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私が所属する総合調整課は、複数の課にまたがった案件でそれぞれの部署を繋ぐのが役割だ。例えば街の開発では住宅課や都市開発課、商業振興課の間に立ってそれぞれの意見を取りまとめるといった具合だ。よく言えば調整役、悪く言えば何でも屋という感じだ。
とはいっても埼玉の奥地にあるこの町では、そんな案件は多くはない。だから基本的にここに回されるのは、家庭なり自分の体調なりに問題を抱えた「訳あり」の職員ばかりだ。要は「閑職」というわけだ。
私もその一人だ。母の介護をしながらハードに働くのは不可能だ。だから、自ら志願してこの課にいる。もっとも周りは皆働かないから、必然的に私ばかり動くことになってしまうのだけれど。
ここに就職してからの私は浮いていた。学歴の上では、早稲田出身の私以上の人はこの部署にはいない。市役所全体でもほぼいないだろう。
だからといって一目置かれたりすることもなかった。むしろ「高学歴が偉そうに」という冷たい目で見られた。中年以上の上司からはセクハラまがいのこともされたけど、私が一切相手にしなかったためか無視するようになった。
結局、ここでの私は「言えば何でもやってくれるロボットのような女」になった。事務処理能力は高いけど、決して誰とも絡もうとはしないし、個人的な感情を表に出すこともない。そんな女だ。
私もこの仕事にやりがいを感じていたわけではなかったし、それでいいと思っていた。私と母が生きるのに必要な給与がもらえれば、それでよかった。
だけど、そんな何の変化もない、叱られることも褒められることもない日常はとうに終わりを告げていた。
「山下君」
出勤するなり、丸谷課長と話していた男が苛立った様子で振り返った。商業振興課の柴崎課長だ。頭が禿げあがっていてセクハラ気質の、割とどうしようもない人物だ。
「どういうつもりなんだ?『ファンタジーランド』の開発計画は、もう2年も前に凍結になったはずだ。それがどうして、開発計画地にトラックが連日来るようになってる??」
「……住民からの抗議ですか」
「当たり前だ!そんなもん許すような連中じゃない!そして西部開発に訊いてみたら、開発計画など再開してないというじゃないか!?
連中は口を割らなかったが、あそこへのライフライン復旧だけを要請したと言っている。そして、それを受けたのが山下君、君だというじゃないか?ああ?」
その通りだった。大河内代議士が圧力をかけたのかは知らないが、西部開発は水道の開通をこちらに要請してきた。そしてそれを受けた私が水道課に要請し、一昨日実行してもらったのだった。
勿論、水道の開通には現地に職員が行く必要がある。その職員の記憶は、あのジュリって子がトラックドライバーと一緒に改竄したはずだ。彼やトラックドライバーにとってあの場所にあったのは、ファンタジーランドの王城だ。
……そうか、それで柴崎課長はここに乗り込んできたのか。職員の口からは、ファンタジーランドがいつの間にか完成していたという言葉が出たに違いない。
私はふうと息をついた。
「柴崎課長、もうしばらく待ってください」
「は??何を待てっていうんだ??」
「とにかく待っていただければ。しばらくしたら、嫌でも分かりますので」
「何を言ってるんだ君は!?早稲田出てて少しキレイめだからって、偉そうにしてるんじゃあないっ!!」
怒鳴る柴崎課長の後ろに、少し痩せ気味の、白髪交じりの男性がいた。彼——大河内代議士はニコリと笑う。
「ちょっと、いいですか」
「はあっ!?今取り込み中なんだよっ、後にして……」
大河内代議士は笑いながら襟元の議員バッジを指さした。柴崎課長の表情が、訝し気な物から驚愕へと変わった。
「……こ、国会議員??あ、あんた……」
「民自党副幹事長の大河内です。ちょっと、山下さんに用がありまして」
呆気に取られている柴崎課長をそっと押し退け、大河内代議士は「行きましょうか」と告げる。
「……市長の所ですね」
「察しが速くて大変助かります。では」
