ノーパンツ、ノーライフ
この砦は、王国の最北端。辺鄙な辺境、左遷先を意味する最前線。
目と鼻の先、魔王軍との非武装地帯の森には、言葉の通じない巨大蟲がうじゃうじゃと棲んでいる。
一歩、足を踏み込むだけで、そのどちらとも鉢合わせる可能性が充分にある。
そこに釣り…… いや、パトロールに行くとは、警備隊の職務とは言えども頭が下がる。
しかし──それが丸腰でとなると〝やっぱりパトロールとは関係ない池に釣りだけ行く気なんじゃないの〟と、しか思えない。
「魔杖も無しで、ですか?」
ジュノの問いに、ゴーシュは肩にかけた竿を少し掲げてみせる。
「これがある」
いや。どう見てもただの釣竿だ。
「ちげーよ。見る目がねえな。こりゃあタヌマー枢機官から拝領したワザモンだ。五つ星の釣竿職人の仕上げだよ? 金十枚でも売らないからね?」
自慢げに言うゴーシュに、ジュノは静かに指摘する。
「今……しっかり、釣竿職人って言いましたよね」
「……うっ!」
ゴーシュの手が止まり、彼はぐっと口をつぐみ、目を逸らしていく。
「そこはそれ。俺くらいのレベルになると、どこからでも魔法はうてちゃうから……」
ジュノは、もう一度母屋のほうを見やる。
食器類が重なる音がしている。
マールムさんは朝食の後片付けだろうか。
いずれにしても正直言って、あの細身の少女が、一人で砦を守れるとは思えない。
だからこそジュノは言った。
「──僕、残ります」
ゴーシュは、つまらなさそうに口を尖らせた。
ふてくされた子どものような顔だ。
けれども、その口が昨日のマールムに似ていて、ジュノには微笑ましかった。
「じゃあ俺だけで大物釣っちゃうもんね。あとで吠えずらかくなよー」
そう言い残し、殿軍の英雄、ゼブラ・ゴーシュは、蟲の巣食う森の奥へと……消えていく。
その背中を見送るジュノは、
「ほんとに……丸腰で行っちゃったよ」
つぶやきながら、どういう神経してんだろと、首をかしげる。
魔王軍の支配地域との境に存在するあの森は、名前こそ〝非武装地帯〟だが、つまるところ、それは最もホットな最前線だ。
まさか、本当に非武装で足を踏み入れる大馬鹿がいるとは……。
まるでパンツを穿かずに笹薮に突っ込むようなものだ。
ジュノは身震いがした。
「ほんとうに……ゴーシュさまも人間なのかどうか、わからないな」
まったくもって底が知れなさすぎる……。
それに、
「朝風呂を沸かす仕事も、これで無くなっちゃたな」
一体どうしたものかと、ジュノは腕を組む。
母屋の玄関前で座り込んだところで、師匠は不在。
納屋に戻っても居眠りをしてしまうだけだろう。
「──よし。聞いてみるか、なんか仕事がないかって、マールムさんに……」
しかし、そうつぶやきながら振り返ったジュノは、せりだして朝日が昇りつつある麓の村のほうを眺めた。
ふと、太陽のなかに、気配を感じたのだ。
事実、そこには山道をのぼって、こちらへと向かってくる剣士の影があった。