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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第6章「『御柱』ジュリ・オ・イルシア」
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6-9


べルディアが右拳を叩きこむと、蟲と人との合いの子のような怪物は白い光を放ち、そのまま消えていった。俺はそれをただ茫然と見ていた。


バタリ


ノアがその場に崩れ落ちる。あの怪物の動きを止めていたのはノアだ。多分、相当強力な魔法を使ったのだ。そして、その反動が一気に出てしまったと悟った。


「ノアッ!!!」


駆け寄ると触ってすぐに分かるほどのとんでもない高熱だ。


「誰かっ!!!誰か医者をっっ!!!」


彼女の小さい身体を抱きかかえ、精一杯の声で叫ぶ。べルディアが信じがたい勢いで外に飛び出したのが見えたが、俺はそれを追うどころじゃなかった。

「逃がすなっっ!!!」という五島警視の声が聞こえると共に、どこからか数人飛び出したのが見えた。あいつは警察に任せるしかない。


「どうかしましたかっ」と女医が駆けつけてきた。俺はパニックになりそうなのを必死でこらえる。大きく深呼吸をして、できるだけゆっくりと言葉を発した。


「高熱で気を失っています。すぐに措置が必要です、対応策はある程度分かっています。俺……私の指示通りにしてくださいっ」


「えっ」


「中心静脈栄養です、栄養剤に加え強めの抗生物質と解熱剤を即座に投与してください!!そうしないと取り返しがつかないことになるっ!!!」


唖然とする女医の後ろから、眼鏡をかけた30ぐらいの医者が現れた。


「あの女性に近い症状なのか」


俺はそれが「プレシア」なる女性だと直感し、頷いた。


「恐らくはっ。こちらは正しい措置を知ってます、今すぐにカテーテルをっ」


「正しい措置??」


「いいから早くしろっ!!!また、あんな怪物が現れていいのかっ!!!?」


気が付けば語気が荒くなってしまっている。目には涙が流れていた。医者は気圧されたように頷く。


「……分かりました。南川君、ストレッチャーをすぐに。カテーテル挿入術のため処置室を使う、すぐに手配を」


「かしこまりましたっ」


すぐにストレッチャーがやって来てノアがその上に乗せられる。息は荒く、一刻一秒を争う事態なのが俺にでも分かった。


「ノアっ、しっかりしろっ!!!」


「ここから先は私たちに任せてください。心配なのは分かりますが、そちらで待機をっ」


俺は処置室に運ばれていくノアをただ見送るしかなかった。「くそおっ!!!」と壁を叩く。

こんなにも自分は無力なのか。何かに当たっても仕方ないのは分かっているが、このやり場のない怒りを何かにぶつけないと壊れてしまいそうだった。



「うおおっっっ……!!!」



嗚咽と共にその場に崩れ落ちた。人生で今が、間違いなく最悪の瞬間だった。



俺の背中をポンと叩く感触で我に返った。振り向くと、五島警視がいる。こちらの表情にも、虚しさが見えた。


「五島さんっ……」


「……泣きたいのは分かる。だが、現実を見ながら先に進まなきゃだな。僕も、君も」


「……べルディアは」


五島警視は目をつぶり、ゆっくりと首を横に振った。


「どこかに消えたよ。空を飛んだと思ったら、いつの間にか見えなくなった。……あれが『魔法』というやつなのかね。

そう遠くには行っていないとは思うから、神奈川県警に協力を貰ってこれからローラー作戦だ。もっとも、あまり期待はできないな。奇跡的に来院者に死傷者ゼロなのが不幸中の幸いってとこか」