私は大河内代議士の後に続いて部屋を出た。市長室は、確か4階にあったはずだ。
「アポは取られているんですか」
「そんな余裕はないですよ。もしいなかったら、副市長と会うことになるでしょうね。こちらとしては正直、そちらの方がありがたいのですが」
一瞬疑問を持ったが、すぐにその理由が分かった。今の秩父市の市長、阪上龍一郎は野党の立政党の支援を受けている人間だ。前職の民自党の市長が汚職で捕まったのを受け、この保守的な街では極めて珍しく野党系の候補が勝ったのだった。
今が2期目で、年齢は38歳と若い。国政に対する野心を隠そうともしていないという評判だった。私も2回ほど話したことがあるが、ねっとりとした視線が酷く気味悪かったのをよく覚えている。
そんな彼がイルシアのことを知ったなら、どう動くだろうか。少なくとも政府の言うことを黙って聞くとは思えない。大河内代議士が直々に出てくるのには、それなりの理由があるということか。
市長室に着いて秘書に市長の予定を聞く。すると、奥からぬっとオールバックの男——阪上市長が現れた。身長は高く、がっしりとした体つきだ。昔明治大学でラグビーをやっていたと聞いたことがある。
「山下君……だったか?それと、隣の人は……」
「民自党副幹事長の大河内尊です。すみません、急に押しかけけてしまいまして」
流石に唐突だったのか、阪上市長は柴崎課長と同様に「えっ」と言葉を発したまま固まった。大河内代議士は話を続ける。
「極めて重要なお話があります。日本国政府の方針、と受け取って頂いて結構です」
「極めて重要……?」
「ひとまず、お時間頂けますか。急を要する話です」
阪上市長は「ど、どうぞ」と市長室に私たちを案内する。腰掛けるなり、大河内代議士は私を見た。
「こちらは総合調整課の山下さんです。彼女を同席させてよろしいでしょうか」
「え、ええ。結構ですが……何故彼女を」
「後程ご説明しますが、本件において彼女が重要な役割を担うからです。貴方にもその点を認識して頂きたく」
「は、はぁ……」
秘書が日本茶を持ってきた。それを口にし、大河内代議士が切り出す。
「単刀直入に申し上げます。秩父市大府集落の一帯を、災害対策基本法に基づく警戒区域に指定させて頂きたい。
当該地域の隔離、並びに場合によっては住民の強制避難も視野に入れたものです」
「……はあ???」
間抜けな声を阪上市長が上げた。大河内代議士はそれを無視して説明を続ける。
「本件は政府の極々一部しかまだ知り得ないことです。ただ、事態は極めて切迫しているとお考え頂きたい。
大府集落周辺に、致死性かつ強感染性の病気が発生する恐れがあるのです。もし感染が拡大すれば、コロナの時とは比較にならないほどの被害が生じかねない。それほどのものです」
「何を言ってるんですかあなた。そんな病気の報告など、こちらには一つも……」
「上がっていないでしょうね。これから起き得る話ですから。ですが、これを見て頂ければ話が変わるはずです」
大河内代議士はスマホを操作し、彼に見せた。そこには、イルシアの王城と城下町、そしてそこに住む人々の姿が映し出されている。その中には、シェイダさんと立ち話をしている私の姿もあった。……この人は、いつの間にこんな動画を撮ったのか。
阪上市長は一瞬訝し気な表情を見せたが、すぐに「マジかよ……」と絶句した。これが現実のものであると、理解し始めたようだった。
「……御覧の通り、大府集落の近くにはこのような『城』が出現しております。そして、約1000人の人々がここで暮らしているとのことです。勿論、私もこの現場に居合わせています。
貴方が信じるかどうかは分かりませんが、彼らは『異世界』からこの世界へと転移してきた。敵対する国家の襲撃と、蔓延する疫病から逃れる形で」
阪上市長はしばらく唖然とした様子で動画を見続けていた。そして、はっとした様子になって口を開く。
「……まさか、その疫病持ちがここにいるとでも??」
「今のところは確認されていません。また私が知る限り、その病はウイルスとか病原菌由来のものでもありません。しかし、いつでも発症し得ることも分かっています。詳しくは説明しませんが、この世界は彼らにとって苛酷に過ぎるのです」
