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ド田舎無職の俺の近所に異世界の国が引っ越してきた件  作者: 藤原湖南
第6章「『御柱』ジュリ・オ・イルシア」
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6-7


「やあ」


関内駅の改札に着くと、とても緊迫した状況下にあるとは思えない軽いノリで五島警視が手を挙げた。服はTシャツに破れたジーンズ、ぼさぼさ頭に無精髭ととても公安警察の幹部には見えない。そこいらの繁華街にいる、どうしようもない中年親父の風体だ。

だが、ここまでしないと警察の臭いを消せないのだろう。あるいは、そういう一種の擬態能力の持ち主が公安警察というものなのかもしれない。どうも小説やドラマで見るような公安と現実は随分違うようだ。


「待たせましたか」


「いや、僕も今さっき着いたところだよ。……ノアちゃんの調子がおかしいねぇ」


流石警察のエリートというべきなのか、すぐにノアの不調に気付いた。そして、子供扱いされるのを心底嫌がるノアが五島警視の言葉に反応しない。代わりに出てきたのは『大丈夫、です』という言葉だ。


『あたしがいなければ、できないことです。少し調子が悪いぐらい、どうってことは』


「いやあ、ちょっと心配だねぇ……戸籍も保険証もないから病院で診てもらうわけにもいかないが。まさか、噂に聞く魔力欠乏症とか『死病』ではあるまいね」


『それはない、と思います。多分』


五島警視の目が俺に向いた。ノアの体温は微熱程度だ。ただ、ドリンク剤を飲ませてもなお症状はそこまで改善していない。横ばいと言った程度か。


「聞いている魔力欠乏症の初期症状とは少し違うようです。ただ、俺も今日は無理できないと思ってます」


「同感だ。みなとみらいに警察病院があるから、終わったらそこに行くといい。僕から話は通しておく。特例で診察を受けられるはずだ」


「ありがとうございます。何かあったら、すぐにそっちに」


五島警視は頷くと、関内駅北口から左の方角に向かった。すぐにホテルのような10数階建ての建物が見える。


「あれが『ユーカリ総合病院』だね。元は本当にホテルだったらしいよ」


「あそこの10階に、何者かが入院しているということですか」


「ああ。もっともそのフロアは普通にICUだし、面会も限られた人間しかできない。受付を通して許可をもらって、なおかつスタッフの制止を振り切ってその部屋に向かうのは僕らでも不可能だ。ノアちゃん、どのぐらいまで近づけば魔力とやらを感知できる?」


ノアは少し考えて『20メドあれば間違いないと思います』と答えた。「メド」というのはほぼこちらの1メートルに近いらしい。単位がほぼ同じなのは奇妙な気もしたが、今はそんなことは問題ではない。


五島警視は「ふむ」と唸って切り出す。


「それは半径ということだね。横だけでなく、縦も」


『え、ええ……あっ』


ノアも気付いたようだ。なるほど、考えたな。


「こういうことですか。病室と同じフロアではなく、『病室の真下』からなら魔力を感知できると」


「その通り。つまり、4階なら全く問題ないってわけだ。あそこは一般外来だからね。件の人物がいるのは10階奥の部屋らしいから、普通に立ち入れば多分問題はない。

そこで上にいる人間に魔力を感じたならビンゴだ。上にいるのはペルジュード関連の人物である可能性が極めて高い。後は僕たちに任せてくれればいい。小橋ジムを締め上げて、その人物を引き渡してもらう」


「逆に言えば、ペルジュードの連中がその人物を迎えに来る可能性も……」


「勿論、その通りだ。誰がペルジュードなのかは分からないが、10階の人物に動きがあれば即座に包囲網を展開するつもりだよ。その場合は君たちに協力をお願いすることになるだろうね」


「ユーカリ総合病院」に入ると、来院者はかなりの人数だ。もしペルジュードがここに来たら大変なことになりかねない。「連中が来る前に身柄を押さえるのが最善だね」と五島警視は苦笑する。彼もそのことは重々承知の上のようだ。

予定通り4階へと向かう。最奥の部屋に向かうと、ノアの表情が険しいものに変わった。


『やっぱり、いるわ』


「これで、確定ってことか。ただ、向こうもノアのことに気付いているんじゃないのか?」


『どうだろ……ゴイル様のように感知に特化した人ならともかく、一般的な魔術師だと20メドまで感知できるのはそう多くはないと思う。

油断は禁物だけど、仮にあたしがここに来たことを知っても対応はできないんじゃないかしら。もうケイサツは配備されているんでしょ?』


「その通りだね」と五島警視が頷く。つまり、最悪でも迎撃はできるということか。


「用は済んだから一旦戻ろうか。君たちはゆっくり休んでくれ、特にノアちゃんは。警察病院に行けば、それなりの治療はしてくれるはずだ。幸い、綿貫議員からの情報で魔力とやらの補給手段はある程度見えて……」


