7-5
「間に合ったみたいだな」
俺は牢の中を見やる。女が2人倒れているが、ダメージはない。むしろ、外にいる男と少年が危ない。
「すぐにそこを出ろっ!」
叫ぶと同時に、金髪の女が体制を立て直したのが見えた。俺はすぐに「錬金術師の掌」を発動し、奴の立つ床をゼリー状のそれへと変える。
『小癪なっ!!』
叫びながら、奴は床の中へと埋まっていく。これで時間は稼げたはずだ。
俺は呆気に取られている佐藤をその場に残し、地下牢の中に入る。エルフの女と黒髪の女は、既に立ち上がっていた。
『ここは俺に任せろ。あんたらじゃ多分手に負えない』
『しかしっ……』
『いいから逃げろっ!!この場は俺が何とかするっ』
女2人は外にいた連中と共に一旦退避した。同時に、金髪の女が床から飛び出してきた。飛行魔法を使ったのか。
『おのれっ……縊り殺してくれるっ!!!』
不可視の「魔力の手」が猛烈な勢いで俺に向かって来るのが「見えた」。なるほど、確かにこいつは難物だ。「魔女」の話は噂には聞いていたが、これは確かに「怪物」と言って差し支えがない。
俺は咄嗟に足元をゴム状に変え、そのまま跳躍した。もちろん、このままでは天井に頭を打ち付けてしまうから、同時に天井もゼリーへと変えている。
『なっ!?』
下から叫び声が聞こえる。俺は1階の一室に着地した。その部屋にいた猫耳の少女をはじめとした数人が、唖然として俺を見ている。
『えっ、何で下から人がっ』
『ちょっとドンパチおっ始めるから、逃げた方がいいぜ』
開いた穴から、「魔女」が飛び出してこようとする。俺はそれを「錬金術師の掌」を使って塞いだ。勿論、素材はタングステン入りの超合金だ。『あがああっっ!!!』と、頭を打ち付けたらしい「魔女」が苦悶の悲鳴を上げた。
俺は地下牢と地上を繋ぐ階段へと向かった。さっきの4人と佐藤が、一緒になって駆けあがってくるのが見える。
「なっ……!?君は、一体」
オールバックの男が訊いてくる。俺は「説明は後だ」と言って、階段の方に向き直った。
「魔女」が額から血をだらだらと流しながら突進してくるのが見えた。俺は再び奴を地中に埋める。イタチごっこになるが、現状は仕方がない。遠距離戦では多分向こうに分がある。
にしても、この魔力は只事ではない。あのノアって子よりは明らかにある。この魔力の質は、かつて3年前に感じたことがある。——「神族」、ポーラ・ジョルディアのそれに近い。
とすると、こちらも全力を出さねばならない。腰に隠し持っていたナイフの柄に、俺は手をかけた。
『があっっっ!!!』
再び「魔女」が地上に現れた。俺はナイフを抜き、奴に向けて構える。
奴の背中から、触手のようなものが4本ほど見えた。俺は思わず唾を飲み込む。俺の後ろにいたエルフの女が呟いた。
『まさか……『死病』??』
憎悪に満ちた目で、「魔女」が俺を睨む。
『小僧っ……妾の170年の人生で、ここまで虚仮にされたのは……2回目じゃっ……!!!決して許さぬっっ!!!』
「そうかよ」
触手が俺の方に飛んでくる。その始動を見て、俺は奴の足元を軟弱な泥へと変えた。
『何度も何度も同じ手が通じると思うてかっ!!!』
跳躍する魔女に合わせて、俺も足元をゴムに変えて跳ぶ。当然、こちらの方が速い。
『なっ???』
奴の攻撃が僅かに遅れた。それを見計らい、俺はナイフ——「封魔の剣」を振るい触手を斬り落とす。「ジジジ」という何かが焦げるような音がした。
「ちったあ黙ってくれねえかな」
剣の切っ先を返し、それを奴の右手に向けて振るう。「ざくっ」と軽い感触と共に、その二の腕辺りが深めに斬られたのが分かった。
『がああっっっ!!!?』
叫ぶ「魔女」を蹴り、俺はそのまま地面へと落下する。地面をクッションに変えてしまえば、ダメージなく受け身を取るのは容易だ。
「魔女」はというと、空中に浮遊したまま身動きが取れなくなっている。やがて、力尽きたかのようにゆっくりと地上へと降りてきた。
『はあっ、はあっ……小僧っ……何をしたっ……』
「斬り口から魔力を漏出する剣であんたを斬った。どんなにあんたが大した魔力の持ち主だろうが、このまま行けば10分も経たずに死ぬぜ」
「封魔の剣」は通称だ。正式名称は「反魔力抑制デバイス」とか言うらしい。古代文明の遺物であるそれを小型化し、携帯しやすくしたのがこいつだ。
