7-7
暴力的な日差しを避けるように、私たちは林の中に身を潜めた。服は汗でびしょ濡れだ。熱中症にかかりかねないほどだが、今はそれを気にしている場合ではない。
私たちの視線の先には一見何の変哲もない山がある。しかし、目を凝らせばそこには周囲からその姿を隠すための結界が張られているのが分かる。
イルシア魔術師団はメジアでも抜きんでた魔術師の集団だ。彼らの力を束ねれば、この薄すぎる魔素の中でもこのぐらいはできるということらしい。
『どうします』
そう言うエオラの顔色は、少し青ざめている。彼女は正直、一杯一杯だ。
エオラは「誘惑」で奴隷にした男たちを道中に呼び寄せ、その先々で彼らの生気を魔力に変換しながらここまでやってきた。
彼女は飛行魔法を使いつつ、私たちの姿がバレないように隠密魔法を使ってきたわけだが、魔力を吸ってもなおその消耗は激しい。恐らく、ここから先の戦闘では彼女は使い物にならないだろう。
『君は残ってくれ』
『嫌ですっ!せめて、最後までおそばに……』
『君も分かっているだろう?その残り魔力で無理をすれば、まず間違いなく魔力欠乏症に陥る。そして恐らくは……ラヴァリがそうであったように、君も『死病』を発症する。……これ以上、部下を手にかけさせないでくれ。頼む』
『しかしっ』
『俺が行こう』とべギルが私と彼女を見た。
『べギルッ!?』
『隊長の補佐なら俺が適任だ。隊長の盾にもなれる』
『でも……私はどうしろというのよ!?まさか、ここでずっと待っていろと……』
私は小さく首を横に振った。
『私たちはジュリ・オ・イルシアを捕らえてここに戻ってくるつもりだ。ただ、もし1時間して戻って来なかったら『プランB』を発動して欲しい』
『『プランB』……!?』
彼女は首のアミュレットを見た。同じものは私たちにもある。
『しかしっ、本当に『彼女』が助けてくれるとはっ』
『私も確証が持てない。ただ、『大魔卿』は『彼女』とは古い付き合いらしいし、連絡も取り合っていたという。それを信じるより他あるまい』
『隊長たちも、万一の時には……』
『最終手段だ。使わずに済むのが一番望ましい』
そう、「プランB」は他に選択肢がなくなった場合の窮余の一手だ。「彼女」が何者であるかは詳しく知らないが、「彼女」の後ろ盾となっている連中が何者かは知っている。
助けを求めたが最後、主導権は完全に向こうに渡ってしまうだろう。そして、「彼女」——というよりその後ろ盾がモリファスを、そしてメジアをボロボロにしかねないというのも簡単に想像できる。「大魔卿」は、そのことを知っているのだろうか。
私たちがいきなり「彼女」の所に向かわなかった理由もそこにある。「彼女」たちの助力なしで、私たちだけでジュリ・オ・イルシアの確保と連行ができるのならそれが間違いなく最善だ。ただ、もしどうしようもない事態に陥ってしまったなら……その時は、覚悟を決めないといけない。
エオラは『分かりました』と目に涙を浮かべながら小さく頷いた。勿論、ジュリ・オ・イルシアを連れ帰ってくる自信はある。ただ、確実なものではない。
私は『すまない』と告げ、彼女の髪を撫でた。そして、べギルに視線を移す。
『では、行くぞ』
『……御意』
飛行魔法で空高く舞い上がり、魔力を込めた脚を結界へと突き刺す。「バリン」とガラスが砕けるような音と共に、眼下に白く優美な城が見えた。
『敵襲ですっっっ!!!』
私たちの襲来を予期していたかのように、兵士が叫ぶ。
私たちはすぐさま地上に降り、王城の門へと駆ける。門番と思われる兵士が二人立ちはだかったが、私はそれを意に介せず右掌を門へとかざした。
『邪魔だ』
手から「消失」の力が放たれ、門は門番ごと消え去った。円状にくり抜かれた場所の向こうには、長い階段が見えた。
『この階段の上です』
べギルが硬い表情で告げる。私にも分かる。一際魔力の大きい存在が、この奥にいる。恐らくは、それがジュリ・オ・イルシアだ。
ただ、事はそう簡単ではないこともすぐに分かった。2階に複数、高い魔力を持つ存在がいる。そしてその一人が階段を駆け下り、廊下からこちらに駆けてくるのが分かった。
『ユウジ・タカマツかっ』
タカマツの後ろには、初老の男がついてきている。白髪で一重の目を持つこの人物には見覚えがあった。
私たちから10m離れたぐらいの場所で、2人は立ち止まった。彼らの後ろからさらに数人がやってきたが、タカマツは「ひとまず任せてくれ」と制する。
「やはり来たか。女もいたはずだが」
「それを君に言う義理はない」
右手を彼の方にかざす。ここで「消滅の力」を放てば、彼だけではなくその後ろにいる連中全員が死ぬことになる。
勿論それは本意ではない。脅しとしてタカマツが理解できればそれで充分だ。
「猪狩……」
初老の男、佐藤が怒りとも悲しみともつかない表情で私を見る。私は小さく首を振った。
「佐藤さん、ここはあなたが来るようなとこじゃない。説得など無駄です」
「……分かってるさ。ただ、お前を修羅の道に進ませたのは、俺だ」
佐藤は私の方にゆっくりと近付いてくる。べギルが一歩前に出ようとしたのを、私は止めた。
「それ以上先に進むなら、私はあなたを殺さないといけない」
「ああ、分かってるさ」
私は「消滅の力」を彼に向けて放った。……しかし、それは彼の目の前で霧消する。
予想外の状況に、私は目を見開いた。同時に、佐藤が床を蹴って私に向かって来る。
「シュッ」
彼の体勢は低く、すぐにレスリングのタックルと判断した。私はカウンターの右膝を彼の顔面へと突き刺す。直撃したと思った直前、彼の姿が消えた。
同時に、左足に強い衝撃が走る。さらに体勢を低くして、膝のカウンターを外しつつ奥の左軸足を狙ったのかっ!!
