008_5
トーマ「アリス……さん?」
トーマは恐る恐る声をかけた。
その子の名前をトーマは知らなかった。この名は、あかりやユウが教えてくれたものだ。
トーマの声に、アリスは身体をビクッとさせた。
上目づかいにトーマの顔をうかがう。
目にはいつものように、怯えの色が浮かんでいる。
トーマ「話があるんだ。ちょっと……いいかな?」
アリスはうなづくことしか出来ない。
そして、頭の中では、恐怖の思考が止まらない。
昨日、記憶を消してしまったばかりなのに、なぜ?なぜトーマ君が話しかけてくれるの?私のことなんてもう覚えていないはず。おかしい。おかしいよ。ひょっとして私が記憶を消したことがバレたの?ああ、きっとそう。そうに違いない。昨日も大騒ぎになってしまった。だれかが私のこと突き止めたんだ。こんなことになるから、もう消さないって、もう消さないって誓ったのに。誓ったのに。ああ……
トーマの後ろ姿をチラリと見る。
私の歩幅に合わせて、ゆっくり歩いてくれてる。普段は分速80mの速度なのに、今は、分速78m。絶対、明らかに私のために。ああ、なんて優しいんだろう。こんな時まで。こんな時……ああ、やっぱり記憶のことを聞かれるんだろうか?私はなんて答えれば良いんだろう?いや、ちゃんと謝ろう。ずっと、ずっと、記憶を消してきてごめんなさいって。許してもらえないと思うけど精一杯、謝ろう。
トーマは校舎を出て、グラウンドを横切って歩く。
そして、木立の向こう……昨日、記憶を失って倒れていたところまで来て、アリスの方に身体を向けた。
トーマ「何から話すべきか、分からないんだけど……」
慎重に言葉を選びながら、口を開いた。
アリスは身体をこわばらせる。
断罪の時だ。
トーマ「君のこと、友達から聞いたんだ。
僕が小さいころから、ずっと一緒だったんじゃないかって……
忘れてて、ごめん」
だめ。謝らないで。私が悪いの。
トーマ「もう一つ、言われたんだ。君が、僕の記憶を消していたんじゃないかって……」
もうだめだ。全部バレてしまった。もう二度と、あなたに会えなくなる……
トーマ「なんで、そんなことするのか、分からないけど……
でも、全部忘れてしまってるわけじゃないんだ。
ずっと、ずっと……臆病な女の子を守らなきゃって、僕が助けてあげたいって思いがあって……
記憶をなくしてるって聞いて、腑に落ちたんだ」
アリスは驚いて顔を上げた。
記憶が残っているなんて、そんなことあるわけない。でも、もしあるとしたら、それはまるで運命のような……
トーマ「僕はずっと、君を探していたんだと思う」
記憶を消したことを責められるのだと思っていた。でも、そうじゃない……?
トーマ「ずっと、ずっと……これを言う相手を探していた。
でもわからなくて……誰に言うべきなのか……この話を聞いて、分かったんだ。
君だ。君なんだ」
ああ、ダメだ。これでは……また消してしまう。
トーマ君の記憶……また消しちゃう……
トーマ「僕は、君のことが好きだ」
ああ……
アリス「私も……
私も……好き!大好き!大好き!大好きー!
あああああああ!」
ああ、ダメだ。やってしまった。また。
また……トーマ君の記憶を消してしまう……
……
……あれ?
……いつもみたいな、閃光と衝撃が……ない?
