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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第6章「『御柱』ジュリ・オ・イルシア」
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6-10


「分かりました。とりあえず、説得はこちらでやっときますんで。……ええ、失礼します」


スマホの通話を切り、俺は厨房の奥にいる佐藤を見やった。


「恐れてた事態が起き始めてるぜ」


返事はない。俺はすっかり冷めきった青椒肉絲を口に放り込み、青島ビールをグラスに注いだ。


ここ「老劉」に来て2時間強。店主の佐藤の口は、俺の想像を上回る堅さだった。



猪狩一輝の過去については、それなりにあっさりと調べられた。5年前に自衛隊第一空挺団を退団後、約1年間を木村会のボディガードとして過ごしたらしい。その後傭兵として海外に渡ってからの足取りは不明だが、ウクライナでのロシア戦争にいたことまでは見当がついている。

多分、そこで死んだ奴はメジアへと転生したのだろう。素性が分かれば、あの馬鹿げた戦闘能力も納得だ。場数こそ踏んでいるとはいえ、俺はちゃんとした戦闘訓練など受けていない。「恩寵」の能力以上に、基礎スペックが違い過ぎる。


とにかく、自衛隊と木村会を結びつける人物が池袋にいるのは明らかだった。春日さんの情報網から、あぶりだされたのがこの「老劉」という店だ。

店主の佐藤は、職を何らかの理由で失った警察官や自衛隊員に、セカンドキャリアを斡旋しているらしい。もちろん、裏の世界にもある程度通じている人物とのことだ。

「青椒肉絲ピーマン抜き」を注文すると、店主の佐藤との面談が始まる。そこで認められた人物には、然るべき再就職先を斡旋してくれるという。そうやって、佐藤を厨房から引っ張り出すところまでは行けた。


ただ、実際に猪狩の話を振ってみるとさっと厨房に引っ込んでしまった。かつて関わった案件については、それがたとえ自分にとっての利益になっても口を割らない。そんな昔気質の裏社会の人間がいるのに、俺は少し驚いた。

ヤクザなんて義理も人情もない人間ばかりなのだが、この男はそうではないらしい。仕方なくだらだらと昼飯を食べながら、俺は佐藤が折れるのを待っていたというわけだ。



スマホでツイッターを確認する。関内で起きた事件についてはまだそれほど話題になっていないが、病院の外来客が撮ったと思われる動画がアップされていた。「生成AIによるフェイク動画だろ」というコメントばかりが並んでいるが、俺はこれが本物だと直感した。

間違いなく、これは典型的な死病の第二段階まで進んだ患者だ。岩倉警視正からの情報によれば、この男はペルジュードの人間である可能性が極めて高いとのことだ。そして、べルディア自らが処し、どこかに消えたという。


警察は徹底した情報統制をおこなうだろう。幸い、死傷者がゼロなのでメディアはまだ食いついては来ないはずだ。ただ、この動画が本格的にバズると……いよいよ言い逃れはできなくなる。


俺は改めて佐藤に呼びかけた。


「佐藤さんよぉ、言ったよな?あんたのとこに来た猪狩一輝は、もはやあんたが知るそれじゃない。そして、あんたのとこに来た連中の一人が大量殺戮を犯そうとしたと、さっき俺の所に連絡が入った。

