7-12
無我夢中だった。俺はただ力のまま、あの「剣」を黒く変色した怪物に突き立てた。
『コォォォォォォッッッ』
息なのか叫びなのか、怪物は奇妙な声をあげる。膨らみかけていた身体は急速にしぼみ、ホールを満たさんとしていた発光も消えていく。
俺は「剣」から手を離し、半ば床に叩き付けられるかのように倒れ込んだ。激しい筋肉痛と共に、心臓が割れそうなほど軋むのを感じた。
もう、一歩も動けない。これ以上、俺にできることはない。
大の字になって激しい苦痛に耐えていると、徐々に視界が霞んでいくのを感じた。どうも、俺もここで死ぬらしい。
『トモッ!!!』
ふわっと身体が楽になったのを感じる。キツいのはキツいが、耐えられる程度だ。視界も急速に戻ってくる。
俺の側には、ノアがしゃがみ込んでいた。掌がオレンジ色に発光している。……魔法を使っているのか。
「ノア……」
『しっかりして!!大丈夫、そう簡単には死なせないっ!!』
ノアも一気に消耗していくように見えた。俺はすぐに、彼女が自分の体力と魔力を俺に分け与えているのだと悟った。
「……すまない」
ノアのおかげで体調はあっという間にある程度動けるレベルまで回復した。これが「魔紋」の力なのだろうか。
奴らはどうなったと言おうとすると、城内に何人もの人が雪崩れ込むのが見えた。自衛隊の面々だ。
べルディアはというと、白髪になって地面に倒れ込んでいる。……いや、違う。そうさせられているのだと、ジュリ・オ・イルシアが何かの魔法を使っているのを見て悟った。
べルディアは自衛隊員数人によって組み伏せられ、手際よく拘束されていく。あの怪物はどうなったかと思い身体を起こすと、やはり同じような状態にになって運ばれようとしていた。
「ちょっと待て!」
ホールに綿貫の声が響く。自衛隊員が一斉に彼を見た。
「こいつらの処置は僕たちに任せてくれ。迂闊にやると、危ない」
「しかしっ」
「彼らは魔法を使うんだぞ?無防備に突っ込んでこれ以上の犠牲が出たらどうする!」
シン、と自衛隊員たちが静まり返った。彼らの指揮官であるはずの滝川一尉を探したがどこにもいない。恐ろしい想像が、頭によぎった。
「綿貫、滝川一尉は……」
「……殉職した。べルディアにやられた」
全身が凍り付くような感覚がした。……犠牲者が出てしまったのか。
高松がよろよろと俺の方へとやってくる。唇を噛み、痛恨の表情を浮かべている。
「……俺の判断ミスだ。べルディアが『魂を燃やす』のは全く想定外だった」
「『魂を燃やす』?」
「……いわば、自分の寿命と引き換えに魔力をブーストしたのさ。この魔素が薄いこの世界でも、そうすることで向こうの世界と同格の魔法を使ってきたんだ。
奴は全身に『消滅の力』を纏い重火器の攻撃を全部無効化しやがった。あまりに洒落にならねえ」
べルディアは力なく倒れたまま動かない。死んだのだろうか。
高松の代わりにノアが『まだ生きてる』と告げた。
『あのでかいのも、ギリギリだけどまだ息があるわ。あの剣で刺された傷からひっきりなしに魔力が漏れてるけど……『第三段階』になったら、もう打つ手がないと思ってた』
「一種の賭けだった。あれに対抗できるとすれば、俺が持ち込んだ『滅魔の剣』しかなかった。城外に落としたのを町田に拾いに行かせたのは大正解だったな」
そうだ。あの激しい戦闘の最中、あの怪物の触手を魔法の盾で防いだ俺に高松は告げたのだった。「今すぐ全速力で城外にでて黒い剣を拾ってこい!」と。
高松が魔法を使って奴らの足場を崩すのを見るや否や、俺は肉体強化魔法を限界まで強めて外に出た。城外に剣?と思ったがそれは幸いすぐに見つかった。それが放つ異様な魔力を察したからかもしれない。
そして、それを手にした俺はすぐに戦場へと舞い戻った。見るとあの怪物が異様な光を放ちながら巨大化しようとしている所だった。俺は細かいことを考える余裕もなく、それをあいつに突き立てたのだった。
「あれは、何だったんだ」
俺は立ち上がりながら高松に訊く。
「俺の切り札だよ。何でも失われた古代文明の遺物らしい。あれには随分と助けられた」
後ろ手に縛られた「怪物だった者」の側にはあの黒い剣が落ちている。俺はそれを取りに行き、高松に返した。
「心底助かった。お前が命令してくれなかったら、今頃……」
「いや、助けられたのは俺たちのほうさ。お前は意識してなかったかもしれないが、あの場で最適な行動を取ってくれた。おかげで、被害はこれでも最小限で済んでる」
