元孤児は珍しくない。
彼女も、そういう一人なのだろう。
「……よかった。敬語使ってて。僕は十六です。じゃ!」
そう笑うと、彼は今度こそ本当に駆けていった。
その背中に、マールムは穏やかなまなざしを向けていた。
そして、振り返ると、まんざらでもないようにつぶやいた。
「……わるくないな。おとうと弟子か。」
◇