6-5
「ここが噂のイルシアってとこかよ」
アロハシャツにサングラスという、これから国の重要な会談に臨むとは思えない服装で浅尾副総裁は呟いた。曰く「沖縄では夏の正装はこれなんだから、別に文句言われる筋合いはねえだろ。それに向こうの連中にこっちの正装なんてわかりゃしねえよ」らしい。
俺は普通に半袖のグレーのシャツを選んだ。山間とはいえ狂ったような暑さの中でスーツは着れない。そんな中でも長袖で警護しているSPに心より敬意をおぼえた。
『こちらです』
迎えに来た鎧姿の娘——シーステイアというらしいが――が緊張した面持ちで俺たち一行を案内する。道沿いには、俺たちを一目見ようと大勢の人が押しかけていた。
そのほとんどが軽装備とはいえ鎧を着けている。さっきまでゴイルと打ち合わせをしていたが、基本俺たちが接するイルシアの連中は文官ばかりだ。話には聞いていたが、ここまで兵士が多いとは思わなかった。
「大河内さん、彼らは魔法か何かでこの暑さをなんとかしているのでしょうか」
秩父市代表で同行している山下が言った。俺は肩をすくめる。
「さあ……ただ、だとするとこの暑さも彼らの魔力不足に影響を与えているのかもしれませんね。
そして、中心静脈栄養に対する反発が強いのも分かりました。戦うことが生業の兵士にとって、カテーテル挿入で行動を制限されるのは厳しすぎる」
連中をどう説得するか。それはかなり悩ましい所だった。金や利権では決して動かない相手は、これまで接してきた相手にもいた。もっとも、その大半が腐ったイデオロギーに執着する連中であり、そういった相手とはそもそも交渉などしなかった。
今回は違う。話は通じる。ただ、大府集落のジジババのように金で釣ることはできない。どういうリターンを提示すればいいのか、現状は見えていない。
浅尾副総裁の意見は「んなもん武力でねじ伏せるしかねえだろ」というものだ。確かにこちらには、殺すことなしに反発する連中を鎮圧する手段が豊富にある。非殺傷のゴム弾、テーザーガン、高圧縮放水といった具合だ。
ただ、向こうには「魔法」という未知の攻撃手段がある。それで抵抗された時に、こちらに死者がでないとは言えない。そして、死者が出た場合……それは一種の「内戦」を引き起こしかねない。それだけは絶対に避けないといけなかった。
王城の門の前に、3人の人影が見えた。ゴイルの隣には、女性にしてはやや背の高い金髪の少女がいた。複雑な刺繍が施された白い法衣を着ている。この子が「御柱」だというのか。随分と若いのに、少し驚いた。
しかし、それ以上に驚いたのはその隣にいる人間だ。直接話したことはあまりない。だが、顔は見たことがある。あれは確か……
「市川君!!?」
俺の代わりに山下が叫んだ。ペコリ、と市川が頭を下げる。
思わず山下を見た。イルシアとのパイプ役というのは彼のことだったのか。ただ、それにしては反応がおかしい。国との会見に同席するということは、彼女も想定していなかったのか。
怪訝そうに俺たちを見る浅尾副総裁をよそに、「御柱」が流暢な日本語で話し始めた。
「皆さん、ようこそイルシアへ参られました。心より歓迎いたします」
膝をつき、彼女は深々と頭を下げる。ゴイルや市川もそれに倣った。
「……随分と日本語がお上手ですな」
「ええ。この国に慣れるよう、必死で勉強しましたから」
怪訝そうな浅尾副総裁に、「御柱」がにこやかに答える。
「私が『御柱』ジュリ・オ・イルシアです。左隣にいるのが、我が国の宰相リシュリュイエ・ゴイルですわ」
一拍置いて彼女が口を開く。
「そして……私の右隣にいるのが、夫の市川朝人です」
「夫……!!!?」
その場にいる全員が絶句した。頭の整理が追いつかない。
確かに、市川なる人物が「御柱」と仲がいいらしいという話は綿貫を通して聞いていた。ただ、全てをすっ飛ばして婚姻関係を結んでいるというのはどういうことだ。
綿貫が黙っていたのかと一瞬勘ぐったが、どうもそうではないらしい。少なくとも、市川少年もゴイルも唖然として彼女を見ている。全く初耳だったようだ。
場数を幾つも踏んでいる浅尾副総裁も、流石に想定外であったらしく声が震えている。
「市川……ということは、その少年はこの日本の人間、ということかね」
