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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第6章「『御柱』ジュリ・オ・イルシア」
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6-11


国道140号を、僕らは一路西へと向かっていた。運転席でハンドルを握る郷原の汗は酷いことになっている。それは暑いからじゃない。理由は、後部座席にあった。


僕はチラリと後ろを振り返る。右側には、柳田少年が脂汗を流している。相当に消耗している様子が見て取れた。

その隣には「田園調布の魔女」——メリア・スプリンガルドが仏頂面で前を見ていた。そして、彼女の左隣には……緊迫した面持ちで彼女の左手首を握る、アムルがいる。


メリアの左手首を握るアムルの右手は、いわば僕たちにとっての命綱だ。もしアムルが右手を離したら、自由になったメリアはこの車を飛び出して一人でイルシアへと向かうだろう。そうなった時一体何が起きるのかは想像したくもなかった。


彼女を動ける状態にし、かつ連れ出したところまではいい。関内の一件を聞いた今、べルディアだけでなく「死病」患者に対する備えは必須だ。そのためにはメリア・スプリンガルドの力がどうしても要る。

ただ、彼女が僕たちの要求通りに動いてくれるかは全く分からない。彼女は僕たちを見下している。圧倒的な力を持つ彼女にとって、魔力を持たない僕たちなど取るに足らない虫けらのようなものなのだ。

彼女が僕らの言うことを一応は聞いてくれているのは、異世界に彼女を連れて行くという口約束があるからに他ならない。だが、その実現可能性がどれだけあるのか、そしてもしできたとしてもどのくらいの時間がかかるのかは僕には分からない。


そして、僕らが無理矢理彼女を押さえつけているのもまた確かだった。彼女は僕らの支配下に入るのを嫌った。だから、強硬手段を使わざるを得なかったのだ。イルシアに着いてから彼女をどうするのかという問題は、なお残っている。

アムルと目が合った。彼女は小さく頷く。まだ魔力に限界は来ていないらしい。僕は、イルシアに着くまでの残り1時間弱が無事に過ぎてくれることを願った。


夕焼けに染まる秩父の山々を見ながら、僕はつい2時間前のことを思い出していた。



「こんなにも早く、ここにまた来ることになるとはな」


僕は柳田邸を見上げて呟いた。ここを訪れた用件は2つだ。一つは、柳田に「ソルマリエ」の量産が可能になったと伝えることだ。やや高価ではあるが、市販の漢方薬に多少のビタミンなどを加えることであの丸薬はほぼ再現できる。

丸薬の作り方を知っている父親が急死し、柳田は相当人生の先行きに悲観していたようだった。この前に会った時、去り際に号泣していたのはそういうことであったのだろう。これは彼にとっては朗報になるはずだ。


問題はもう一つの用件だ。メリア・スプリンガルドを目覚めさせねばならない。関内での事件は、僕の耳にもすぐに届いた。

逃亡するペルジュードの連中は、恐らくそう遠くないうちに秩父へとやってくる。奴らを止めるには、彼女の力が必要になりそうだった。


伝え聞いたリーダーのべルディアなる男の戦闘力はやはり高いものだった。「死病」によって怪物と化した男を、1分もかけずに無傷で、しかも周囲に被害を及ぼすことなく沈黙させたらしい。

町田からの連絡によると、どうも「触れるだけでモノを消せる魔法」を使うとのことだ。そのことをアムルに告げると『この程度はまだ当たり前ですわ』と厳しい表情で答えが返ってきた。

何でもその「消失の魔法」をビームのようにして放つこともできるらしい。関内でもそのようなものを少し使っていたという。だとすれば、自衛隊でどうにかなるという甘い考えは捨てた方がいいように思えた。目には目を、歯には歯を。そして魔法には魔法を……となれば、「魔女」を起こすより他ない。


この考えは既に大河内議員には伝えた。ほとんどノータイムで「やってくれ」と返ってきた。できる手は何でも使う、そういうフェーズに入ってしまったらしい。

一応、高松という男がべルディアを説得できるかもしれない人間を秩父に連れてくることになっているという。それで済むならそれがベストだ。「魔女」なんてこのまま寝かせておいて、勝手に死んでくれるのが一番だと思っている。