これはあんたの責任でもある。自分の仕事に誇りがあるなら、ちゃんとケツ拭かなきゃいけねえんじゃねえか」


「……」


なおも無言を貫いている。イラっとした俺は、厨房に向けて歩き始めた。その時、奴は和包丁をナイフのように投げつけた。包丁は俺のすぐ側を通り過ぎ、壁へと突き刺さる。


「勝手に厨房に入るな。次は当てる」


「どうぞ、やってみな」


何かの仕込みをしていたらしい佐藤は、今度は中華包丁を振るってきた。俺は「錬金術師の掌」を使い、鋼製の包丁を柔らかい粘土へと変える。

それは俺の目の前を通り過ぎ、グニョンと変形した。流石の佐藤も、これには驚いたらしく「何っ!?」と声をあげる。


「なるほど、皮一枚だけ切っておいて脅すつもりだったわけか。だが、それも無意味だぜ。それに、俺はあんたと喧嘩したり敵対したりしようとしてるわけじゃない。

猪狩一輝を止めるのに、あんたの力を借りたい。そう言ってるだけだ」


「何をしても俺は一切答えん。食うもの食ったらとっとと帰……」


「これでも黙っていられるか?」


俺はスマホを佐藤に突きつけた。そこには、ユーカリ総合病院で起きた一部始終が収められている。

時間にして僅か1分程度。だが、そこには現実離れした化け物たちによる戦闘が映し出されていた。


佐藤が絞り出すように言う。


「……作り物だろう」


「いや、本物だ。そしてこの怪物と戦っている人物。見覚えがないとは言わせねえ」


遠間から撮られたその人影ははっきりとは見えない。だが、猪狩一輝=べルディアなのは明らかだった。画面端にはノア・アルシエルも見える。岩倉警視正によれば、そのままユーカリ総合病院に緊急入院したらしい。


猪狩が右ストレートの一撃を食らわせると、怪物は光の粒となって消えた。そして脱兎のごとく逃げる奴の姿で動画は終わっている。


「これが今の『猪狩一輝』だ。大方ウクライナで整形手術を受けたとか言ったんだろうが、そんなの嘘もいいとこだ。

奴は一度死んで蘇り、人知を超えた力を手に入れた。それを今、あんたは目にしたというわけだ」


「何を出鱈目をっ」


佐藤の語気が強くなった。流石に動揺してきたか。


「出鱈目なんかじゃねえよ。間違いなく、こいつは真実だ。はっきり言ってやろうか。この猪狩一輝は、異世界からこっちに来た。あんたらのとこに来たと思われる連中も、異世界出身者だ。

そして、そのうちの一人がこうなった。ぶっちゃけ誰も死んだり怪我したりしなかったのは奇跡に近い。だが、このまま放置してたら間違いなくヤバいことになるぜ」


「……もう一度、今のを見せろ」


動画を再生すると、佐藤は息をついて宙を見上げた。


「……お前、何者だ」


「警察の使いのもんだ。んで、俺自身も猪狩と同じ世界から来てる。

俺自身は奴らと敵対してるわけじゃない。ただ、暴走は止めたい。そして、そのためにはあんたの力を借りたい」


「異世界というものは、本当に存在するのか」


「まあ、信じるかどうかはあんた次第だが……昨日、秩父に新型感染症発生のニュースが出てただろ。そこに、異世界の一部が転移してる。

感染症の話自体は全くの嘘じゃないが、それは主な話じゃない。異世界というものが存在するという事実、そしてその一部が秩父にあるというのが事実だ。

そして、猪狩はそこを狙っている。奴を止めないと、被害はこんなもんじゃなくなるぜ」


佐藤は「もう一度」と動画を確認すると、もう一度溜め息をついた。


「……俺は、どうしたらいい」


「猪狩は逃亡中だ。多分、流石に秩父に向かってくるだろう。公共交通手段を使って来るほど間抜けじゃねえだろうから、恐らくはタクシーで来る。目立たないよう、乗り継いでな。

どのルートで来るのかは判然としねえが、確実なことが一つだけある。今からなら俺たちの方が先に秩父に入れる」


「同行しろってのか」


「そういうことだな」


西部線の特急なら、秩父に着くまでの所要時間は1時間強だ。タクシーを使った場合、横浜からだとどんなに早くても2時間以上はかかる。乗り継ぐならなおのことだ。

もちろん、猪狩が見つかるのを上等で電車を使った場合、横浜から飯能までは(本数は少ないものの)1本で行けなくもない。ただ、面が割れてしまった奴がやるには、あまりにリスキーな行動だ。