「そうですか……しかし、これでは」


「……ああ。作戦は大失敗だ。あんな怪物がいきなり現れるだなんて聞いてないしな。見たところ、べルディアという男にとっても想定外だったようだが。

正直、僕らの命は彼に救われた。追っていた犯罪者に助けられるなど、警察人生20年で最悪の屈辱だよ」


「あの怪物は……多分『死病』という病気の患者です。少し話したかもしれませんが、魔力欠乏症から発展する病気で……あれが『第二段階』かと」


悪夢を振り払うかのように、五島警視が強く首を振る。


「洒落になってないな。あんなものだとは思いもしなかった。それに……その『死病』とやらは伝染性なんだろう?僕たちも危ないんじゃないのか」


「……高松の言うことを信じるならば、多分大丈夫です。第二段階は体液を撒き散らすと聞いていましたが、なり立てだったアレはそうでもなかった」


「そうか……しかし、根本的にペルジュード対策も練り直しだね……ついでに言えば、イルシアの立場もかなり悪くなるかもしれないな。

今回の事件を、間違いなく上は問題視する。死傷者が出なかったのは、ぶっちゃけべルディアとノア君のおかげと、何より運だ。一つ間違えてたら、死者は100じゃきかなかった」


「……わかって、ます」


俯く俺に「自分を責めなくてもいい」と五島警視は微笑んだ。


「こんなことは誰も予想できなかった。べルディアさえだ。次、同じ過ちを繰り返さなければいい。岩倉さんならその辺りは分かってくれるはずだ。

それに、万事が万事悪いことばかりじゃない。収穫もあった」


「……収穫」


「人質を取れたことだよ」



ICUの一室に、彼女は寝かされていた。意識はノア同様にないが、呼吸は落ち着いている。点滴が何本も吊り下げられていることからして、恐らくノア同様に中心静脈栄養に解熱剤など諸々カクテルしたものが投入されているのだろう。

ガラスの向こうにいるボブカットの茶髪の女性は、随分と若く見えた。高校生ぐらいと言っても通りそうではある。


「何者なんですか、彼女は」


さっきの眼鏡の医者が後ろから声をかけてきた。顔面は蒼白になっている。


「説明するととても長くなります。むしろ、何故あなたたちは彼女を匿ったのです」


「一宮春馬」と名札を付けたその医者は、五島警視の言葉に視線を落とした。


「……ある人物から強く頼まれたのです。彼女を救ってやってくれと。その必死さに、こちらも答えざるを得なかった。

普通の人間でないのはすぐに分かりました。ほんの少しですが、彼女とは話をしました。喋っている言葉は全く知らない言語なのに、何故か意味が脳内に伝わってきたのです」


「彼女が犯罪に絡んでいるとは思わなかったのですか」


「頭によぎらなかったと言えば嘘になります。ただ、彼女を託した人物は……」


「猪狩一輝、そうでしょう」


「えっ」と一宮医師が固まった。五島警視が微笑む。


「こちらもある程度分かっていて言っています。そこにいる彼も、今回の件の関係者です。警察ではありませんが」


「……そうなんですか」


俺は小さく頷く。


「さっきはありがとうございます。ノアは……さっきの女性は、どうなんですか」


「……非常に危険な状況、とだけ言っておきます。体温は41度、バイタルもかなり厳しい。それでも、点滴を打ち始めて極ゆっくりとですが改善には向かっています。後は、彼女の体力次第かと」


「……そうですか」


やはり、厳しいことは間違いないらしい。そして、ノアの病状の本当の正体を一宮医師は知らない。「死病」がそのうちに発症してしまうリスクは、まだ全然残っている。「ゆっくりと改善」では、多分ダメなのだ。


唇を噛む俺に代わり、五島警視が一宮医師に訊く。


「こっちの子はどうなんです」


「実の所、ついさっき劇的に改善したんですが……あの怪物が消えてから半狂乱になったので、鎮静剤を打って強制的に寝かしつけている所です。

それにしても、彼女は一体……僕らは、犯人秘匿で罪に問われてしまうのでしょうか」


「いや、その心配はないでしょう。あなたはただ言われたことをしただけに過ぎないし、彼らが何をしでかしたかも知らない。犯罪の構成要件を満たしていないから、そこはご心配なく。