ほんの小さな傷でも、魔力を持つ人間にとっては致命傷となるという優れモノだ。魔力欠乏症になる暇すら与えず、魔力を傷口から流し切ってしまうらしい。
にしても、この女……既に「死病」に罹っていたのか。それにしては理性を保っている。これはまさか……
そして、もう一つ疑問がある。さっきからあの地下牢から感じている魔力の噴出。あれはどういうことなのだろう。恐らく「魔女」がやらかしたことだとは思うが、どうやったのかは見当もつかない。
「魔女」が膝から崩れ落ちる。『やったか!?』と叫ぶ兵士たちを制し、俺はゆっくりと奴に歩み寄る。
『きさ、まっ……!!!』
「ここであんたにトドメ刺しても一向に構わないんだがな。聞きたいことが腐るほどあるんだ。取引と行こうじゃねえか。
あんたのその傷治してやるよ。その代わり、あんたが知ってることを洗いざらいこちらに話せ。その上で俺らに協力してもらう」
『そんなことを妾がするとで……も……』
俺が「封魔の剣」をチラつかせると、「魔女」は押し黙った。顔には恐怖の色が見える。
「殺そうと思えばこっちはいつだってあんたを殺せる。死にたくはないだろ?」
がっくりと「魔女」が肩を落とした。後ろからさっきの4人がやってくる。
「すまねえな。今さっき、取引が成立した。俺がこいつを治す代わりに、一通りの情報提供をしてくれるらしい」
「……本当ですか」
少年が目を見開いた。こいつが噂に聞く市川って奴か。
俺は頷くと、右手を「魔女」の二の腕に当てる。俺が使っているのは基本的な治癒魔法だが、肉体の傷を塞げば魔力の漏出も止められる。これで、一応はこいつの命は取り留めているはずだ。
『この『魔女』……死病患者、それも第二段階ですよ!?今すぐ殺すべきでは』
エルフの女の言葉に、俺は首を横に振る。
「その必要はねえと思うぜ。理由の一つとしては、致命的な第三段階——毒素を撒き散らす形態になりそうになったら、俺が即座にこいつを殺せるからだ。
第二の理由は、こいつの病状だ。第二段階になったにもかかわらず、毒液を撒いてもいないし理性もかなり残っている。第二段階になりたてだからかもしれないが、直感的に多分違うな。恐らくこいつは……『慢性』だ」
『慢性?』
「そうだ。一応カルディアで死病研究はしててな。『急性』と『慢性』とあるのが分かった。魔力を十分に取り込めない状況下である程度順応した人間が『慢性死病』になる事例が稀にある。
勿論、いつ『急性化』するか分かったもんじゃないし危険な存在なのには変わりないんだけどな。一応、意思疎通はできる。それより分からねえのが、あの地下牢から出ている魔力だ」
俺は視線を「魔女」へと向けた。
「あんただな、あれを仕込んだのは」
『……そうじゃ。元の世界に戻れる可能性が見えた以上、そうするしかあるまいて』
「……元の世界??」
どういうことだ。ここから異世界に戻る手段はごく少ない。俺のように事前に莫大な魔力を充填した「帰還デバイス」を持つか、さもなければこっちで「帰還魔法」を発動するかだ。
ただ前者は古代文明の産物で数は極めて限られているし、後者は理屈の上ではできてもこの薄い魔素の中で魔法を使うことはほぼ不可能だ。どちらもこの女には不可能のはずだ。
「魔女」が『はっ』と嗤う。
『妾も驚いたわ。この場所が、まさか『通り道』とはの。妾はただごく小さいそれを『広げる』だけで良かった。それを以て元の世界に戻れると思ったのじゃがな』
「通り道……この世界と向こうを繋ぐ通路ってことか!?」
「嘘だろ」と後ろにいたオールバックの男がよろめく。その場にいた全員が呆気に取られていた。
『妾もすっかり忘れかけておった。ただ、あの柳田伊左衛門が言っていたことを思い起こしたのじゃ。あの者の出身は、武蔵国じゃった。まさかと思ってはおったがのお』
その時、俺はあることを思い出した。そうだ、確かにこの世界と向こうの世界を繋げる「通路」は実在する。
3年前、俺たちはそこを封鎖した。厳密に言えば、簡単には通れないようにしたのだ。だから、その存在をすっかりと忘れてしまっていたのだった。
ただ、座標的には多分合致するのだ。そうなると、この件は……想像以上に大事になるかもしれない。
この世界と異世界の地図を重ね合わせると、ある程度一致する部分がある。
そして、ここ秩父は「クレスポ」という山の辺りに相当する。
そこにあるのは……太古の時代に使われていたらしい、「異世界転移装置」だ。