「ぐおっ!?」
仰向けに倒れそうになったところを、無理矢理右脚を引いてこらえた。しかし、佐藤は巻き付くように左脚に手をからませる。テイクダウンから関節技に持って行くつもりなのだ。
「ちいっ!!!」
左脚を振り、力づくで振り払う。佐藤はそのまま後ろへ跳び、低い体勢のまま着地した。
「弱い者とばかり戦ってるから腕が鈍ったんじゃねえか、猪狩」
「……かもしれませんね」
私はそのまま構える。弱い者と戦い過ぎたということはないはずだが、魔法に頼った戦いをし過ぎたのかもしれない。佐藤の二段テイクダウンをまんまと食らいかけたのは、私の腕が鈍ったからでもあるのだろう。
べギルの目が「助太刀しましょうか」と言っている。私はごく僅かに首を横に振り、視線を佐藤へと移した。
「どういうつもりですか」
「製造者責任、というヤツだ。お前、これまで何人殺した?多分、10や20じゃきかねえよな。さっき後ろの若造に聞いたが、1000とかそれ以上というじゃねえか。
お前を怪物にしてしまったのは、俺の責任だ。だから、俺が責任を持って殺す」
佐藤は再びタックルに行く構えを見せる。私はバックステップで距離を取った。
「老いぼれ相手にビビってんじゃねえぞ猪狩ぃっ……!!」
「……」
私は間合いを取りながら違和感を覚えていた。どうしてタカマツは自分で来ない?
そもそも、私の「消失の力」は何故弾かれた?タカマツの能力なのか?
佐藤を殺すことそのものはその気になれば難しくはない。ただ、何かおかしい。まるで、時間稼ぎをされているような……
……時間稼ぎ??
その次の瞬間、穴の開いた向こうから大勢がやってくる気配がした。その先頭に立っている迷彩服の男は……
「手を上げろっ!!!」
サブマシンガンの銃口が私たちに一斉に向けられる。私は佐藤を見た。
「佐藤さん、初めからこのつもりで……」
「俺がお前に勝てるわけがねえだろ。やるのは、俺の最高の弟子だ」
先頭の迷彩服の男には見覚えがあった。滝川一臣……私と在籍時期は被っていなかったが、噂は何度も耳にしている。第一空挺団史上最高のレンジャーと称された男だ。アフリカ某国での邦人人質事件の際、人質を僅か数人の手で無傷で救出したらしいというのは傭兵の間でも語り草になった。まさかこんな所で出会うとは。
「動くな。日本語は通じるのだろう」
言葉が分からないであろうべギルに『言う通りにしろ』と告げた。私たちは無様にも両手を上げさせられている。
魔法はやはり何故か使えない。タカマツが「ニィ」と嗤った。何かされているのは疑いがない。
滝川は「そのまま手を後ろに組み、跪け」と告げた。このまま言う通りにしていたら、全てが水の泡だ。
ふうと呼吸を整える。……魔法が使えない?いや、よく探るとこれは違う。魔法を使うのに必要な魔素が、著しく薄くなっているだけだ。どういう手段を使ったのか知らないが、タカマツがやったのはそういう手段だ。
これに対抗するには……つまり、出力を上げればいい。
気を練り、一気に高める。余裕の笑みを浮かべていたタカマツの表情が、みるみるうちに変わった。
「まずいぞっ!!!」
バリッ!!!
私は「消失の力」を身に纏わせた。同時に「撃てっ!!!」という合図が下される。ダダダダダという音と共に無数の銃弾が私に襲い掛かった。
……が、それは決して私に届かない。銃弾は「消失の力」により「消されている」からだ。
滝川の表情が固まった。そして、その顔面に右ストレートを叩きこむ。軽い手応えと共に、滝川の存在は「消えた」。
私はべギルを見やって頷く。私の残り魔力はそう多くはないが、この連中を一掃するには十分だろう。
「……では、暴れさせてもらおうか」