それに、真実はあなたが考えるより遥かに奇々怪々だ。そのうち知ることになるかもしれませんが、今はまだ伏せておきましょう。

その代わり、一つ頼みが。彼女の警護は、我々警察に任せて頂きたい。神奈川県警ではなく、警察庁が直接管理させて頂きます」


「……まさか、彼女を奪還しにあの怪物はここへ??」


「結論から言えばYESです。ただ、再び彼らがここに来る可能性は多分ない。彼らにはより優先すべきものがありますからね。

僕たちにとっての彼女は情報源兼人質です。そのためには、僕たちががっちりとこの一角を管理しておいた方がいいということですね」


一宮医師はゴクンと唾を飲み込み絶句した。五島警視が「では行こうか」と俺を促す。



その時、妙な胸騒ぎがした。もしここでここを去ったら……きっと俺はそのことを後悔するのではないか。



俺は五島警視を見る。


「五島さん、一つ……お願いが」


「何だい」


「戻る前に、ノアへの面会をさせてくれませんか。容態を確認したいんです」


五島警視の眠そうな目が少し見開かれた。


「……分かった。一宮先生も、よろしいですか」


「え、ええ。ただ重篤な患者ですから、長時間は……」


俺は視線を一宮医師に移す。


「すみません、それなんですけど……彼女のすぐそばに、行かせてはくれませんか」


「えっ……いや、それはダメですよ。あなたにとって彼女が恋人なのか何なのかは分かりませんけど……危篤状態にある患者なんですよ!?ガラス越しでの対面ならともかく」


「……お願いします。確実に、救える手段があるんです」


「……は?」


「条件は、人払いをしてもらうことです。それだけでいい。時間も1分、いや30秒も必要ない。事態は一刻を争うんです、お願いします」


「いや、どんなに頭を下げられてもね……」と渋る一宮医師の肩を、五島警視がポンと叩く。


「言う通りにしてやってくれませんかね。この件については、あなたたち医者よりも彼の方が詳しい。それでもし何かあれば、僕が責任を取ります」


「……警察が?」


「ええ。僕らにとっても、彼らは重要なんです。あるいは、この日本にとっても」


「は、はあ」


釈然としない様子の一宮医師だが、渋々求めに応じることになった。部屋のカードキーを渡され「1分だけですよ」と念を押される。俺は小さく首を縦に振った。


ガラス板の内部に入ると、薬液の臭いがツンと鼻を突いた。ノアはプレシアよりもさらに多くの点滴を打たれている。

鎖骨の辺りにカテーテルがあるらしいことも分かった。これならば、これから俺がやろうとしていることに支障はない。


急なことだったからか、彼女の服はそのままだ。多分、然るべきタイミングで着替えさせられることになるのだろう。

この点も俺にとって好都合だった。というより、このチャンスを逃せばこれから俺が取ろうとしている手段は永久に失われていたかもしれない。まだ、運は俺とノアを見放してはいないようだ。


俺は目をつぶり、覚悟を決める。ノアにとって、これから俺がやろうとしていることは不本意極まりないだろう。そして、俺にも少なからずリスクはある。

だが、もう選択肢はない。このまま放っておいても、治る見込みがどれほどあるかは怪しい。そして「死病」が発症し、彼女があの醜悪な怪物のようになるのは絶対に見たくはなかった。



俺にできる唯一の手段、それは「魔紋」を全て見ることで俺とノアの命を繋げることだ。



ノアのズボンの辺りに手をかける。傍から見たら破廉恥極まりない行為だろう。だが、彼女を救うためには必要なことだと言い聞かせ俺はそれを引き下ろした。

へその辺りには、薄っすらと文様が見える。その文様を全て見えるように、俺はノアのショーツをずらした。



複雑なデザインの刺青のようなものが、彼女の陰部からへそ辺りにかけて彫られていた。これが「魔紋」……



その次の瞬間、ICUの部屋を覆わんばかりの光がノアから発せられた。

同時に、俺は強烈な虚脱感に襲われ……その場に崩れ落ちたのだった。



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