マールムさんてお師匠様のお嬢さんですか? 綺麗な人ですね
翌朝──
東の空が白み始めたころ、ジュノ・ジャクセルは、毛布のなかで目を覚ました。
納屋の明かり採りから、天井にむけて新しい光がさしていた。
飛び起きて五枚重ねの毛布を、羊羹のように角をとって畳み、砦の井戸へ向かう。
まだ空気は、夜明け前。
刺すような冷たさを感じる。
ここに起床ラッパの音はないが、勝手に目が覚めて、勝手に身体が動く。
井戸の水で顔を洗った。きゅっと肌が引き締まった。
ようやく目が覚めた気がした。
そのまま、母屋の玄関先に正座した。
反応を期待していないわけではないけれど、ゴーシュも顔を出さない。
(──と、いうか、まだ寝てるかな。ゴーシュさまなら)
そう思いながら、かじかむ手に息を吐いて待つ。
朝露の匂いに混じって、焦げた木の香りが鼻をかすめていった。
見上げると、風のない屋根の上に、煙が静かに立ちのぼりはじめていた。
新しい薪がくべられたのか、白く、柔らかな、水気を含んだ濃い煙が空に吸いこまれていく。
あの少女──マールムという名だった──が朝食を支度しているのだろうか。母屋の奥にキッチンがあるのかもしれない。鍋や食器の音が響いてきている。
もしかして、自分のぶんも、用意してもらえたりして。ジュノはそう思って微笑んだ。
けれども、すぐにかぶりを振った。
(──いけない。甘えちゃいけない)
バックパックの中には携行糧秣があと三日分あったはずだ。当座は食うに困らない。
そのあとは……ふもとの村に買い出しにいけばいい。
──と、その時、炊事の音に混じって、心地よさげなイビキが響いてきた。
(やっぱり、寝ていらしたんだな……)
ジュノは、あのヒゲ面の英雄の寝顔を思い浮かべた。
この砦の主であり、あの〝殿軍の英雄〟ゼブラ・ゴーシュのこんなに近くまで来ている。
それだけで、ジュノには誇らしく思える。
インターンの三ヶ月間とは言え、弟子入りを申し込んだ自分はこうして、今日も正座している。
それだけで夢心地だった。
坐る腰に自然と力が入る。
晴れた空に、鳥の群れが飛んでいく。
ジュノは、天を仰ぎながら、深く息を吸い込んだ。
まだ明けきらぬ春の冷気で、胸の奥が清められる気がした。
自分は、今、まぎれもなく〝夢に見た場所〟にいる。
そのとき──母屋の窓が、音を立てて開き、ひょいとマールムが顔を出した。
「おはようございます、眠れましたか?」
ジュノは、背筋を伸ばし、正座の姿勢を整える。
「はい! おかげさまで!」
腿の上には──鉄刀木の魔杖がある。
マールムは安心したように、微笑んだ。
「それならよかった。朝食はお出しするようにと言われています。苦手な食材はありますか?」
「いえっ、ありません! なんでもいただきます! むしろ、ご飯を作っていただけるなんて……もったいなく存じます!」
ジュノは深々と頭を下げた。
その様子に、マールムはえくぼを作った。
笑んだついでに彼女は思い出したのか、「内緒ですが」と、彼に囁いた。
「──お師匠さまは、朝風呂が好きなんです。もしかしたら今朝あたり、お入りになるかもです」
ジュノは、目を輝かせた。
「──では、僕が! 差し支えなければ、ぜひやらせてください、沸かします!」
マールムは柔らかく微笑む。
「では、おねがいします。きっとお師匠さまも喜びます。お風呂は母屋の裏手で、薪は──」
「納屋ですね! お任せを!」
ジュノは勢いよく立ち上がり、走り出し……かけたが、ふと足を止めて、振り返った。
「──ところで、マールムさん、失礼ですが、おいくつなんですか?」
彼女には、ためらう様子はなかったが、
「17か、18かな。たぶんですけど」
不確かな返答を、ちょっと恥じているのか、はにかみながら答えた。
けれども、その〝たぶん〟という言葉にジュノは、おおかたを理解した。
この大戦後の時代。身元のはっきりしない元孤児は珍しくない。
彼女も、そういう一人なのだろう。
「……よかったです。敬語使ってて。僕は15です。じゃ!」そう笑うと、彼は今度こそ本当に駆けていった。
その背中に、マールムは穏やかなまなざしを向けていた。
そして、振り返ると、まんざらでもないようにつぶやいた。
「……わるくないな。おとうと弟子か。」
◇