だが、状況はハッキリ言ってかなり悪い。ノアは一命を取り留めたが今日はまず動けないらしいし、イルシア本国も一枚岩ではない。目先できることは、全てやっておかないといけない。


インターフォンを鳴らすと、柳田が玄関先に出てきた。心なしか、顔色が悪い。


「急に失礼する。君と、『魔女』に用事があって来た」


「……お入りください」


アムルが『まずいですわね』と僕に告げた。


「まずいとは?」


『あの子、魔力も生命力も枯渇しかかってますわ。多分、あの女が『吸い過ぎた』のだと』


「……何だって?」


僕は柳田の肩に手を当てた。……かなりの熱だ。噂に聞く魔力欠乏症の初期症状に似ている。

こっちの人間でも、魔力欠乏症とやらにかかるのだろうか?そしてそこから「死病」とやらに進行するなら……事態は相当に切迫している。


「柳田君、大丈夫か?」


「……今のところは。ただ明日は……」


「どうしてこうなった??あの魔女が、魔力を欲するペースが上がっているのか??」


コクリ、と弱々しく柳田が首を縦に振る。


「『早く戻らねば』……と。ボクを殺して、魔力を一気に補充するつもりなのかもしれません」


「そして復活したその足でイルシアに向かう……か。大まかな場所も分かってしまっている。やろうと思ってできなくはないか」


柳田を救うことは多分できる。問題はメリアだ。既にある程度動けるとなれば、僕らが行けば間違いなく事が起こる。

僕らがやろうとしていることは、彼女をイルシアに連行してペルジュードが来たらそこにぶつけるということだ。それは間違いなく彼女の本意に反する。多分、説得には応じないだろうし、あるいは彼女の性格上いきなり殺しにかかってくるかもしれない。


僕はアムルを見た。


「アムル、どう思う。僕には正攻法で何とかできる手段は思いつかない。魔法で何とかする手段はあるか?」


アムルは目をつぶって少し考えている。そして『これしかないと思いますわ』と僕を見た。

簡単に説明を受けた僕は驚きで目を見開いた。


「そんなことができるのか!?」


『一応。私も魔族の端くれですから。とはいえ、上手く行くかは分かりませんし、貴方にも相応の負担をかけることになりますわ』


確かにその通りだ。ただ、もう手段は選べない。賭けかもしれないが、やるしかないのだ。


「それでもいい。やろう」


僕は応急で作られた丸薬とほぼ同様の成分を持つドリンク剤を取り出し、一気に飲んだ。身体が熱を帯びたように熱くなる。

そして、そのままアムルに口づけした。何回かしているように、舌を絡ませながら唾液を彼女の喉に流し込む。激しい快感と共に強烈な虚脱感が襲って来る。限界ギリギリまでそれを行うと、アムルは少しうっとりとした様子で『御馳走様でした』と言った。


そして、彼女は柳田の方を向く。


『少し、我慢して頂けますか?』


「……な、何を……むぐっ!?」


アムルは今度は柳田にキスをした。触れるだけのものではない。さっき僕がやっていたような、ディープなものだ。

柳田は混乱したかのように手足を最初ばたつかせていたが、すぐにぐったりとなる。唇を離したと同時に、彼は恍惚とした様子でその場に崩れ落ちた。


「一体……あなたはボクに何をっ……」


少し息切れした様子でアムルが答える。


『私の魔力を分け与えましたわ。私が動けるギリギリまで。そして、それをあの女に注いでくださいまし』


「……えっ」


『いいから早く!時間と共に効力は薄れますわ、私の魔力は、誰かにあげるようにはできていませんの』


戸惑った様子で柳田が奥へと向かう。僕はそれを見送りながら、賭けが上手く行くことを願った。


「本当にいけるのか、これで」


僕は虚脱感に耐えながらアムルを見た。『五分五分ですわ』と答えが返ってくる。


『私たち魔族に伝わる秘術……『誘惑カイルペリア』は体液の交換で効果を発揮しますの。そして、発動すれば対象者の行動はある程度私の意のままに制限できますわ。

私は『誘惑』が発動するように私の魔力をあの子に託しましたわ。そして、それを注げば……あの魔女の行動すら、制限できるようになる』


「だが、上手く行くとは限らない」


『ええ。私が直接注ぐわけでもないですし、時間と共にその効果は大きく下がってしまいますわ。何より、『誘惑』に抗するだけの魔力があの女にあれば……そこで一巻の終わりですわ』