高松の隣にいた金髪の女が心底嫌そうな顔をしたのが見えた。というか、この女は……
『『反魔法デバイス』……まさかこのようなものを持っていたとはのぉ』
「悪いが、あんたの身柄は俺が引き受ける。あんたはなお危険に過ぎるからな」
「その必要はない」と綿貫が高松を見た。「何?」と怪訝そうな表情を高松が浮かべる。
「アムルの魔法の効果さ。君との戦闘の結果、彼女はまあまあ弱ってる。そこに彼女のカイル……何とかという魔法の効力が乗れば、こいつはこちらの意に反する行動は取れない。……アムルには随分無理をさせてしまったが」
綿貫の視線の先には、市川に治療を受けてもらっているらしい彼女の姿が見えた。自分のことで手一杯だったから気付かなかったが、服はボロボロに破れほぼ半裸という状況だ。
綿貫は金髪の女を見やる。『チッ』という舌打ちが聞こえた。
「彼女の身柄は僕が預かる。依然危険人物なのには変わりがないしな。問題は、今倒れてる2人だ。この場で止めを刺したいところだが、日本国の法律上それは多分過剰防衛に当たるのだろうな」
「イルシアの連中に日本の刑法なんて適用できないだろ」
「とはいえここは日本だ。流石にそうも言っていられない」
高松は納得しかねている様子だが、俺も綿貫と同意見だ。それに、まだ生きているならこいつらには利用価値がある。
「本来的には連行して事情聴取と行きたいが……魔法をどう封じるか、だな」
俺の言葉にジュリが「それならこちらで拘束するよ」と告げた。
「地下の『封魔の牢』は、ボクがすぐに直す。そこに繋いでおけば、べルディアといえども何もできないと思う。そこの『魔女』さんみたいに魔法陣使って魔力を供給しようとかはできないだろうし」
「でも、その牢屋は2人入れられるのか?」
「いや、1人だけだよ。それに、その男はもう助からない」
「怪物だった者」の方を見た。見ると、さらに身体が小さく萎んでいる。俺が付けた傷口から、魔力が漏れ出し続けているのだ。
「……俺が、殺したことに……」
俺が、人の命を奪うことになるとは。その事実に、俺は膝から崩れ落ちた。ノアがそっと肩を抱きかかえる。
『……トモ、あなたはやるべきことをやっただけよ。それに、どのみちあの男は死んでた。自爆するか、しないかの違いに過ぎないわ』
「しかしっ……!!」
その時、意識を取り戻したのかべルディアが呻いた。
『べギルッ……』
あの男の名はべギルというのか。俺は再び立ち上がり、その男の方へと歩いた。
『トモ!?』
「……すまない。最期ぐらい、看取らせてくれ」
自分のせいで死ぬわけではないのかもしれない。だが、何となく彼の最期を見届けるべきだという気がした。
この男は俺にとってはただの「怪物」だったかもしれないが、あのべルディアにとっては紛れもなく一人の人格を持つ人間なのだ。無責任に放置するわけにはいかなかった。
後ろ手に拘束された男は白目を剥き、ほとんど死んでいるように見えた。ただ、微かな呼吸が聞こえる。
腿の辺りには俺が付けたらしい傷があった。魔力はそこから漏れ出している。今更それを塞いでも仕方ないと思えたが、俺はノアの知識から得た治癒魔法でその傷を癒した。
「おい、何やってるんだよ!?」
「無駄なのは分かってる。これは俺の我儘だ」
俺は高松に告げる。治癒魔法をかけていると、その相手の身体がどういう状況にあるかある程度分かるものなのだと知った。
そして、仮にこの傷を塞いでも、この男は間違いなくすぐに死ぬとも分かった。全身が癌で冒されているのだ。それが元からなのか、それともあの怪物になったことによる反動なのかは分からない。
1分ぐらい治癒魔法をかけていると、男が『うっ……』と呻いたのが分かった。
「気が付いたか」
『き、貴様は……』
「すまない。人間として逝かせてやりたかった。慣れない魔法だから、苦痛があるかもしれない。耐え切れないなら、やめる」
『……辛くはないが、力が全く入らぬ。俺は、死ぬのだろう』
「……ああ」
『はっ』と男が笑った。
『……まさか、自死すらできぬとはな……隊長は』
「捕縛した。まだ生きてるが」
『……そうか。俺たちは……失敗したのか』
呼吸が短く、浅くなっている。もう限界なのだろう。
男は俺に視線を向けた。憎悪の色はない。むしろ真っすぐな目だ。
べギルという男は、一拍置いて振り絞るように告げた。
『……一つ、頼まれてはくれないか』