佐藤は数秒黙り込み、「分かった」と返した。


飛蘭フェイラン、ちょっとすまねえが今日は店閉めるぞ」


フェイランと呼ばれた店員の中年女性が「真的?」と訝し気な表情を浮かべる。佐藤は「すまねえな」と軽く頭を下げた。


「多分明日には帰ってくる。それまでは、好きにしていいぞ」


「無理はしナいデ。待ってル」


佐藤は彼女をそっと抱き寄せ、額にキスをした。そして、俺の方を振り返る。


「10分だけ待ってくれ。支度する」



特急「イエローアロー」は30分間隔だ。池袋駅に着いてから、大体の場合待ち時間が生じる。

その間も警察庁から与えられたスマホは絶えず通知を送り続けていた。戦闘後倒れたノアが息を吹き返したこと、ペルジュードの一員の「プレシア」なる女を確保したこと。そして、これからプレシアへの事情聴取が始まるらしいことも入ってきた。


悪い状況ではない。猪狩たちには逃げられたが、ひとまず先回りして秩父には入れる。

そして、向こうには余力がない。俺の記憶が正しければ、残りは猪狩含めた3人。打てる手は限られているはずだ。


「待たせたな」


缶コーヒーを買いに自販機に行っていた佐藤が戻ってきた。ホームにはまだ電車が来ていない。後10分ほど、といったところか。


その時、スマホが再び鳴った。送り主は……大河内尊?

俺は会ったことはないが、イルシア問題では中核にいる人物の一人らしい。衆議院議員で、民自党副幹事長というまあまあなポジションにいる人間とのことだ。


そのメッセージを開くと、「綿貫議員がこれから秩父へと向かう」とあった。綿貫というのは町田の友人で、これも議員をやっているらしい。彼も相当深くこの一件に携わっているとのことだった。

引っかかったのは、その次に続く一文だ。「『魔女』も同行する」とある。……「魔女」?そんな存在は聞かされていない。


組織のトップの岩倉警視正は「了解」と短く返した。どうも、彼はそいつが何者か知っているらしい。

気になってスマホを手に取り、彼にかける。すぐに岩倉警視正は出てきた。


「もしもし」


「高松です。今のメッセージは何ですか?俺は聞かされてないですよ」


「……猪狩に対する抑止力だよ。君にも説明しておくべきだった。この世界に、前からいる『異世界人』だ。詳しくは言えないが、日本にとっては最重要人物の1人でもある。

ずっと寝たきりだったんだが、綿貫君が回復させたらしい。彼女を猪狩に当てようと思っている」


「……はぁ!??」


「佐藤氏の説得に成功したのは感謝している。基本的には君が優先だ。だが、万が一ということもある。そのために持てる手札は多い方がいい」


嫌な予感がした。転生してこの方、この手の勘はやけに鋭くなっている。


「マズい奴なんですか、その『魔女』ってのは」


「……彼女には彼女の要求があるらしい。綿貫君はそれを飲んだ。飲まざるを得なかった、という方が正しい。

とにかく気分屋だとは聞いてる。かち合うことがあったら、無理せず引いてくれ。彼女もまた『怪物』なのだ」


「……毒を以て毒を制す、ですか」


「君も知っているだろう?『死病』とやらが、あのような怪物を生み出すなら……ペルジュードのこれ以上の暴走は看過できない。ユーカリ総合病院の時のように死傷者ゼロ、なんて都合のいい結果は考えない方がいい。

イルシア側の支援もあまり期待できない。まだ意思統一が完全じゃないし、頼りになるはずのノア君は一命をとりとめたとはいえ入院中だ。こちらも手段は選べないのだよ」


岩倉警視正の声は重く沈んでいる。比較的温厚な印象があった彼がこんな話し方をするというのは、余程のことだ。


黄色く塗装された列車が入ってきた。これが特急ということらしい。


「とりあえず、電車が来ました。秩父に着いたら、どうすれば」


「君たちの方が早く着くはずだ。ひとまず、秩父グランドホテルにいる大河内君を訪ねてくれ。差配は彼がやってくれるはずだ」


「……分かりました」


通話が切れた。どうも、マズい予感は現実のものになろうとしているらしい。


大規模戦闘が起きた場合、横浜のように「死病」が発症するリスクは相当にある。それを回避しつつ、猪狩たちを止める?そんな都合のいい結果は望めないと、俺は経験から知っていた。


となると……全てを丸く収めつつ猪狩たちを止めるには、この男しかいない。


「……特急が来たな」


佐藤は小さく頷く。俺たちの長い2日間が、始まろうとしていた。



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