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「よお」
警察庁前には既に高松が待っていた。霞ヶ関に不似合いなそのラフな格好は、嫌でも人目を引くらしくチラチラと視線が彼に向かっているのが分かる。
「待ったか」
「いや、今来たところだ。というか警察庁と警視庁って違うんだな、初めて知ったぜ」
ノアは堅い表情で俯いている。今日はほぼずっとこんな感じだ。機嫌が悪いというのとも、悲しんでいるとのも違う。何か考え込んでいるような感じで、俺の言葉に対する反応もどこか上の空だ。
理由は勿論分かる。イルシアの存在を公表すると聞かされただけでなく、その直後にペルジュードの連中の行方不明まで告げられたのだ。頭が混乱しないわけがない。ここに向かうまでの車中も、ほぼずっと無言だった。それでも飯だけはしっかり食っていたが。
『ノア、大丈夫か?』
高松もノアの異変に気付いたらしく呼びかけるが、彼女は『ええ』と短く返すだけだ。高松が肩をすくめる。
「心ここにあらず、みたいな感じだな……町田、喧嘩でもしたのか?」
「いや。イルシアの存在を公表すると、大河内議員が――政府が決めたらしい。じきに、政府官邸で記者会見があると聞いてる。
そこに来てのペルジュードの逃走だ。俺も正直、結構参ってる」
「……公表しちまうのか??早くないか」
「どういう形にするかは聞いてないけどな。少なくとも、イルシア周辺を隔離することだけは発表するらしい。
理由はペルジュードの件と密接に関係があると思ってる。隔離を発表してしまえば、奴らにイルシアの場所を教えることにはなる。その代わり、もう迂闊に近寄れなくなる。奴らの行動を制限できるという意味で、その判断は理解できなくはない。
ただ、これからどう立ち回るかは難しくなった。特にノアたち、イルシア人にとっては」
ノアが『その通りよ』と返した。
『今回の決定は、あたしたちに許可なく行われた。勿論オオコウチたちの言ってる意味はよく分かってる。でも、ガラルドなんかはブチギレてるわ。
事情が分かってるあたしだって、怒りが収まってるわけじゃない。イルシアの皆を宥めるには、かなり上手くやらないと……』
そう。そこの妙案は全くない状態だった。不満を募らせたイルシアの連中が隔離を担当している自衛隊に攻撃を仕掛けるなんてことになったら、最悪もいい所だ。
何かしらのガス抜きの手段が要るのだが、俺もノアもそっちに回る余裕が全くない。綿貫も地元での議員活動があり、そんなにしょっちゅう秩父には来れない。別の誰かにイルシアのことは任せなければいけない状況だが、どうしたものだろうか。
そんなことを考えながら時計を見ると、そろそろ会議の予定時間になろうとしていた。受付を済ませ、エレベーターで指定された階へと向かう。職員に案内された部屋は、かなり大きめの会議室のようだった。
「失礼します」
一礼して入ると、既にメンバーは揃っているようだった。一番の上座には眼鏡をかけた強面の男がいる。その隣には岩倉警視正だ。
他には3人。40ぐらいの垂れ目の男にがっしりした体格の迷彩服の男。それに痩せた初老の男が座っている。
「町田君だな。それにノア君か。そこの彼が、話に聞いていた……」
「高松です。高松裕二。よろしく」
眼鏡の男がこちらに近寄り、順番に握手を交わす。
「私が警察庁長官、中谷潤一郎だ。こちらこそ、よろしく」
「よろしくお願いします」
「ありがとう。君たちの協力を心より歓迎する。知っての通り、事態は急を告げている。だから、少しだけ日程を前倒しして結団式とさせてもらった」
中谷長官が席に座っている面々を見やる。
「公安課の岩倉克実警視正は、町田君たちは既に知っているはずだ。その隣が、同じく公安課の五島警視。叩き上げのエースだ」
眠そうな目をした男がへらっと「よろしく」と頭を下げた。
「その迷彩服の彼が、自衛隊第一空挺団本部中隊の滝川一臣1尉。自衛隊最高の戦闘部隊の指揮官をしている」
迷彩服の男は「よろしくお願いします」と深々と一礼する。そして、中谷長官が最後の一人となった眼鏡の男に視線を向けると、彼は無言で立ち上がった。