あかり「……もう、なんでこんな、のぞきみたいなことしなきゃいけないのよ……」
がさり、と奥の木の根元、低木の陰から、あかりとユウが姿を現した。
********
あかり「ここは、夢の中よ。
私の異能力で2人の夢をつなげたの」
2人から視線を外して、あかりは言った。顔が赤い。
ユウ「ごめん……のぞくつもりは無かったんだけど……」
ユウも視線をさまよわせている。顔が赤い。
あかり「なんかもう、全部わかったわ。
アリス、あなた、能力の制御が出来ていないのね?」
アリスは身を縮めた。
アリス「ご、ごめんなさい……」
あかり「で、トーマから告白されて、感情を爆発させて、異能力が暴走、記憶をトバしちゃった、と……
さっきは夢の中だから発動しなかったけど……
幼いことから、トーマに何度も何度も告白されてたんでしょ?」
アリスは嬉しそうにモジモジしてから、うなづいた。
あかり「とんだバカップルね……」
トーマ「え?」
あかり「なんでもないわ」
あかりは小さく頭を振った。
あかり「とにかく、事件とかじゃなくて良かったわ。
……アリス、あなたは明日から私の実技実習に付き合いなさい。精神鍛錬の基礎くらいなら、教えてあげられるから。
トーマはしばらく、アリスが感情的になるようなことは控えて。告白乗り越えて、か、カップルになったんだから、しばらく大丈夫だと思うけど……
だからその、手の甲が触れて恥ずかしいでも本当は手をつなぎたい、ヤメロ」
あかりは早口でまくし立てた。見てるだけで恥ずかしい。
トーマ「ごめん。
あ、でも、ユウとあかりもそういう関係だったんだな」
ユウとあかりのしっかりとつながれた手を見て、トーマは言った。
あかり「~~! これは、必要があってやってんの!
あー、もう、解散! かいさーん!」
********
あかり「ちょっと、ユウ、頭どけて」
ユウ「んあ?」
あかりに頭をぐいっと押しのけられて、ユウは目を覚ました。
保健室。二つベッドを並べた、そのまんなか。
ユウは身を起こして、右のトーマと左のアリスを順に見た。
そうだ、あかりの能力で2人の夢の中にいたのだった。
あかり「エレナに報告しなきゃ。……こはくもいないわね」
あかりは保健室の中を見渡した。
その2人に協力してもらって、この状況を作り上げたのだ。
あかり「見回りにでも行ったのかしら?ちょっとその辺、見てきましょ」
あかりはシッシッと手を払うように振って、ユウをベッドの上からどくように促した。
ユウは左右で眠るトーマとアリスに気をつかいながら、ベッドから降りた。
アリス「あれ……?」
ユウに続いて、あかりがベッドから降りたとき、アリスも目を覚ました。
あかり「すぐ戻るから、ちょっと待ってなさい」
あかりは言い捨てて、保健室を出た。
廊下の左右を確認するが、エレナとこはくの影はない。
ユウ「……あの」
ユウは遠慮がちに声をかけた。
ユウ「その、手……」
あかり「あ……」
あかりは、自然につないでしまったユウの手を慌てて放した。
あかり「こ、これは違うから、さっきまでの、その、夢の中の、あの……」
ユウ「うん、大丈夫……」
しどろもどろの弁解に、ユウはうなづいた。
あかりの能力はとても危険なものだ。あかりは叔母からそう聞かされていた。
夢は人の深層につながる。そこに飛び込むことで、あかり自身にどんな影響が出るか、正確には分かっていない。
「自分の形を保てるように、必ずだれかと一緒に潜りなさい」それが、同じく夢に関する異能力をもつ叔母の助言だった。
あかり「……ユウ、今日はありがとう」
ユウ「ううん。ボク、ほんとに一緒について行っただけで……
こっちこそ、ありがとう。トーマのこと、助けてくれて」
……ユウで、きっと良かった。
あみぐるみの趣味をたまたま見られただけの、最近知り合ったばかりの……友達。
気弱そうで頼りなさそうだけど、友達思いで優しい……
ユウには伝えていない。
夢の中で触れた相手の感情が、あかりには分かってしまうこと。
ユウはずっとずっと、心からトーマのことを心配していて。
ときどき、私に見惚れていた……
あかり「あの、ユウ……」
思わず、なにかを口走りそうになって……
カッ! どん!
保健室から閃光と衝撃音がしたのは、その時だった。
あかり「ちょ、ちょっとなに!?」
あかりは慌ててドアを開けた。
そこには、驚きに目を見開き口を抑えたアリスと、床に転がるトーマ。
あかり「どうしたの!?」
アリスは震える声で答えた。
アリス「トーマくんの寝顔見てたら……その……
……寝言で、私の名前を……」
あかり「……」
それで、精神が限界をむかえて、異能力が暴走して……
あかりは大きく息を吸い込み、あらん限りの大声をあげた。
あかり「あんたら、しばらく、接触禁止ー!!」




