005_1
天宮エレナの朝は早い。
朝5時30分、起床。
軽いストレッチとランニング。
浮き島に来る前は、湖の見える公園を走るのが日課だったが、ここにはそんなものはない。
ひたすらグラウンドのトラックを走る。
トーマ「ご一緒しても、いいですか?」
三日目に芹沢トーマが加わる。
気立てが良く、非常に扱いやすい生徒だ。顔も整っているので、何人かの女生徒に熱い視線を受けているようだが、今のところ特定の誰かとどうにかなるような気配はない。
ユウ「ふぁふ……」
あかり「眠いなら寝てなさいよ」
四日目にはさらに久遠ユウと結月あかりも加わる。
予知の上では最警戒対象のユウだが、生徒としての問題は全くない。多少、友達という存在に執着が強いようには見える。
特にトーマと仲が良く、どこに行くにもべったりと一緒に行動している。
あかりも模範的な優等生だ。
ただし料理当番で非凡な不器用さを見せており、要注意。この隔離環境で集団食中毒でも発生させたら命取りである。
……ランニングの最後の一周は異能力、加速を全開にして走る。
トーマ「おお、何度見ても素晴らしい……
--その異能は、時間を蹂躙する……
その名も、ヴェロシタス・ギア!発動と同時に、使用者の周囲の時は砕け散り、代わりに使用者だけが一歩進んだ存在となる……
いや、世界が遅れているだけなのだ……彼女にとっては!」
トーマの、この、異能力を目撃するたびにはしゃぎ回るクセには閉口させられる。
特に他人の異能力に、かっこいい、あ、いや、大仰な名前をつけるのは控えて欲しい。こそばゆいこと、この上ない。
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朝6:30、朝課題を開始。
呼吸法と瞑想の精神統制訓練。
全員参加を義務づけているが、残念ながら、常習的にサボる生徒が存在している。
鷹野ソウガ、斑鳩ミナト、百瀬ましろの3人だ。
特にソウガはこれ以降の課題にも一切顔を出さない。完全なボイコット状態だ。
見かけるたびに指導を試みるが、空気操作で空中に逃げるようになってしまった。近いうちに、ボコす。いや、指導を行って心を入れ替えさせたい。
ミナトとましろは、朝が弱いだけのようだ。他の授業には真面目に出ている。
朝課題を欠席したペナルティもしっかり受けており、生活習慣さえ改善すれば問題ないと思われる。
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朝7:00、朝食。
今日の朝食は和食のようだ。
焼き魚とみそ汁、だし巻き卵と煮物の小鉢。そしてもちろん、白米。
食事については、来栖カオルという生徒が全面的に、取り仕切ってくれている。
味も申し分ない。
非常に助かる。
あらかじめ決められた献立を無視する点については、いかがなものかと思わないでもない。しかし、作りたい料理を作ることが、彼のモチベーションになっていることは否めず、許容すべきだろう。
カオル「あ、エレナ!」
厨房から顔出したカオルが、エレナに声をかけた。
エレナ「ごちそうさま。今日も美味かったぞ」
カオル「喜んでもらってなによりだよ。そんなことよりさ……
卵、使いすぎて、もう無くて……」
……前言撤回。
やはり、計画通りに進めるべきなのだ。何事も。
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朝8:00、ホームルーム。
一日の最初は、異能力五訓の斉唱と決めている。
エレナ「諸君、おはよう。今日も一日を始めよう。
では、ひとつ!」
生徒たち「力を誇るな、制御を誇れ」
エレナ「ひとつ!」
生徒たち「担え。異能は責任なり」
エレナ「ひとつ!」
生徒たち「悪を知り、正義を選べ」
エレナ「ひとつ!」
生徒たち「孤高より対話、支配より共存」
エレナ「ひとつ!」
生徒たち「明日を変えるのは、今日の継続」
エレナ「うむ」
エレナは満足げにうなづいた。
この異能力五訓はエレナが自分で作ったものだ。
初回には小一時間この内容を説明した。
毎日の斉唱によってこの精神が宿れば、必ずや彼らの未来は変わるだろう。
口パクで済ましている生徒には、後で100回ずつ書き取りでもさせよう。
百瀬こはく、お前のことだ。
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朝8:15、一般教養(座学)。
数学や現代国語などの一般教養授業の時間だ。
エレナは他の生徒より一学年上ではあるが、さすがに授業までは難しい。
基本的には動画による説明を受けてもらい、不明点についての質問を受け付けるようにしている。
最初はこの時間に、自らの二年生向けの学習を進めるつもりでいたが、それは甘かった。
熱心に質問してくる生徒もおり、自らもしっかりと動画を視聴している必要があった。
それに……
エレナ「葛城ルイ(かつらぎるい)!