「ええ。縁あって一緒になることになりましたの。そして、私の補佐もやってもらうことになりますわ。今回の会談にも同席させていただきます」
「……まだ子供にしか見えないがな。というより、貴女自身も……」
「国を導くのに年齢が必須でしょうか?」
「御柱」が静かに微笑んだ。有無を言わさぬ威圧感がある。これが「神」のオーラなのか、それとも話に聞く「認識改変」を使われているのか。とにかくこの少女は只者ではない。
「……それもそうだな。本題に入ろうか」
「ええ。ではこちらに」
俺たちは彼女に導かれて王城の中に入った。石造りの城の内装は存外にシンプルで、威勢を顕示する様なものではない。むしろ、神社仏閣ような荘厳さすら感じさせる。
その中の一室に俺たちは入る。長テーブルに椅子があるここが会議室のようだ。この暑い最中ではあるが、この部屋だけ妙に涼しい。エアコンなどないはずだから、これも魔法によるものか。
椅子に座ると「非公式の会談ってことで、サクサク進めさせてもらうぜ」と浅尾副総裁が切り出した。
「状況はそこのゴイルって宰相が大河内と綿貫経由で聞いてるはずだ。俺たちはあんたらイルシアの連中を外敵から守る。その代わり、あんたらは俺たち日本政府の言うことに従ってもらう」
「ええ。要求はあらかた聞いています。行動制限に加え、魔力欠乏症を防ぐための『かてーてる』なる器具の使用強制、有事の際はそちらの指揮下に入る……」
「それらは前提だな。その上で、以下の点を申し入れたい。医学的見地からの研究のため、そちらの数人の協力を頂きたい。んで、魔法についても極秘裏に研究をさせてくれねえか。一応、それっぽいことをやってる研究者もこっちにはいる。
そしてそれらが一通り済んで、そちらの許可がもらえれば……『異世界』にこちらの人間を派遣してえと考えてる。向こうの世界が無茶苦茶なことになってるのは百も承知だが、それこそが俺たちの最終目的だ」
要求が多い。いきなり全てのカードを曝け出して、呑めるものから呑ませていく考えか。いかにも強欲な浅尾副総裁らしいやり口だ。
ゴイルが不服そうに副総裁を睨む。
「それら全てを、ペルジュードから我々を守るという見返りだけで得ようという肚ですかな」
「そっちは難民の一種だ。基本的人権の保護やら何やらはある程度『難民保護法』に基づいてやらせてもらう。だが、難民が要求できる権利は限られてる。『郷に入れば郷に従え』じゃねえが、何かを要求できると思ったら大間違いだぜ」
「……ちょっといいですか」と市川が手を挙げる。浅尾副総裁が怪訝そうな顔になった。
「何だ」
「……魔力欠乏症対策のことです。カテーテルを通して薬液を点滴すると聞いてますが、それすら特効薬じゃないというのはご存知ですか」
「そんなこたぁ聞いてるよ。あくまで暫定的な措置だ。ただ、研究が進めばより効力のある薬も出てくる。魔力欠乏症から来る『死病』ってのがどんだけヤバいのか知らねえが、それで当面問題はねえだろ」
「……もっと効率のいい、安全な方法があるのはご存知ですか」
「……言ってみな」
コクン、と市川が頷く。
「魔力欠乏症対策には3つあります。点滴で『エリクシア』という魔力回復の霊薬に近い成分の薬液を投与することが1つ。これが今やろうとしていることです。
すぐに実行できますが効果が限定的な上に、カテーテルを挿入し数時間の点滴で安静にしなければならない。負担が大きいのです」
「んなこた知ってるよ。あと2つは何だ」
「2つ目は血液や体液を直接摂取することです。粘膜か傷口からでなければならないようですし、与えた方の人間には酷く負担がかかる。僕もそうやって、彼女に魔力を与えてきましたし、綿貫さんもそうしているはずです。
そして負担軽減のための薬はあると聞いてます。こちらなら、よりリスクは小さい」
そう、そこまでは俺も聞いている。「田園調布の魔女」に代々使える柳田家は、そうやってあの女に力を与え続けてきた。
ただ、あれにも限界がある。魔力とやらをどれだけ持っているのかは個人差がある。この市川という少年や綿貫はそれで良くても、このやり方が全てに通用するとは思えない。第一……
浅尾副総裁もそれに気付いたのか「はっ」と嘲笑を浮かべた。
「まるで吸血鬼かサキュバスだな。だが、それには穴がある。信頼関係だ。