その瞬間、ノアの顔色がさっと青く変わった。



『嘘っ……そんな、馬鹿なっ……!!!』



只事ならぬ様子に、俺たちの緊張感も一気に高まる。


「何かあったのか!?」


『来てるの……大きい魔力が、2つ……!!!多分、もうすぐこの病院に入るっ!!!』


「は!!?」


ノアは走り出し、エスカレーターを駆け下りる。俺たちもそれに付いていった。吹き抜けの先には、病院の入口が見える。

そこに2人の男が現れた。1人はやや高めの身長で目の細い男、もう1人は俺と同じぐらいの背で鋭い目つきの短髪の男だ。どちらもパッと見はヨーロッパのどこかの人種に見える。


そして、俺たちがエスカレーターを駆け下り切った時に目線が合った。ノアは立ち止まり、汗をダラダラと流している。

短髪の男が何かを告げると、俺たちを無視してエレベーターの方へと向かっていった。ノアが声を振り絞るようにして叫ぶ。


『待ちなさいっ!!』


短髪の男が立ち止まり、こちらを向いた。その距離は5m程度しかない。


『ノア・アルシエルだな』


メジア語で、低く男が言った。俺たちにも理解できるように「念話」を使っているのがすぐに分かった。


「まさか……こいつが」


短髪の男の目線がこちらへと向く。


『君が彼女たちを匿っている人間か。悪いことは言わない、深入りはよせ』


その声には言いようのない威圧感があった。恐らく……いや、間違いない。この男こそペルジュードの首魁、ムルディオス・べルディアだ。


五島警視がスマホに手を伸ばそうとした瞬間、『警察なら呼ばない方がいい』とべルディアが告げる。


『無駄な殺しはしたくない。私たちは、同朋を連れに来ただけだ』


「……10階にいる患者かい」


『そうだ。彼女を引き取ったら、ここを出ていくつもりだ。心配しなくても、一般人に危害を与えることはない』


「すぐに僕たちが君を追うぞ」


『むざむざ追跡を許すほど私たちは阿呆ではない。それに、深追いすれば貴方たちは死ぬことになる。それも、大勢だ』


ゴクリ、と五島警視が唾を飲み込んだ。俺にも分かる。こいつの言葉は、ハッタリではない。


異変を感じたのか、外来患者たちが騒ぎ始めた。ノアは固まったまま動けない。ここで攻撃などしようものなら巻き添えが出るし、何より勝ち目がないと悟っているのだ。


『では、失礼』


べルディアがエレベーターに向けて足を進める。……が、後ろの背の高い男は一歩も動かない。全身から汗が噴き出している。


『ラヴァリ?』


振り返ったべルディアの表情が、一瞬にして変わった。



「ギ、ギィィィ……」



気持ちの悪い虫のような声を男が出す。ノアも顔面蒼白になった。



『逃げてっっっ!!!』



その声と同時に、男の顔が奇妙に歪み、背中が異常に膨れ上がる。そして、トンボの翅のようなものがついた手が服を突き破った。



『プ、プれしア……』



人の名前のようなものを呟きながら一歩前に出る。べルディアが男に攻撃を仕掛けようとしたその刹那、今度は腰の辺りから虫の脚のようなものが槍のように突き出された。

それに辛うじて反応したべルディアは急ブレーキをかけ、その攻撃を後ろに飛びながら交わす。


『ラヴァリッッッ!!!?』


ラヴァリと呼ばれた男……いや男だった者は、ゆっくりと歩を進める。そして、その顔もどこか昆虫じみたものへと変わっていった。身体も少し膨れて大きくなっている。


『ジュア……アグ……シア……』


怪物はうわ言のように何かを言っている。だが、俺にはそれが何か薄っすらと分かった。

ノアとは「念話」で話をしているが、彼女が話しているのはあくまでメジア語だ。毎日のようにメジア語を聞いていれば、勉強などせずとも意味の推測は付く。


奴は「行かなくちゃ」と言っている。


恐らく、10階の病室にいるプレシアなる人物の所にだろう。そしてその怪物は、吹き抜けを見上げた。まさか、そこまで飛ぼうとでもいうのか??


『させないっ!!!』


全身から汗を流しながら、ノアが印のようなものを両手で結んで怪物へとかざす。まるで金縛りにでも遭ったかのように、怪物の動きが止まった。


『助かるっ』


再びべルディアがガードを上げて構え、怪物へと向かおうとする。しかし、その口がパカっと開いたかと思うと、そこからレーザーのようなものが放たれた。べルディアは身を捻って避ける。


ジィィッッ


レーザーは壁に当たり、その周囲を溶かした。全身から汗が噴き出る。


「マジか……」


俺なんかより遥かに場数を踏んでいるはずの五島警視が凍り付いている。戦闘はおろか、喧嘩もろくにしたことがない俺にでも分かった。……こんなのが当たってしまったら、間違いなく死ぬ。


ノアの表情は険しく、もうすぐにでもその場に崩れ落ちてしまいそうだ。ただでさえ体調が悪いのに、無理して魔法を使っているのは明らかだった。

彼女を止めようとしたが、身体が動かない。恐怖だけじゃない。彼女がいなければ、恐らくこれから大勢の人たちが殺されるのが目に見えていたからだ。


そして、あの怪物と戦えるのは……目の前の短髪の男——べルディアしかいない。

俺たちの命は、皮肉にも俺たちが追っていた男に委ねられることになった。



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