手遊びで電気を出すな!静電気で髪が逆立っているぞ!」
ルイ「……やべ……」
エレナ「起きろ!百瀬ましろ」
ましろ「ほえ……」
こういった者を勉学に向き合わせる必要がある。
教師とは、学問だけの仕事でないのだと痛感させられる。
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昼12:00、昼食。
昼食もカオルに任せているが、彼自身も授業を受ける身。時間がないこともあり、サンドイッチかおにぎりを用意してくれていることが多い。
今日はサンドイッチのようだ。
カオル「エレナ、どうしよう、もうハムが無くて……」
エレナ「お前は、もう少し計画性を持つべきだ」
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昼13:00、異能力倫理(座学)。
これは比較的新しい科目だ。
異能力を持つものとして、知っておくべき様々な考え方を学ぶ。
過去、異能力が広まる課程で起きた、様々な事件を題材にすることが多い。
この隔離矯正クラスでは、この科目に多くの時間を割くことになる。
今は他の座学と同様、動画学習だが、ディスカッション形式の授業なども実施したい。早急に。
でないと……
エレナ「久遠ユウ!よだれが垂れているぞ!
斑鳩ミナト!さすがに枕を持ってくるのは止めろ!
百瀬ましろ!一体お前は、いつ起きているんだ!?」
でないと、昼食後のお昼寝タイムになってしまいそうだ。
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昼14:00、異能力訓練。
異能力は人によって様々で、決まった訓練方法はない。
しかし、工夫次第で活用法が増えたり、繰り返し使うことで発動が早くなったり効果が強くなったりすることが知られている。
明確な課題がある者は一人で、明確な課題のないものは二人組で互いの課題を見つけ合う、という形を基本的な訓練の進め方としている。
エレナ「大分よくなったな。夜刀かぐら(やとかぐら)」
かぐら「ありがとうございます!」
木刀を振って、かぐらが元気な返事を返した。
彼女の異能力は斬撃。なんでも切断出来るという強力なものだが、棒状のものを振ってそれが届く範囲のみが切断の対象だった。
これは、手にした棒をなんでも切れる剣にする、という異能力だと、かぐら本人が言っていた。
しかし、試し切りを繰り返す内、棒がわずかに届かない範囲にも、切断効果が認められた。
今は木刀の先、届かない範囲を切断する訓練を行っている。
最初は数cm程度だったが、今は木刀の先、15cmくらいは切断出来ているようだ。
ユウ「トイレットペーパー、垂らすねー」
木の上からユウの声。
切断出来ているか試すため、木の枝からトイレットペーパーを垂らして切断範囲を見極めている。
かぐら「ユウくんもアザっす!手伝ってもらって、悪いッスね」
木の葉が揺れ、枝の間からユウが顔を出した。
ユウ「全然!木登り得意だし。
この授業……暇だし!」
ユウの幻聴能力は訓練のしようがないため、訓練は諦め、こうして色々な生徒のサポートに回っている。
エレナ「次は、これで試してはどうかな?」
エレナが差し出したのは、30cmくらいの木の枝だった。木刀の柄くらいの長さしかない。
エレナ「これで今の木刀くらいの範囲を切断出来るようになったら、非常に強力だと思う」
かぐら「うわー、全然切れる気がしねーッス」
得物に関わらず一定範囲を切断。もしそれが可能なら非常に強力な能力だ。
エレナは思う。
殺傷能力が高すぎる点は非常に心配ではある。警察などの治安部隊よりも兵士や殺し屋のような物騒な仕事に適性がありそうで、この能力を伸ばすことにためらいを感じないと言えばウソになる。
しかしここはアカシア学院だ。
異能力は伸ばすべきなのだ。たとえ隔離矯正中の生徒であろうとも。
エレナ「また成果を見せてくれ」
かぐら「ウッス!」
かぐらは木刀を短い木の枝に持ち替え、早速、横一文字に振るった。
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夕方16:00、見回り。
授業後は、各々自由に過ごしている。
部活というものはないが、何人か趣味の合う者同士で集まって過ごしている者が多い。
この、夕暮れの教室には、いつもユウ、トーマ、ミナトの3人がいる。
なにやら、ミナトの持ち込んだボードゲームで遊んでいるらしい。
ユウ「エレナさん!」
教室をのぞき込むと、ユウが手を振った。
ユウ「一緒に、やりませんか?」
なにが楽しいのか、彼はいつも嬉しそうだ。
エレナ「すまんな。まだ見回り中だ」
教室を出る際に、おどおどした少女ーー名前はなんと言ったかなーーとすれ違う。
エレナと入れ違いに、教室に入っていった。
この子もこの時間、よくここで過ごしている。
ユウたちのゲームが気になるのか、遠巻きに見ていることが多い。
他には……