進んで魔力とやらを差し出す奇特な人間ばかりだと思うか?そりゃお前さんはその娘の夫らしいし、多分惚れてるんだろ。綿貫も異世界人の女を最近連れ回しているって聞いてるし、似たようなもんだ。
だが、このイルシアにいる1000人近くにこっちの人間をあてがえだぁ?んな無茶なことはできるわけねぇだろっ!」
市川は想定通りと「でしょうね」と告げる。
「そして第3の手段……生命力と魔力を共有する手段があります。これには1カ月ぐらいの時間がかかりますが、一度共有してしまえばあとは自由です。負担はこの前の2つに比べて大幅に軽い。
ただ、共有ということは即ちどちらかの死がもう片方の死と直結してしまうことでもあります。これも万能の解決策とは言えない」
「なら何で俺にそれを知らせた」
市川の目が御柱のそれへと向いた。
「要は、3つの策を組み合わせることが大事だと言いたいのです。基本はあなたたちの言う通り、中心静脈栄養でいいと思います。ゴイルさんのような、高齢の人にはありな手段です。
ただ、それを良しとしない人たちも少なくない。だから、日本政府の管理下で人事交流をお願いしたいのです。その人たちに対して、第2、第3の手段を適用する。
幸い、僕が見る限りイルシアの人たちの平均年齢はそう高くない。家庭を持っている人も多くはないし、子供もほとんどいません。ここは軍事・行政の場であり、人が生活する場ではなかったので」
「イルシアは婚活集団なのか?んな馬鹿なことを……」
「浅尾副総裁、あなたは異世界に行きたいと思ってませんか?そして、そこにある未知の国土、資源を日本で独占できたらと考えている」
ビクッ、と浅尾副総裁の身体が震えた。この小僧、どこでその話を聞いた?
綿貫辺りから話は聞いていてもおかしくはない。あいつも同じような発想だったはずだからだ。そして俺もそれは当然考えている。
ただ、それを交渉に持ち出すとは。それも最適なタイミングで。
市川は話を続ける。
「もちろんそれは簡単なことじゃないです。僕はジュリたちが来た世界のことをほとんど知りません。が、少なくとも魔法が使えなければ話にもならない世界ではあるらしい。
それを、こちらの世界にいながらにして使えるとすれば?異世界に行くときはもちろん、この世界でも相当強力な武器になるはずです」
「……まさか、お前さん……魔法とやらを使ったのか?今?」
「本当にほんの少し、ですよ。そして、第2の方法より第3の方法の方がより強力です。世界が不安定化している中で軍拡が求められている今、これ以上金のかからない方法ってないと思うんですが」
俺は思わず「その手があったのか」と口にした。イルシアが安全保障上のアキレス腱になるという懸念は持っていたが、逆に武器にしてしまおうとは。
同時に、この発想は市川自身が考えたことではないなと直感した。ゴイルか?いや話した感じ違う。多分……隣の少女、「御柱」だ。何らかの方法で、市川に話を吹き込んだのだ。
そしてこの瞬間、日本政府とイルシアのパワーバランスは大きく変わった。イルシアはただ庇護されるための弱者ではなく、強力な武器を持った交渉者になった。恫喝で抑え付けることは、もはや現実的ではない。
浅尾副総裁は汗を流しながら、何とか作り笑いを浮かべた。
「……こちらが安易に人を差し出すとでも?」
「その見返りは、政府が手厚くすればいいのでは?」
「……そう来たかよ」
浅尾副総裁は天井を見上げてしばらく考えた後、「おい、尊」と私を呼んだ。
「何でしょうか」
「人選含め、対応策を立案しろ。次の会談までだ」
「次?」
浅尾副総裁は再び「御柱」たちの方を向いた。
「その提案、こっちで慎重に検討させてもらう。回答は、明後日。それでいいか」
「こちらとしてはいいですが」
明後日?大分準備期間が短い。それはどういう……
俺はハッとなった。ペルジュードの存在だ。もう、連中がここに来るのは時間の問題だろう。ならば、第2の方法を通して少しでも魔法が使える人員を増やしたいということなのか。
浅尾副総裁は「よし」と言って立ち上がった。
「俺としては、あんたらを敵には回したくない。ウィン・ウィンの関係を築きたいと考えてる。そっちも、国内の意思統一をしっかりやってくれ。でないと話にならねぇ」
「分かってます」
こうして、第1回の日本・イルシアのトップ会談は終わった。