「ど、どうして排除しない」
大河内代議士が笑みを深めて顔を彼に近づけた。
「できるわけがないでしょう。彼らは一種の難民ですよ?どこの世界に難民を排除する国があります?どこかの東側国家なら黙って皆殺しにするでしょうけど。
だから、災害対策基本法を特例で適用するのです。万が一が起きても、被害を限定できるように」
阪上市長は軽くパニックになっているようだった。彼はパフォーマンスは上手いが、政治家としては2流か3流だ。民自党の要職に就こうとしている大河内代議士とは、器が違う。
汗を流しながら、阪上市長が大河内代議士を見る。
「……他にも何かあるんじゃないのか」
「勿論。この異世界から転移してきた国——イルシアの情報公開は、極力避けて頂きたい。下手に情報公開しようものなら、世界中から秩父に人が殺到しますから。全ての情報は、政府が管理させていただく」
「大府集落に住む爺さんや婆さんはどうするんだよ」
「無論、大府集落に住む人たちの行動の自由は極力保証します。住民への説明会は、この山下さんにやってもらうつもりです。秩父市側の人間では、イルシアの事情に最も通じていますからね」
「ちっ」と阪上市長が舌打ちをした。何となく気付いてはいたが、あまり育ちのいい人間ではないらしい。
「不服そうですね。貴方が関与する余地がないからですか」
「……勝手にしろよ。地方自治の原則を無視しやがって」
その横柄な態度に、私は何か嫌な予感がした。
大河内代議士も気付いたらしい。視線が合うと極小さな声で「まずいな」と言われた。
恐らく、大河内代議士は阪上市長のことを知っているはずだ。とにかく世論をあおるパフォーマンスに長けた人物という認識が私にはある。
綿貫議員のように毒舌だが弁も立つというタイプではない。ひたすら相手を感情的に攻撃することで市長の座に就いたのが阪上龍一郎という人物だ。
そんな彼が、蚊帳の外に置かれたらどういう行動に出るか……嫌な予感が、より具体な形になって想像できた。
この男は、暴発する。政府を無視してイルシアの存在を大々的にアピールし、その上で政府の横暴を訴えようとする可能性が極めて高い。
大河内代議士も同じ結論に達したのか、ふうと息をついた。
「貴方の望みは分かってますよ。中央政界への進出でしょう」
「……」
「もしこちらの指示通りに動くなら、民自党が埼玉11区からの出馬をバックアップさせてもらいます。全力で」
「本当かっ!!」
急に食いついてきた。元々中央政界に出たがってた市長のことだ、渡りに船だったのだろう。
大河内代議士は真顔で頷く。
「今回の件が無事に収まれば、貴方の手柄にもなるはずです。立政党から出るより、こちらから出た方が資金面では間違いなく楽です。それに貴方、立政党に思い入れはないのでしょう?」
「本当に、公認してくれるんだろうな」
「ええ、確かに」
阪上市長が満面の笑みになった。そして大河内代議士の手を握る。
「分かりました。喜んで協力させてください!!」
あまりの態度の変わりように、大河内代議士も苦笑する。
「……約束は守って下さいよ」
*
市長室を出て下りのエレベーターに乗ると、大河内代議士が溜め息をついた。安堵の息かと思ったが、その割には顔が険しい。
「……どうしたんですか。一応要求は通ったんじゃ……」
「『俺』は最終手段を使った。できることなら、『公認カード』は使いたくなかった」
「それは、どういう」
「あの男は、こちらの言う通りにはまず動かないな。あそこまで馬鹿とは……
最初は良くても、絶対に何かやらかす。俺の勘が、そう言ってる」
1階に着き、エレベーターの扉が開いた。大河内代議士は早足で入口へと向かう。
「ひとまず、浅尾の『親父』に連絡をします。住民説明会の日程が固まったら、連絡を」
振り向いた彼の表情は険しい。私は彼が去るのを見届けると、スマホを取り出した。
「もしもし」
すぐにトモが出てきた。私は心を落ち着かせるため、一呼吸置く。
「今から、こっちに来ることはできる?物凄く、大事な話があるの」