ゴクリ、と僕は唾を飲み込んだ。もし失敗したら、この消耗した状態でアムルは彼女と戦うことになるかもしれない。

逃げることは考えていなかった。多分、逃げたら気まぐれで人を殺しながらあの女はイルシアへと向かってしまうだろう。ここで奴を止めねばならないのだ。


数分の時間が過ぎた。ニイとアムルの口の端が上がる。


『来ましたわね』


そしてそのまま部屋へと入る。そこには、ベッドのそばで倒れている柳田と、上半身だけ起こしたまま憤怒の表情でこちらを見るメリア・スプリンガルドがいた。


『お主らっ……何をしたっ!!!』


『貴女のお望み通りにしただけですわよ。貴女の失われかけていた魔力は満たされ、動けるようになった。ただし、私の意のままに』


『ほざくなあっっっ!!!』


激しい声と共に、軽い衝撃波が僕らを襲う。しかし、立っていられないほどじゃない。


『私の『誘惑』に掛かっていながら抵抗できるとは……流石と申し上げておきますわ。でも、やはり全力の10分の1も出せない』


『貴様ら……妾に何をするつもりじゃっ!!!』


『だから貴女のお望みを叶えて差し上げようというのですわ。イルシアに来て、そして一緒に元の世界に帰る。そのお手伝いをさせていただきたく思いますの。

その代わり、それまでの間は私に行動を委ねて頂きます。それがこの『取引』の条件ですわ』


『小賢しいっ!!!そもそもそんな取引になど応じるつもりはっ』


『応じなければ結構ですわ。貴女の生殺与奪の権は、今私に握られている。そのことをご認識なされては如何?

貴女が黙ってくれさえすれば、魔力の供給も不自由なく行わせていただきますわ。それでよろしいのではなくて?』


僕は彼女の足元が微かに震えているのに気付いた。相当の量の魔力を注ぎ込んだからだろうか。

……いや、何となく分かる。これはハッタリが含まれている。彼女も一杯一杯なのだ。ここで強引に出てこられたら、多分僕らはこの魔女に殺される。ギリギリの状況なのだ。


僕も一歩前に出た。ここで説得しきらないといけない。


「魔力供給については、安定した方法が確立されました。イルシアに着いたならば、そのような措置を取らせてもらいます。もう、人から魔力を吸うことなどしなくてもよいのです。

それに、そこにいる彼を殺したならば貴女の寿命も限界が来るでしょう?貴女の今後のためにも、僕たちの誘いに乗るのが正解のはずです」


『つくづくあのうつけと似ている……実に小賢しい』


苦虫をかみつぶした顔で彼女は僕を睨む。だが、攻撃する気配はない。

柳田から魔力と生命力を吸っても、なお彼女の寿命はそう永くはないのだ。自分の命に固執し続けてきたこの女には、寿命をチラつかせることが一番効く。


そして、諦めたように奴は吐き捨てた。


『好きにするがいい』



そして、僕らは今こうして秩父へと向かっている。アムルは直接メリアに触れることで「誘惑」の効果を何とか維持していた。

「誘惑」は強力な魔法ではあるらしいが、メリアを押さえつけるにはこうしないといけないようだった。ただ、イルシアに着いたら別の手段で彼女を拘束しないといけない。そこはイルシアの連中に任せるより他なさそうだ。


秩父市に入り、イルシアまで残り10分ほどの所まで来た。ヘリコプターの音がうるさい。大府集落の一帯は緊急避難区域に指定されているし、自衛隊の封鎖も進んでいるはずだ。何かあったのだろうか?

それとほぼ同時にスマホが震えた。大河内議員からだ。


「もしもし」


「今どこにいる」


切迫した声だ。何かあったのだとすぐに察した。


「今秩父です、あと10分ほどでそちらに着くかと」


「そうか。そのままこっちに来てくれ、緊急事態だ」


「緊急事態?」



「イルシアを覆っていた結界が遂に切れた。少し離れたところからイルシア王宮が丸見えになった時間帯が30分ほどあったらしい。

今は復旧しているが、マスコミが騒ぎ始めている。急ぎ、対応策を練らないといけない」




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