授業の後、どこで何をしているか、全員の顔を見て確認するようにしている。
曲がりなりにも、彼らは隔離されている身なのだ。
しかし、毎日見回りを行っても、これまで異常と言えるほどの異常は発見されていない。
いつか見回りなど必要なくなって、ユウたちのゲームに加えてもらう日が来るのかも知れない。
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夕方18:00、夕食。
トンカツ。付け合わせのキャベツの千切りは、あかりが担当していたのだろう。
千というよりは、百~五百切りくらいだ。まれにざく切りと言って遜色ないものも混じっている。
赤く染まったものさえ入っていなければ、文句はない。
カオル「あの~」
エレナ「なんだ、今度は何が足りなくなった?」
カオル「いや、ジャガイモ余りすぎて……明日から、ジャガイモ祭ってことにして良いか?」
エレナ「……」
今後は、私の方で献立を厳しく定めよう。
エレナは心に誓った。
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夜19:00、学習時間。
エレナはこの浮き島で教師の真似事を行ってはいるが、自らも学生である。
だから当然、自分の学習課程を進めねばならない。
おばあさまからは休学扱いにするかと、聞かれた。しかし、出来る、両立させてみせると、学生のままでいることを自分で決めた。
昼間の作業の合間に多少でも進められれば、もっと楽が出来るだろうが……
自分は、器用に切り替えることが苦手だ。こうして、まとまった時間を取ってちゃんと向き合う方が性に合っているだろう。
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夜22:00、消灯見回り。
22時に電灯の集合電源を落とす。
この後は一部の共用部を除き、薄暗い非常灯のみが照らすことになる。
とは言っても、足下が見えないほどの暗さではない。こうして、懐中電灯なしで歩いても何も問題ないくらいには。
消灯後、全員が決まった部屋に戻っているか、確認して回る。
男子は特に問題ない。
いや、鷹野ソウガと顔を合わせる唯一の機会なので、毎度一言言わせてもらっているが、あまり響いてはいないようだ。
なおこの時間に部屋に戻っていなければ、翌日の食事を渡さない、と言ってあるので一応この時間には部屋に戻っている。
昼間に何をしているか、一度しっかりと問い詰めなければいけない。
女子は毎夜、飽きもせずエレナの見回りギリギリまでおしゃべりに興じている。
特に、この……
エレナ「百瀬こはく!何度言ったら分かるんだ!
百瀬ましろを身代わりにして部屋を抜け出すな!」
こはく「この双子トリックを見破るなんて……やるね!エレナ先輩!」
悪びれもせず、こはくが明るい声で答える。
エレナ「ふざけていないで、決まった部屋に戻れ!」
こはく「はーい。じゃ、おやすみ。あかりん。しおん」
見回り時に注意すれば、すぐに部屋に戻るのだが……
この子には、なんらかのペナルティが必要なのかも知れない。
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夜22:30、入浴。
エレナ「ふぅー……」
まだこの生活に慣れていないということだろうか。湯船に浸かると疲れがにじみ出すのが分かる。
だが、充実している。
ここでは、自分が求められていることが実感出来る。
音を立てて、引き戸が開いた。
小柄な少女「ども……」
エレナ「入ると良い。雪代レイン(ゆきしろれいん)」
声をかけると、小柄な少女が大浴場に入ってきた。
決まった入浴時間は過ぎており、消灯時間すら過ぎているが、彼女は問題ない。
彼女は自身の異能力の関係上、この湯船で夜を明かすことになっている。
エレナ「すまんな。もう出るから……」
レインは音も無く湯船に入ると、エレナの隣にちょこんと、座った。
レイン「もっと、いてくれて……良い……」
ポツリと小さな声でささやく。
エレナ「……そうか。
ではお言葉に甘えて、もう少しゆっくりさせてもらおう」
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夜23:00、日誌添削。
生徒達には、毎日、その日の感想や悩みなどを記載した日誌を提出させている。
ちゃんと記載されているのは半数くらいだが、一冊一冊、すべてに何かしら返事を記載している。自分のような若輩では頼りがいが無いかも知れないが、人との交流が彼らの未来に益をもたらすと信じている。
エレナ「……しかし、色恋の相談は難しいな……」
自分に経験がなく、想像もつかない。とりあえず気合いと書いておこう。
エレナ「いかんな。全員分を記載するのは時間がかかりそうだ」
こういう時は……
エレナ「ヴェロシタス・ギア!
加速ではない……世界が遅れているだけなのだ……私にとっては!」
一人でつぶやき、口元を緩ませた。