「僕は東大大学院理学系研究科教授の世良だ。研究分野は放射性物質及びその運用。一応、医学博士も持っている」
「世良先生」
「どっちみち自己紹介するのだからいいだろう?それに、僕の関心は『魔法』にしかない。すぐにでもその娘と男を解剖……もとい、精密検査にかけたいぐらいだ」
「はあ」と中谷長官が溜め息をついた。どうやら控えめに言って一癖ある人物ではあるらしい。
こちら側の簡単な自己紹介の後、中谷長官は席についた。
「ここにいる5人に君たちを加えた8人がペルジュード対策本部のメンバーだ。実際のトップは岩倉君にやってもらうことになる。私は政府とのパイプ役だ」
「大河内議員が政府側の窓口ということですね」
「その通りだ。行政面でイルシアという国をどうしていくかは、そちらに委ねることになる。こちらがやるべきなのは、ペルジュードという一団の確保・無力化だ」
中谷長官の視線が五島警視に向けられる。
「実働部隊は五島君ら公安が担うことになる。既に動いてもらっているが、より警察として一体となって捜査に当たってもらう。
そして、仮に大規模戦闘になった場合は滝川君の出番だ。第一空挺団の力を存分に発揮してもらうことになる」
「大規模戦闘……」
「そのぐらいの想定をしておかねばならない、と岩倉君からは聞いている。君たちの認識も、それで間違ってはいないか?」
ノアが強く頷く。
『あたしが戦場で見たのは、ペルジュードのリーダーのムルディオス・べルディアです。たった一人で千人単位を相手にし、かつ殲滅できるほどの男です。
ここでは向こうほどの魔力を行使できないにせよ、もしその気になれば相当な被害が出ると思います』
「……千人単位??そんなことが、可能なのか??」
『それこそ魔法の力です。あの男は、触れたものを消し飛ばす『恩寵』と呼ばれる魔法を使います。それを光条として放つことだってできる。
戦闘技術そのものも抜群に高い。この国の軍隊を以てしても、排除はかなり難しいと思います』
「その通りだ」と高松が続いた。
「俺もやりあったが、足止めが精一杯だった。もし戦闘するなら、初手で粉々に吹き飛ばすぐらいじゃないと厳しいと思う」
「日本語が上手いな。君も『異世界』から来たんじゃないのか」
滝川一尉の質問に、高松が苦笑する。
「厳密には一回死んで向こうに転生したんだ。そこでべルディアとは一度だけ会ってる。間違いなく怪物だ。
魔法を使えなくすれば何とかなるとも思ったんだが、それでも普通に十数人の犠牲者が出た。結局、これ以上の被害が出る前に尻尾巻いて逃げた。こっちも腕には自信があったんだがな」
「怪物……確か、事前にべルディアという男が君と同じ『転生者』ではないかと聞いているが」
「ああ。そして奴は日本人だ。住菱会系の木村会とのコネクションがあるのも確定だ。そこは実際に会ったから、断言できる」
「……まさか、な」
滝川一尉が黙り込んだ。ノアが『誰か心当たりがあるんですか』と訊くと、彼は小さく頷いた。
「確信はない。ただ、魔法とやら抜きでも異常な強さだったという彼の発言を信じるのなら、候補はかなり絞られる。一人で十数人を同時に相手取って死に至らしめるなんて芸当は、まずできない」
部屋の空気が一気に変わった。滝川一尉は話を続ける。
「私たちは戦闘のプロだ。少なくとも戦場において、我が第一空挺団の右に出るものはいないと自負している。それこそ、アメリカのネイビーシールズやイギリスのSASより我々の方が上だと確信している。
そして、その中には時折『怪物』と呼ばれる存在が出てくる。抜きんでた戦闘能力を持った彼らの存在が世に出ることは、ほとんどない」
「君もその一人だろう」という中谷長官の言葉に、静かに彼は首を振った。
「私以上の戦闘能力を持っていたであろう人間を、私は知っています。そして、彼はその力を持て余し自衛隊を去った。風の噂では、ウクライナにおける対露戦争で死んだとも聞いていました。
ただ、あの男が『転生』したのなら……そのぐらいのことはできても何の不思議でもない」
「誰なんだ」
一呼吸置いて、滝川一尉が口を開く。
「猪狩一輝。現ボクシングフェザー級2団体統一王者にして『無双』猪狩瞬の兄です」




